【壱】
「やはりもう少し、ここに居たほうが、いいようですね」
「え…?」
薬売りさんに引っ張られて、またさっきと同じように袖で覆われる。
耳を澄ますと、遠くの方でガサガサと葉の掠れる音がする。
それもいくつも。
賊が引き返してきたのかもしれない。
また、体中に力が入る。
声が近付いてきて、何を言っているのかもはっきりと聞こえた。
「何処行きやがったんだ」
「あいつ、薬売りだろ? 薬と言やぁ高値で売れるからな」
「…ったく、惜しいことしたぜ」
確かに薬は高く売れる。
しかも、薬売りさんの薬はよく効くから、少し値が張っても買い求める人も居る。
きっと薬売りさんは、面白くない顔をしているはずだ。
「それに見たか、あの女」
さっきよりも声高な、やけに嬉しそうな声が聞こえた。
「あぁ、あの連れの女」
私のことだと分かって、急に身体が震えた。
「えらい上玉だったなぁ」
「薬よりも女の方が高く売れたんじゃねえか?」
「違えねぇ」
「でもよぉ、売る前に一度」
突然、音が途切れた。
薬売りさんの手が、私の耳を覆っていた。
耳を塞いだときの独特の低い音と一緒に聞こえるのは、自分と薬売りさん、どちらのものか分からない、身体が脈打つ音。
そっと見上げると、薬売りさんは無表情だった。
声のする方に視線だけを向けて、睨んでいるようで少し恐い。
暫くの間、そのままだった。
耳を塞がれているから、賊がどうなったのか、私には分からない。
そっと、耳から薬売りさんの手が離れた。
低い音から解放された代わりに、耳元に息がかかった。
「ここで静かに、待っていてくれませんか」
低く囁く声に、言われなくても動けなくなった。
薬売りさんは音もなく窪みから出て、茂みの間を縫って外へ出て行った。
それから聞こえてきたのは、争いの音だった。
「もう、大丈夫、ですよ」
少しも立たないうちに、賊たちの気合の声も、何かがぶつかり合う音も止んだ。
そうして静まり返った中、聞こえてきた薬売りさんの声。
窪みから抜け出すと、薬売りさんが立っていた。
その後ろの方で、何人もの男達が倒れているのが見える。
「薬売りさん、大丈夫ですか?」
「俺は、何とも」
駆け寄ってみたけれど、本人の言うとおり無傷だった。
「初めから、こうしておけば、良かった」
薬売りさんは独り言のように呟いて、溜め息をついた。
「気を失っている、だけですよ。今のうちに…」
そう言って、薬売りさんは私の手を引いた。
私のことを、考えてくれたのだろうか。
腹を立ててくれたのだろうか。
あんな風に言われて、私が、傷ついたと。
賊の手に落ちていたら、私は…と。
どんな気持ちが込められているのかは分からないけれど…
薬売りさんは、しっかりと私の手を掴んでくれている―。
-END-
何故か分岐してますが
深い意味はありません。
単に二つ思いついただけです。
こちらはノーマルな感じで。
ヒロインのことを言われて
腹を立てた薬売りさんでした。
2010/8/8