八日間。
さんが、住み込みで働きに出ているのは。
たかだか、八日だ。
その間、俺は一人宿に泊まる。
毎日変わらず行商に出る。
薬を売り、モノノ怪の気配を探り。
宿に帰り、休む。
いつもと同じ事をしているのに。
足りない。
何が。
さんが。
仕事に出るときは別だけれど、宿では一緒に時を過ごしている。
旅の道中も。
何を話さずとも、傍に居るのが当たり前。
それが、普通になっていた。
たかだか八日、それがないからといって、どうと言うことはない。
そう思っていた。
けれど、そうでもなかったらしい。
まだ四日目。
半分だ。
四日しか経っていないというのに、俺ときたら…。
さんに会いたいと思っている。
正確に言うと、昨日から。
つまり三日目から。
二日目の朝までは、あぁ今日もいないのか、と思うくらいだった。
けれど、昨日の朝は、隣に誰も居ない事が、物寂しく感じられた。
寂しい、なんて感情を持ったのはもしかしたら初めてかもしれない。
軽く溜め息を吐いた事にも、自分で驚いた。
気を抜くと、さんはどうしているだろうかと考えてしまう。
会いたいと、思ってしまう。
あまつ、その温もりを思い出そうとする。
(夢に見ない辺り、よほど俺は理性的なのだろう)
けれど、これは重症。
寧ろもう末期だ。
そのうち禁断症状でも出るだろうか。
自嘲しつつ、今夜も一人、床に就いた。
薬売りさん。
優しい音色で呼ばれた気がした。
風が耳を塞いで、よく、聞こえなかった。
髪も、袖も、裾も、風にはためいている。
そして、眩しい。
包み込むような温かさは、この日差しのせいだろうか。
薬売りさん。
また、呼ばれた気がする。
見渡しても、眩しくてよく分からない。
手を、伸ばしてみる。
何があるのかは、分からないけれど。
それでも、手を伸ばす。
何かに、手が触れた。
温かい何か。
それは俺の手を、頬を、肩を、背中を、優しく包み込んだ。
心地いい温かさだ。
俺はそれを放すまいと、両手に掴んだ。
それがさんならいいと思った。
そうしてやはり自分は末期だと、頭の隅で思った。
薄く目を開けると、俺は何かを抱えていた。
いや、何かに、包まれている?
確かに俺も何かを抱えているが、寧ろ抱え込まれているのは俺のほうだ。
寝起きの目を瞬かせて、よくよく見てみる。
白地に藍色の柄の入った浴衣。
目の前には、ちょうど袷。
程よく膨らんだ胸に、顔を埋めて寝ていたのだと分かった。
少々、焦った。
俺はいつの間に女を買ったのだろう。
さん不在の寂しさを、女を買って紛らせようとしたのか。
いや、そんなはずはない。
昨日は晩酌もしなかった。
一人で床に就いたはずだ。
だったら、この女は…。
「目が覚めました?」
頭の上から、声がした。
よく、知っている声だ。
顔を上げると、はにかんだ笑顔のさんが目に映った。
「さん…?」
俺は余程驚いた顔をしたのだろう。
さんがクスクスと笑った。
「薬売りさん、放してくれないんですもん」
「俺が…」
困惑する俺を他所に、さんは俺を包む手を強めた。
夢…。
さっき見た夢の温もりは、これだ。
そう、思い至った。
「ずっと、こうしていたんで」
「すぐに離れようと思ったんですけど。さっき言ったじゃないですか、薬売りさんが放してくれなかったって」
「仕事は、どうしたんで」
「中日…今日お休みがいただけたので、昨日のうちに戻ってきちゃいました」
「…疲れているでしょうに、何故」
「だって…」
嬉しそうに微笑んで、さんは言った。
「会いたかったんです」
あぁ、同じだ。
「まだたったの四日なのに、会いたくて仕方なくて」
俺も、そう。
「お休みだ、会えるって思ったら、居ても立っても居られなくて」
会いたかった。
身体をずらして、さんに視線を合わせる。
「俺も、ですよ」
「え?」
その驚き様は何だってぇ言うんですか。
俺が、貴女が居なくても平気だと思っていたんですか。
こんなにも貴女を想っているのに。
心外だ。
「俺も、会いたかった」
唇が触れるか触れないかの所で、そう、囁いた。
-END-
2012/9/9