すっかり、遅くなってしまった…
薬売りは暗くなった道を急いでいた。
姿を見せたばかりの細い月が作る影は薄い。
漸く宿の前まで来た薬売りは、不意に足を止める。
宿の二階の窓。
薄い月明かりでも、そこから覗く人影を見間違いなどしない。
あれは…、さん。
すぐ下に薬売りが居ることには気づかないようだ。
は桟に頬杖をついて、ぼんやりとしている。
溜息をひとつ吐いたかと思うと、恨めしそうに月を見上げた。
口を尖らせて、何処か不満そうだ。
「…」
薬売りは急いで宿へと入っていった。
「ただ今、戻りました」
声をかけると、部屋の中から控えめな足音が近づいてきた。
「おかえりなさい!」
障子を開けると同時に、薬売りの視界に笑顔が飛び込んできた。
けれど、薬売りは眉を顰める。
「一体、どうしたってぇ言うんですか」
「え?」
「灯りも付けずに…」
辛うじて火鉢に火は入っているものの、それだけだった。
真っ暗な部屋に一人、憂い顔で月を見ていたということだ。
「溜息を、吐いていたでしょう」
「え…、そうですか? って、見てたんですか? 何処から…!?」
「宿の前まで来たら、見えたんですよ」
盗み見たような言い方のに、薬売りは肩を竦めた。
火鉢の傍に二人で腰を下ろす。
薬売りはそこから火を貰い、行灯に火を灯す。
先程より明るくなった部屋で、二人は黙り込んだままだった。
「で、どうしたんですか」
「どうしても答えさせたいんですよね、薬売りさんって」
「貴女の事は、何でも、知りたいから、ですよ」
薄い笑みを浮かべながら、薬売りはじっとを見る。
「反則です、それ」
「俺たちの間に、則など、ないでしょう」
「…っ」
それも反則だと、は項垂れた。
「いつ…帰ってくるのかと…」
の返答に、薬売りは目を瞬かせた。
「それは、」
「他にいませんからね」
薬売りの言葉を遮ったは、そっぽを向く。
「月だったら、薬売りさんが今どこに居て、どのくらいで帰ってくるって、見えるじゃないですか」
空の上から、地の上に生きる人々を見下ろしている月ならば、誰が何処にいるのか知るのは容易い。
「でも、月は答えてくれないから」
「だから、恨めしそうにしていたんで」
「恨めしそうって…」
そっぽを向いていたに、薬売りは後ろから腕を回した。
「そんなに俺に、会いたかったんで」
「…ぅ」
左の肩口に顔を乗せられたは、そこからも顔を背けようとする。
「まったく、貴女ってぇ人は」
ぎゅう、とを抱き締める。
「俺は…、必ず、貴女のもとへ、帰ってきます」
「本当ですか?」
茶化すようなの声。
「月の導く先に、貴女がいるから」
笑っているのか、が軽く肩を竦めたのが分かった。
例えその光が弱くとも、姿が見えずとも。
そこにあるのだから、きっと会える。
ねぇ、薬売りさん。
薬売りさんがいつ帰ってくるのか、月に聞いていたのは本当。
でも、それだけじゃないんですよ。
月になれたらいいのに。
そう思ってた。
いつだって空から薬売りさんの帰りを見守っていられる。
その優しい光で、照らしてあげられる。
包んであげられる。
そんな風になれたら、どんなにいいかって。
いつも薬売りさんの優しさに包まれてばかりの自分が、少し情けなくて。
でも、帰ってきた薬売りさんを見て思ったの。
いつ戻るか分からない人を待つのは、嫌じゃない。
その分、会えた時、嬉しいから。
両手を広げて迎え入れてあげられるから。
だから、月になりたいなんて、高望みはしない。
無事に戻ってくることを、月に祈ろうって思った。
だけど、それは教えてあげない。
END
未だリハビリ中。
なかなか上手く回復しないものです…
それでも何とか久しぶりのお題。
2015/1/25