暗闇の中、は身体を起こした。
音を立てないように壁際まで移動して座り込み、両手で膝を抱え込んだ。
もう、暗闇は恐くない。
今夜は薬売りもすぐそこに居る。
けれど、眠れない。
もしかしたらモノノ怪を斬った日の夜は、そう易々と眠れないという習慣がついてしまったのかもしれない。
額を膝につけて、堅く目を閉じる。
恐いと、白状してしまった。
一緒にモノノ怪を斬る旅をするのだから、弱音は吐かないつもりでいた。
けれど、毎回モノノ怪の想いの強さに圧倒される。
今日なんて、最悪じゃない。
ふっと、自分を鼻で笑う。
「眠れませんか」
闇の中で衣擦れの音がする。
「すみません、起こしましたね」
「いえ」
それは寝てなかったということだろうか。
「どうか、しましたか」
「いえ。眠れないのが習慣になってしまったみたいで」
見えないだろうが、苦笑いをしてみせる。
「俺は、思い違いを、していたようです」
「え…?」
何を。
まさか、自分を連れてきたことだろうか。
モノノ怪を斬るために利用できると思っていたのに、実はそうでもなかったと気付いたのだろうか。
不安ばかりが頭を過ぎる。
「俺は、モノノ怪を恐いと思ったことはない」
「はい」
それはそうだろうと思う。
「モノノ怪の声が、聞こえるのだから、貴女も同じだと、思っていたんですがね。どうやらそれは、俺の勝手な思い込み、だったようだ」
「薬売りさん…」
薄っすらと見える薬売りの姿を、は驚いたように見る。
けれどすぐに視線を膝に戻す。
「本当は、恐がってはいけないものですよね」
ぽつりと呟いた。
「だって、元は人の心だったんですから。人の世で生きて、死んで、モノノ怪になってしまったんですから。…でも」
だからこそ、恐い。
人の心は、計り知れないほど奥が深くて、複雑に入り組んでいる。
「それでいいのだと、思いますよ」
肯定してくれる薬売りの声は、いつもより人間染みていて優しかった。
「やっぱり薬売りさんは優しいです」
「また、妙なことを」
クスリを笑う気配がする。
は、何故だか自分の言っていることが嘘だと思われているようで僅かにムッとした。
「妙じゃないです。だってそうじゃないですか。声が聞こえるってだけで何も出来ないただの町娘を、見捨てないでいてくれるんですから」
口を尖らせてそっぽを向く。
そんなことをしても、薬売りに見えてはいないだろうに。
流石の薬売りも閉口したのか、暫く沈黙が続いた。
ほら、そうなんじゃない。
はけろりと肩を竦める。が。
「今日、退魔の剣を抜いたのは、どなたでしたか」
「え?」
「あれは、貴女の言葉に、反応したんですよ」
「えっと…」
「俺にしか抜けないものと思っていたので、少々驚いているんですがね」
確かに、モノノ怪の理を見つけたのはだ。
「それでも、ただの町娘、だと?」
「それは…」
「言ったはずですがね。“俺にはモノノ怪を斬ることができる”。“貴女にはモノノ怪の声を聞くことが出来る”と」
旅に誘われたときに、薬売りが言った言葉だ。
訳がわからなくて、その意味が知りたくて、今ここに居る。
「それが…?」
「まだ、分かりませんか」
「はぁ…」
「貴女は、ただの町娘などではない、ということですよ」
その言葉に、は目を丸くする。
「あ、あの…」
ドギマギして言葉が出てこない。
そんなを知る芳もなく、薬売りは更に続ける。
「俺には、貴女が必要なんですよ」
「―っ!」
二の句が継げない。
自分ではなく、自分の力のことを言っていると分かっているのに、には何も言い返すことが出来なかった。
口説いてるつもりですか。
笑いながら言えそうなものなのに、言えなかった。
「…み、妙なことを…」
漸く出てきた言葉は、ぎこちなく闇に消えた。
-END-
女郎蜘蛛、完結です。
こんな終わり方でいいのか不安ですが
これ以上書けないので強制終了…
2009/12/5