無事に宿を取っただったが、目が冴えて暫く眠れそうになかった。
灯りは消したものの、人の死というものを目の当たりにし、モノノ怪というものの恐ろしさを体感し、妙な緊張が体中を走る。
全ては、人の感情が為す。
人の感情がモノノ怪を作り、人に害を及ぼす。
それが怖かった。
「ダメ…眠れない」
は床を抜け出して、窓をそっと開け、濡れ縁に腰を掛ける。
さっきまでの雨が嘘のように、空には星が瞬いていた。
そっと、胸に手を当てる。
その懐には、あの札がある。
着替えるときにも離さずに懐にしまった。
は、それを取り出して、折り目の付いてしまったそれの皺を伸ばすように撫で付けた。
まじまじと見れば、中央に目のような模様がある。
その上下に何やら模様が入っているが、そちらは何か分からない。
「う〜ん…これって薬売りさんの行李とか着物になかったっけ?」
あくまでも小声。
「モノノ怪の見張り番?」
顔に近づけたり遠ざけたりしながら、変わることのない模様を見つめる。
持っていれば分かると言われて持っていたが、結界の役目を持っていたとは。
「感服いたします」
「誰と、話しているんで?」
「ひゃぁ!?」
突然声がして、の声は見事に裏返る。
声のした方を見ると、隣りの部屋の濡れ縁に薬売りが佇んでいた。
「び、びっくりしたぁ。いつからそこに居たんですか?」
「…さぁて…」
良く見れば、いつもの隈取りは落とされ、いつも被っている手拭いもしていない。
見事な猫っ毛。
頭の片隅でそんな事を考える。
「さん、その札を、返してくれませんか」
「え、あ…」
モノノ怪はもう居ない。返すのは道理だ。
けれど、何故だか躊躇われた。
恐い。
この札には、不思議な力が宿っていて、モノノ怪から守ってくれる。今日だって、何度頼りにしたか。
この先、いつモノノ怪と遭遇するか知れない。出来れば、持っていたい。
けれど、返せといわれれば、仕方ない。
札を持つ手に、力が入る。
返さなくては。
「後で、新しいものを、お渡ししますよ」
「え…」
予期せぬ言葉に、は戸惑う。
「一度モノノ怪と出遭った札は、もう、使わない方がいい」
そう言うと、ひらりとの方に手を差し出す。
「絶対ですよ。私には身を守る術がないんですから」
しぶしぶ札を差し出す。
恐いとか、頼りだとか言いはしない。
札が手を離れると、何故だか不安になる。
「大丈夫ですよ。…俺が、守りますから」
「…?」
は。今、何と?
「一応は、ね」
何処かで聞いた言葉。
「何ですか、それ!」
口を尖らせるに、薬売りはクツクツと静かに笑った。初めて。
「それはそうと、本当に、聞こえるんですね」
「なっ。嘘だと思ってたんですか?」
更にムッとする。
「いえ、いえ。まさか、あれほどまでとは…」
「聞こえるものは聞こえるんです。あれほどとかこれほどとか、程度なんて私には分かりません」
今までに自分と同じ力を持った人に会った事がない。だから何とも言い様がない。
ただ、声の強さがその思いの強さ、力の強さを表している。そういうことの判別は出来る。
「…薬売りさんは…」
「?」
「私の力でモノノ怪の“真”と“理”が早く分かることを期待してたんですよね」
「まぁ…」
「どうでしたか?」
尋ねる声は、恐る恐るという感じ。
「それなりに…」
「それじゃ分かりませんよ」
苦笑する。どうやら役に立っていないと思っている。
「貴女の言った言葉は、確かに、“真”と“理”を引き出す、きっかけになったと、思いますよ」
「…お世辞でも嬉しいです。薬売りさんのお役に立てて」
苦笑から、全うな笑顔に変わる。
薬売りは、何処と無く呆れたような顔で返す。
「あぁ、何か眠くなってきちゃいました…」
さっきまであんなに冴えてたのに、と。
顔を俯けて、欠伸を隠す。
「もう寝ますね」
「さん」
「はい?」
「札の代わりです」
そう言って人差し指の腹で飛ばしてきたのは、天秤だった。
は掌でそれを受け取る。掌の天秤は、初めて見たときと同じように、身体を前に倒し、お辞儀をする。
「いいんですか!?」
喜ぶに、微かに笑って肯定してやる。
「ありがとうございます」
ニコニコと天秤を覗き込む。
「では、また、明日…」
「はい。おやすみなさい」
そう言って、二人は濡れ縁から部屋へと戻っていった。
はその夜、天秤を枕元に置いて寝た。
そうしてそれは、毎晩の決まりごとになった。
札を持っていても、札は懐に、天秤は枕元に。
暫くの後には、それに加わるものがあるのだが、それはまだ先の話…。
-END-
これでやっと最初のモノノ怪退治完了しました!
大した話じゃなくてすいません。
これが精一杯です…
2009/9/13