[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。






幕間第十巻
~執着~
















 存外、早いうちに触ってしまった。












 鏡台の前で髪に櫛を入れている蒼衣を横目で見ながら、薬売りはぼんやりと思った。


 蒼衣の髪に触れてはいけないと、自分に言ったのはついこの間のことだ。


 どんなに蒼衣の髪が綺麗で、自分の手で艶を弄びたいと思っても、出来ないことなのだ。
 髪に触れてもいいほど、近しい間柄ではないのだから。
 世間とかけ離れた生活をしている自分でも、綺麗なものを愛でたいというくらいの感情はあるし、女の髪に容易く触ってはいけないというくらいの常識はある。


 だから、あの時蒼衣の髪を触ってしまったのは、本当に無意識だった。
 モノノ怪の“理”を引き出してくれた感謝と、恐いながらもモノノ怪と対峙した労を労ったようなものだ。




 けれど、思ったとおり。




 蒼衣の髪は正に絹のような手触りだった。
 触れたのはたった一瞬。
  それなのにこんなにも掌に、指先に感触が残っている。




 もう一度…。




 薬売りは軽く息を吐いて、その考えを打ち消した。


 旅をしていると、ものへの執着心というものは徐々に薄らいでいくものだ。
 一所に留まり続けるということがないから、土地にも人にも、食べ物や習慣にも執着は殆んどないといっていい。
 拘るのはモノノ怪と薬くらいで充分なのだ。
 きっと、この娘とは一緒に旅をしているせいで、他のものよりも興味が湧いているだけなのだろう。
 いつか別れる日が来ても、躊躇うことなく別れられるだろう。









「薬売りさん?」


 思いのほか考え込んでいたのか、蒼衣が心配そうに薬売りの顔を覗き込んでいる。
 この娘は、瞳も漆黒なのだ。
 そんな事を考える。


「どうかしましたか? お加減でも?」
「いえ、そういう訳では」
「なら、いいですけど。あの、準備できました」
 蒼衣は荷物を持って笑う。
「いつも、そんなに時間のかかるものですか」
「あ…すみません。待たせてしまいましたよね」
 笑顔が翳る。
「いつもは待ち合わせる時間に間に合うように支度するんですけど、その…」
 同室になって待ち合わせる必要がなくなったから、一応の目安の時間を決めるだけ。
 薬売りの支度などあってないようなものだから、必然的に蒼衣の支度が整うのを待つことになる。
「違いますよ」
「え?」
「長い髪を整えるのは、難儀でしょうと、言っているんですよ」
 事実、蒼衣が髪に掛ける時間は長かった。
「あぁ、いえ。私は慣れてしまっていますから。でも時間が掛かるのは本当なので、切ってしまおうかとも思っているんですけど」


 苦笑する蒼衣に、薬売りは僅かに眉を顰めた。


「それは、ダメですよ」


 考えるより早く言っていた。


「えっと…?」
「切ってはダメですよ。折角の、綺麗な髪、なんですから」
「あの…、先に行きます」
 蒼衣は薬売りに背を向けて障子を開けて出て行ってしまった。


 薬売りは、蒼衣の居なくなった部屋で一人、自嘲する。













 これが、執着というものだったな…。






















-END-









年末年始に急遽公開した期間限定短編が終って
やっと長編が再開しました。
でもきっと停滞気味になります…


幕間第七巻と女郎蜘蛛の大詰めを受けての話です。
ここで(どの部分かは言いません)薬売りさんが問題発言してますが
実際には悩むんですよ。
ふふん。


2010/1/17