二人を包むもの。
ゆらゆらと揺れる行灯の柔らかい灯。
しっとりと纏わりつく空気。
屋根を叩く、雨の音――。
「また、降り出しましたね」
「梅雨に入ると、雨ばかりでちょっと鬱陶しいです」
軽くため息を吐きながら、乾かない洗濯物の皺を伸ばす。
湿気を吸ってすっかり重くなった二人分の着物も、並んで掛けてある。
薬売りはと言えば、小さく開けた木戸から、外を眺めている。
しっとりとした空気が、そこから入り込んでくるのが分かる。
「霧雨、ですね」
サァァ、という雨の音が聞こえてくる。
「吹き込んでますよ?」
は慌てて薬売りの傍へ寄り、木戸を閉めようとした。
けれど、薬売りがそれを制した。
の腕をとり、自分の懐に引き寄せる。
自分の前にを座らせ、後ろからの肩に顎を乗せる。
「ちょっ、薬売りさん!?」
「暫く、雨の音でも聞いていませんか」
自らの腕の中でじたばたともがくを余所に、薬売りは変わらず外を眺めている。
「雨の音ですか?」
戸惑いつつ薬売りの様子を窺う。
すぐ傍にある薬売りの表情は何処か穏やかだった。
しょうがない、とは身体の力を抜いて薬売りに身を預けた。
「あ、音が変わりましたね」
大人しく目を閉じていたが、顔を上げる。
薬売りは小さく、えぇ、と答えた。
聞いていると雨音は様々変化する。
風向きが変わるとき。
木々の葉に降り注ぐ軽い音が、家屋の壁を叩く固い音へ。
雨脚が変わるとき。
耳触りの良い小さな音が、力強い大きな音へ。
様々に変わる雨の音が、二人を包んでいた。
「こうして聞いていると、雨にも表情があるみたいですね」
薬売りに凭れながら、が言った。
「成程、表情、ですか」
「今はとても優しい音…」
「えぇ、とても落ち着きますね」
先ほどから静かになった雨音に、二人は耳を澄ます。
「蒸し蒸しして鬱陶しいはずなのに、何だか包まれてる安心感があります」
「そりゃあ…」
「薬売りさんが包んでくれるから、とか言っちゃいますか?」
が悪戯っぽく薬売りを見る。
「違うんで」
「う〜ん…」
は首を傾げて考え込む。
確かに、薬売りが傍にいることで安心している。
それでも緊張することもあるのだ。
特にこうしてすぐ傍にいるときなどは。
今、これほど心が静かなのは、やはり雨のお陰だろうか。
考え込んだままのに薬売りは口角を上げるが、にそれは見えない。
「分かりました!」
パッと顔を上げると、は笑顔だった。
「薬売りさんと一緒に、雨音の中にいるから、でどうでしょう?」
「どうでしょう、と言われても。貴女の心の内は、貴女にしか分かりませんから、ね」
「じゃあ、そういうことにしておきます!」
に、と笑っては再び薬売りに凭れかかった。
そうして目を閉じて、また雨の音に耳を傾ける。
薬売りが息を吐いて、笑ったのだと分かる。
そうして薬売りの腕がをギュッと抱きしめる。
穏やかな雨の音と、薬売りの腕の中にいるということ。
やがては、しばしの眠りに誘われた。
END
関東は梅雨明けして久しいですが、暫く雨が続いていたので書いてみました。
最初はちょっと違う話を書いたんですが、納得がいかなかったので書き直し。
結局纏まりのない話になってしまいましたけどね…
2013/8/4