「…遅い…」
細かい雨が降り注ぐ中、は待ちぼうけを食っていた。
奉公先である甘味処の軒先。既に店仕舞いした後だ。
店主は、傘を貸そうかとも、中で待つといいとも声を掛けてくれたのだが、丁重に断った。
「急いでくるって言ったくせに…」
小さな悪態が、雨音に消えた。
「今日は、雨が降るそうですよ」
朝、出掛けに薬売りがそう言った。
「え、雨ですか?」
は困った顔をする。
「風向きと、雲の様子が悪いと、彦次郎さんが」
彦次郎とは、宿の料理人だ。
「…そうですか」
「どうか、しましたか」
気落ちした風のに、薬売りは問いかける。
「実は、先日の強風のときに壊れてしまったみたいで…。梅雨も近いのでいい加減買おうと思っていたところなんです」
「それは、それは…」
「今日は一日買いに行く暇もないし」
「では」
薬売りは、の顔を覗きこんで、微かに笑った。
「仕事が終わる時分に、迎えに、行きましょう」
「え!? いいですよ、薬売りさんだって仕事があるじゃないですか」
慌てて断るも、薬売りは笑ったまま。
「貴女の仕事が終わる頃には、俺だって、店仕舞いをしていますよ」
「…でも…」
「さん」
妖艶な笑みで力押しされて、にはそれ以上断ることが出来なかった。
「…じゃあ、雨が降っていたら、お願いします」
「急いで、行きますよ」
「降っていたら、ですからね」
「はい、はい」
そんな訳で、薬売りが迎えに来るのを待っているのだ。
霧雨にも似た雨は、少しの風でも向きを変える。
小さな軒先で雨から逃れるには、小さく縮こまっていなければいけない。
何故だか肩に力が入って、後で肩が凝りそうだと、溜め息をつく。
降り続く雨に、少しだけ心細くなってしまう。
は、恨めしそうに空を見上げた。
「あなたが雨を降らせなければ、薬売りさんの手を煩わせる事なんてなかったんだから」
今度は空に向かって悪態をついた。
「本当に、面白い人ですね、貴女は」
呟いてすぐ、聞きなれた声がした。
其方を見ると、鮮やかな色彩の傘をさした薬売り。
「く、薬売りさん…」
「俺にならまだしも、空にまで、文句を付けるなんて」
クツクツと笑いながら、の傍までやってきた。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか…」
「おっと、すみませんね。元はといえば、俺の落ち度だ」
“そうです!”と言いたげな。
薬売りは、その分かりやすい性格に笑いそうになるのを押し留めた。
その代わり、いつもの笑みをする。
そうして、手を伸ばす。
「きゃっ」
の腕を引っ張って、軒下から自分の傘の中にを引き込んだ。
突然の事に、驚く。
薬売りは片手でを抱きしめていた。
「…薬売りさん?」
「いつまでも、入ってこないから」
ひんやりとした着物からは、の体温を感じる事はできない。
けれど…
「あったかい」
は、素直にその抱擁を受け入れた。
嬉しそうに顔を埋めるに、薬売りは自分も満たされた気分になる。
「行きますよ。雨の中に、長居は無用です」
「はい」
寄り添う二人に、雨は優しく降り注いだ。
愛しさだけ残して、雨に流れてしまえばいい。
寂しさも、心細さも、皆―。
-END-
今書かずしていつ書く! という勢いで書いたものです。
(歌詞の中に“冷たい五月の雨”というのがあるので)
勢いで書いたので、纏ってないのはご了承ください。
2011/5/22