「おや、もう、そんな時期、なんですね」
そう言うと、薬売りはの左肩へ手を伸ばした。
突然の事に、思わず肩を竦めた。
そんなを余所に、薬売りはそのまま髪に触れた。
「ほうら、もうこんなに」
の目の前に差し出されたのは、色づきかけた一枚の葉だった。
「え、紅葉?」
は自分でも髪を見てみたけれど、付いていたのはそれ一枚だけのようだった。
その葉を、指先でくるくると弄ぶ薬売り。
一枚の葉が報せる季節を、楽しんでいるかのようだ。
「…一体何処で、気に入られたんだか」
薬売り独特の言い回しに、くすぐったいような笑みを浮かべて、は宿への帰路を思い返した。
「あ、きっとお稲荷さんです」
「稲荷、ですか」
「はい、近くにあると聞いたので、ご挨拶に」
「律儀な人、ですね」
「お世話になってますから」
照れたように笑うに、薬売りは少しばかり目を眇める。
「手入れの行き届いた、綺麗な神社でしたよ」
朱塗りの鳥居の奥、手水舎の脇に紅葉の木はあった。
そこを通った時に付いたものだろうか。
首を傾げながらも、はその紅葉の葉を嬉しそうに眺めた。
「もうじき、真っ赤に染まりますね」
そう言って視線を上げると、薬売りと目が合う。
「…あの…?」
薬売りは先程と同じように、の左肩へと手を伸ばした。
その手は、髪ごと首の右側に添えられた。
「貴女はいつも、思い出させて、くれますね」
「?」
「…この世の、美しさを」
薬売りはそう言うと、そのままを抱き込んだ。
「く、薬売りさん…!?」
突然の事に狼狽える。
「あ、あの…私そんな、大層なことは…っ」
見たもの、感じたことを、薬売りに伝えているだけだ。
薬売りは、静かに首を振る。
そうして、柔らかな笑みを浮かべる。
「俺には、気付けないことを、貴女は教えてくれる」
その笑みに、は目を奪われる。
「忘れてしまっていることを、思い出させてくれる」
モノノ怪以外の事に饒舌な薬売りは、珍しい。
「失ったものを、取り戻してくれる…」
片方の手に持つ、まだまだ青い紅葉を見遣る。
「こんな小さなことでも、俺の世界に、色を、付けてくれる…」
春に桜が咲くのも、秋に紅葉が散るのも。
夏に風鈴を聞くのも、冬に雪が舞うのも。
気にせずとも、感じなくとも、今まで歩いて来られた。
麻痺していた、とでも言うのだろうか。
「薬売りさん…」
は、薬売りの胸に顔を埋めると、その背中を抱きしめ返した。
「…さん…」
「薬売りさんに、そんな風に思ってもらえるなんて」
の声が薬売りの胸に響く。
その声を逃がさない様に、薬売りはを抱き締める力を強めた。
薬売りの腕の中で、くすぐったそうに笑う。
「今度は、二人で行きましょう?」
もっと沢山の事を共にしていきたい。
そうして、二人で色を付けていく――。
「稲荷に、ですか?」
「はい。…?」
「稲荷は、遠慮しておきます」
「え!? どうしてですか?」
「…」
END
2015/10/12