ついこの前から、怪しげな男の人と旅を始めました。
私は“薬売りさん”って呼んでるけど、本当の名は知りません。
全体的に色素が薄くて、目の周りは紅い隈取で強調させて、淡い青を基調とした着物に、高下駄。大きな行李を背負ってます。
物凄く綺麗な人だと思います。
女の私よりも。悔しいけど…。
見ていると分かりますが、その容姿のお陰で商売はとても繁盛してるみたいです。
とっても目立ちます。
売っている薬も良く効くらしくて、たまに一つの町に長く滞在すると、売りに歩かなくても噂を聞きつけたお客さんが宿に押しかけてくることもあります。
老若男女問わず、人気者みたいです。
なんて、薬売りさんを値踏みするようなことは止めます。ちょっと僻んでるだけです。
別に嫌いじゃないです。
モノノ怪のこともあるけど、私の力を信じてくれて、連れて歩いてくれる恩人です。
だから嫌いなんてことありません。
寧ろ、とっても気になります。
色々聞きたい事が山積みです。
本当の名を始め、挙げだしたら切りが無いほどに。
その中で、一番気になるのは、耳。
あの先の尖った、肉厚の耳です。
どうしてそんな耳なのかとか、良く聞こえるのかとか、耳一つでも疑問に思うことはいくつもあるんですけど、もし“一つだけなら聞いていい”って言われたら、真っ先に聞くのは…。
触り心地はどうですか?
これ以外ないです。
だって、あの厚さ、犯罪的に柔らかそうです。
着物着てるから分かりませんけど、首とか腕とか、見えるところは全部細いのに、あの耳だけはしっかり分厚いんですよ。知ってました?
初めて見たときから気になってるんです。
触ってみたいな、なんて思ったりもしてます。
だけど、そんな事言えるような人だと思いますか?
冗談でも言えません。絶対。
でも…
触ってみたいです。
ぷにぷにっとしてみたいです。
あわよくば耳かきしてみたいです。
絶対に無理なことは分かってるんですけど。
あぁ…あの耳。
薬売りさんから外れないかなぁ…。
本当に、本当に、気になるんです。
「、さん…?」
ぎこちない声で、薬売りが呼ぶ。
「へっ!? は、はい!?」
我に返る。
両手に、箸と茶碗を持ったまましばらく停止していたらしい。
真向かいに座る薬売りは、ほんの少しだけ怪訝そうな顔をしている。
「俺の顔…いや、耳に、何か付いてるんで?」
ばれてる。
「い、いえ、何も。ちょっと考え事をしていただけです」
あはは、と笑って誤魔化す。
とても“耳が気になるんです”なんて馬鹿正直に答えられる訳も無いし、“耳が付いてます”なんて冗談を言える訳もなく。
「そう、ですか」
「そうです、そうです」
「何を、考えていたんで?」
「えぇ?」
何故だかやけに突っ込んでくる。
薬売りに見つめられて固まってしまう。箸を持つ手に力が入る。
見透かされているだろうか。
いっそ楽になってしまおうか。
それで呆れられて、ここで行く道を分かれようと言われたら…。
「く、薬売りさんの、」
耳に触りたい!
「お耳に…」
触りたい!
「入れられる様な大したことじゃないので、気にしないで下さい!」
一息で言い切る。素晴らしい早口。
そして笑顔、のつもり。
の早口に驚いたのか呆れたのか、珍しく目を丸くする薬売り。
が、すぐにいつもの目つきに戻る。
「そう、ですか」
「そうです、そうです」
「では、いつか、“大したこと”になったら、教えてください」
「は、はい?」
薬売りは箸を動かす。は固まる。
何だか良く分からない。
この場合、何がどうなったら“大したことになる”のだろうか。
“大したことになる”というのは、が耳を触りたくて、触りたくて、仕方なくなったときだろうか。
それくらい、我慢出来る。というか、気にしなければいいだけのことだ。
出来るようで、出来ないような。
いや、出来るはずだ。
「多分…ずっと“大したこと”にはならないと思います」
にはどうにも苦笑いしか出来ない。
「そりゃあ、残念」
何も知らないくせに、と内心で呟く。
きっと“耳を触りたい”と言ったら、辟易して軽蔑して別な道を行けというくせに、と。
でも、もし、いつかそう言える日が来たら、嬉しいです。
多分、来ないと思いますけど…。
-END-
そう、耳が気になって気になって仕方なかったのは私です。
2009/9/20