相変わらず人の行き交う芝居小屋通り。
日が暮れかかって、辺りは赤く照らされている。
夜が、芝居小屋の本来の時間である。
一番の芝居は、やはり夜に演じられる。そのため、客足の多さで言えば、昼間以上。
人混みの中、は大きな行李を追う。歩き辛くて、時折見失いそうになる。
「あ、あの…薬売りさん!」
その声は雑踏に呑まれて、聞こえていないようだ。
あの大きな耳でも、後ろからの声を集めることは難しいらしい。
辛うじて行李は見えるものの、どんどん遠ざかっていくような気がする。
どうしてこの人混みの中、スルスルと歩いて行けるのか。
は溜め息をつく。
そうして、もういいや、と視界から行李を外した。
気付かれずに置いていかれたら、それでいい。
いつも、そんな曖昧な気持ちがある。
“連れ”から“助手”に格上げはされたものの、薬売りにとって、の存在など、どうでもいいもののように思えてならない。
人混みを避けて、町の中に流れる川を見下ろす。
しなやかに柳が風に揺れている。
しゃがみ込んで小さな水の流れを覗き込む。
「さっきの、何だったんだろう…」
あの小屋を出るとき、直助が言った言葉がやけに引っかかる。
あの人は、何か知っていたのだろうか。
「…?」
不意に、赤かった視界に、影がかかった。
「はぐれないようにと、言ったはずですが」
見上げれば、無表情の薬売りが立っていた。
否。
少し呆れているように見えなくも無い。
「すみません。声は掛けたんですけど…」
気付いてもらえなかった。
「そう、ですか。俺の落ち度、ですね。すみません」
何を…。
は僅かに口を開いた。
「薬売りさんの…せいじゃない…です」
上手く声にならない。
謝ってくるとは思わなかった。
「探してくれるとは、思いませんでした」
目を丸くして、は思ったことを口にした。
「何故?」
「…え…」
何故、だろう。
ふとしたことで離れて、そのまま忘れられて置いていかれると、思っていた。
けれど、そう思う理由は、分からない。
きっと、薬売りのあやふやな存在感が、そうさせるのかもしれない。
人とモノノ怪の間に立つ、不思議な存在だから。
「どうしてでしょう」
一応の答えは在るけれど、それも明確ではない気がした。
「聞いているのは、俺ですよ」
「分からないから、答えられません」
「俺は、そんなに信用がない、と」
「そういうわけでは…」
「誘ったのは、俺ですから」
そう言って、の前に手を差し出す。
躊躇うことなく、半ば条件反射的にその手を取る。
引っ張られて、立ち上がる。
「ありがとうございます」
色々と。
「いえ」
踵を返す薬売りに、は声を掛ける。
「あの、薬売りさん」
顔だけを、に向ける。
「直助さんは、一体…?」
「彼は、アヤカシ、ですよ」
「え!?」
再び目を丸くする。
直助の何処にそんな要素があったのか。
しかも、“この世ならざるもの”なのに、声が聞こえなかった。
「大煙管といって、たばこを、欲しがるんですよ」
「たばこ…」
だから煙管を放さなかったし、たばこを寄越せと言ったのか。
「狐狸が化けるとも、言いますがね。あれは、道具に宿った、アヤカシ、ですよ」
直助のように実体を得るには、どれほどの時を要したか、計り知れない。実体があったため、には普通の人間の、普通の声に聞こえたのだろう。
それほど、あの道具に込められた念は強いものだった。
「アヤカシは斬らないんですか?」
「モノノ怪のように、その情念で人を取り殺すということは、しないものたちですから」
なるほど。
それがアヤカシをモノノ怪の決定的な違い。
けれど、同じ“この世ならざるもの”。
「だから、直助さんには分かっていたんですか」
「さぁて」
薬売りは、今度こそ踵を返して歩き出した。
は、その後姿を見つめる。
いつも、肝心なところの、明確な答えをくれようとはしない。
いつまでも後を付いて来ないに気付いたのか、薬売りは足を止めて振り返る。
「はぐれないにように、してください」
意味が分かっていますか? と言われているような気がする。
「え…あ、はい」
慌てて後を追う。
「貴女は、助手なのでしょう、俺の」
「はい、助手です!」
だから着いて来い、と解釈をしてもいいのだと勝手に思う。
置いていかれることなどないのだと、は確信に近いものを得た。
そうして薬売りの隣りに並んで、言ってみる。
「薬売りさん、私、お芝居が見たいです!」
-END-
これにて「青鷺火」終幕です。
まだまだ遠い二人…。
お暇でしたらあとがきもどうぞ。
2009/10/9