たまに、怖くなることがある。
群衆(ヒト)から離れて生きているということに。
厚い雲に覆われた空の下を、一人歩き続ける。
通りを行き交う人は沢山いるのに、誰も知らず、誰も目を合わさない。
知らない人ばかり。
以前は、一人で旅をしていても、感じたことはなかった。
例え、この世ならざるものの声が聞こえるからと言って、そうでない人との隔たりはなかった。
聞こえるだけで何も出来ず、祈るくらいしか出来なかったから。
それは、神仏に願い、祈る事とほぼ同義だと思う。
日々の営みに何ら関わる事ではなかった。
けれど、薬売りさんと共にモノノ怪に深く関わるようになって、その力が強くなった今、同じ空の下に居るのに、他の人たちとは隔たりが出来てしまったように思えてならない。
以前よりはっきりと聞こえる、この世ならざる者の声。
多少なりとも、札に力を込められるようにもなった。
薬売りさんからもらった退魔の諸々も、私の力と相まって、その力を強くした。
橋の中ほどで、立ち止まる。
見渡すと、知らない人々が、私には目もくれず通り過ぎていく。
誰も、私の事なんて知らない。
私の力なんて知らない。
私が身を投じている世界なんて知らない。
乖離している。
薬売りさんが傍にいれば、こんなこと考えないだろう。
薬売りさんと共にする世界は、他の何処よりも私が必要とされる世界だ。
私も、そこに在りたいと思っている。
けれど、その薬売りさんも今はいない。
女人禁制のお寺に出向いている。
その寺のある山そのものが聖域になっていて、女の出入りは許されないのだ。
だから、私は一人、麓の町で過ごしている。
いつ帰るのかも分からない。
一人で過ごすこの町は、よそよそしくて寒々しい。
働き口が見つからず、この町と関わりを持てないでいるのも、こういう考えになる要因なのだと思う。
普段は宿の人と仲良くなれたりもするのだけれど、今回の宿は、あまり客に踏み込もうとしない。
だから、余計に隔たりを感じてしまう。
薬売りさんも、そんな風に思ったことがあるのだろうか。
薬売りさんの事だから、気にしていないのかもしれない。
それとも、慣れてしまった?
見上げると、空を覆っていた厚い雲が、通り過ぎようとしていた。
西の方に青空が広がり始めた。
その空の中にひとつ、取り残されたような小さな雲があった。
まるで、私みたい。
人の中に居られず、放り出されてしまっている自分。
こんな風に考えてしまうのは、やっぱり一人だからだろうか。
あの小さな雲が、自分と同じような気がしてならない。
空を見上げていると、胸が締め付けられるようだった。
「何を、しているんで」
唐突に声がして、振り返った。
聞き慣れた声の主は、もちろん見慣れた人で。
「薬売りさん」
何故だか酷く、安堵した。
互いに距離を詰めると、私は手を伸ばした。
薬売りさんの着物、肘の上辺りを掴んでいた。
さっきまでの不安も心細さも、何処かへ行ってしまったみたい。
「珍しいことも、あるもんで」
私が人前でそんなことをして、薬売りさんは不思議に思ったに違いない。
だって仕方ない。
群衆から離れてしまった私には、もう、薬売りさんしかいないのだ。
この人が居るだけで、こんなにも心強い。
見上げた私の顔を、じっと見下ろす薬売りさん。
「…お帰りなさい。ちょっと、疲れてます?」
「えぇ、さすがに、食傷気味で…」
近づいてくる薬売りさんの顔を、さすがに押し止める。
いくらなんでも、ここでそれはない。
それでも、私も嬉しくて仕方ない。
「貴女も、疲れていますね」
「え…? そんなことありませんけど…?」
「俺も、どうにも貴女が居ないと、ダメらしい」
「薬売りさん?」
薬売りさんも、同じことを思っていたのだろうか。
それ以上何も言わないけれど、薬売りさんも安堵している様に見えた。
あ、っと思った時には、薬売りさんは私をすっぽり抱きしめていた。
こんな往来の中で。
群衆から離れた二人は、こうやって生きていくのだろう。
人々と付かず離れず、一定の距離を保って。
そうして二人、寄り添って。
そうしなければ、生きられないのだろう。
薬売りさんの腕が解かれて、もう一度視線を合わせる。
「さて、帰るとしましょうか」
「はい」
薬売りさんの横に並んで、歩き出そうとした時。
空には、小さな雲が二つになっていた。
何処からか漂ってきたらしい。
二つの雲は、寄り添うように浮かんでいる。
同じ速さで、大きな雲を追っているようだ。
何となく、分かった。
群衆から離れてしまっても、もう、怖くはない。
一人じゃないから。
それに、繋がりを持たないわけじゃないから。
モノノ怪と対峙すると言うことは、人と関わると言う事。
それを続けていくのなら、私は決して一人にはならない。
これであなたも、私も、大丈夫だね。
小さな雲に、心の中で声をかけた。
END
続・リハビリ中。
なかなか思うようには行かないようです。
変換がない事に、後から気付きました…orz
2015/2/22