当時まだ二十代半ばで、店を大きくさせようと躍起になっていた利兵衛。
そんな利兵衛に、見合い話が舞い込んできた。
呉服屋の三女、雪。
雪の日に生まれたからお雪。
話を受けた時に聞かされた。
初めは、店の為にその話を受けようと思った。
相手の呉服屋はその辺りでも大店で、その店との繋がりが持てるのは好機。
相手も相手で、利兵衛の商才を買っていたようだった。
二人が会う前から、決まっていた話だった。
しかしなぁ。
あれは儂の一目惚れだったんだ。
見合いの席で、利兵衛の向かいに座った娘。
その名の通り、雪のように白い肌をしていた。
娘は、正に利兵衛の理想だった。
美しさ、奥ゆかしさ、すべてが利兵衛の中に入ってきた。
店の為にする婚姻が、己の為にもなる。
利兵衛はもう決めていた。
その話はあっという間にまとまって、次の春には夫婦になっていた。
後からお雪に聞いたのだが…。
店の為に自分を嫁にとるような人間なら、断っていたらしい。
実際、何度か見合い話を断っていたようだ。
しかし、儂の目を…
お雪に心奪われていた時の儂の目を見て、思ったらしい。
この人は、自分を大事にしてくれると。
ご隠居様…
の声に小さく笑うと、ご隠居は、寒いな、と言って部屋の中へ入った。
そうして床に就くと、そこから外を眺めた。
不思議なことにお雪は、毎年初雪の日を言い当てるのだ。
“もうすぐ雪の降る頃です”
“あと三、四日”
“明日には一面銀世界ですよ”
嬉しそうに言うのだ。
本当に不思議なお方ですね。
ご隠居は得意げに頷く。
もしかしたら雲行きや寒さで分かるのかもしれないが…
それでも、不思議な女だった。
いつもお雪の言う通りに、初雪は降った。
子供たちは大喜びでな。
儂も何故か嬉しかった。
利兵衛とお雪、そして三人の子供たちは、幸せな日々を過ごした。
店も順調に大きくなり、抱える職人、奉公人も増えた。
他の同業者たちからも一目置かれる店となり、藩御用達にもなった。
忙しかったが、とても幸せな日々だったよ。
その日々を懐かしみ、愛おしむような優しい目。
ご隠居は、穏やかな笑みを浮かべていた。
夫婦になって三十年…
長男が店を継ごうという頃、お雪は死んだ。
その年の、初雪の日だった。
“雪が、迎えに来るようです”
その言葉通り、雪の降り出す、寒く静かな夜に逝ったよ。
利兵衛はそれから、雪を恨めしく思った。
雪など降らなければ、お雪は死ななかったのだと。
雪を嘆いて、雪を目の敵にした。
暫くして、あまりに雪を嫌う利兵衛に、一番下の娘が言った。
当時まだ、十二の娘だ。
父さま。私はね、この雪は、母さまだと思ってるの。
毎年、私たちに会いに来てくれてるのよ。
私はそう思うことにしてるの。
だから、さびしくなんてないの。
目が覚める思いだった。
幼くして母を失った娘が、そんな風に思っていたなど、思いもよらなかった。
それから儂も、考え直したんだ。
この雪は、お雪が、儂らを見守ってくれている証なのだと。
そう思うと、初雪の日が待ち遠しかった…
一息に話して、ご隠居はゆっくりと深呼吸を繰り返した。
呼吸が僅かに、震えている。
は布団をかけ直し、火鉢をご隠居へと寄せる。
躊躇いがちに、障子を閉めようかと立ち上がる。
開けておいてくれ。
ご隠居がを止める。
お雪が、迎えに来る…
ご隠居様、そんな…。
今なら、儂にも分かる。
初雪と共に、お雪が、儂を迎えに来る…
ご隠居様…。
さぁ、もうお帰り。
直に日も暮れる。
今夜はとても冷え込むから、温かくして休むんだぞ。
は、泣き出しそうになるのを堪えて、小さく返事をした。
ありがとうなぁ、さん。
ご隠居は、目を細めてに言った。
姿形はひとつも似ていないのに。
お前さんは、何処かお雪と似た雰囲気を持っているよ。
不思議な娘、そんなところが。
お前さんに会えて、良かったよ。
“人生の最期に、な”
最後の言葉は、音としては聞こえなかった。
ご隠居の、心の中の言葉だったのだろう。
それでもに聞こえてしまう。
それがどういう事なのか、には痛いくらいに分かった。
私の方こそ、大切な奥様のお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。
は、震える声でそう答えた。
そうして、深々と初雪の降り落ちる夜、ご隠居は逝った。
「だから今朝、あんなに急いでここを出たんですね」
はこくりと頷く。
「眠っているときに、遠くの方で、ご隠居様と奥様らしい人の声が聞こえたような気がして」
はまた一筋、涙を落とした。
「目が覚めて外を見て、あぁ、逝ってしまったんだって思ったんです」
その涙を、薬売りはそっと拭ってやる。
「奥様が迎えに来たのなら、そのご隠居様は、幸せに逝ったのでしょう」
「…はい、きっと」
は、自分の頬を優しく包む薬売りの手に、自分の手を重ねた。
そうして目を閉じて、その温もりを感じる。
「今夜も、冷え込みますよ」
「…少しだけ、飲みたい気分です」
「珍しい、ですね」
「ご隠居さまと奥様、それに、初雪を偲んで」
「そういう事なら、付き合いますよ」
細く開けた窓にちらつくのは、美しく奥ゆかしい白だった。
END
2013/12/8
今年はこれで最後かと思います。
ご訪問いただいた皆様、今年一年、本当にありがとうございました。
良いお年をお迎えください。