幕間第二十六巻
〜気になるんです〜





 強い日差しが照りつけてくる。
 けれど、私達は辛うじてそれを避けている。
 木々に覆われた山間の細い道を選んだお陰。


「暑いですね…」
「夏、ですから」


 うんざりする私の隣で、薬売りさんは涼しげな顔をして、いつもと変わらない。
 暑そうな素振りもしなければ、汗一つかいてない。
 もしかして、自分の周りだけ結界か何かを張ってるんじゃないかと思う。


「少し、休みますか」
「え?」
「あちらに、沢が、ありますよ」


 薬売りさんが示したほうから、微かに水の流れる音がした。







「冷たくて気持ちいいですよ、薬売りさん!」

 透き通った沢の水に、手を浸す。
 思わず、笑いかけた。
 でも、薬売りさんは木陰に座り込んで、静かにこっちを見ているだけ。
 休もうと言い出した本人は、本当に休んでいる。

「いいんですか? 本当に気持ちいいですよ?」
「俺はここで、いいんですよ」

 確かに沢に入ると枝で出来る影はなくなってしまうけど、水の冷たさで気にならないのに。
 焼けるのがいやなのかな、とも思う。
 だったら、と私は手拭を取り出して、それを水に浸す。
 軽く絞って沢を離れて、薬売りさんが座る木陰に急ぐ。

「これで、汗でも拭ってください」

 手拭を差し出す。
 汗をかいてるようには見えないんですけどね。

「…」

 無反応の薬売りさん。
 私を見上げてから、ゆっくりと瞬きをした。
 それから、少しだけ、口角を上げた。

「あの…」
さん、手を、貸してもらえませんか」
「手、ですか?」
「そう。手、です」
「…濡れてますけど」
「濡れていたほうが、いいんですよ」

 良く分からないけれど、とりあえず薬売りさんの前に、手を差し出した。
 すると、手首を掴まれて引っ張られた。

「な…!?」

 薬売りさんの隣に勢い良く膝を着く。
 地面が草に覆われてなかったら、きっと膝を痛めてた。


「薬売りさん!?」

 危ないじゃないですか、と言おうとしたのに。

「あ…の…」


 思わず声が震えた。
 何が起こったのか、一瞬分からなかった。


 薬売りさんは、掴んだままの私の手を、自分の耳に当てたのだ。
 つまり、私は、薬売りさんの耳に触っているという事。



 耳…ですよ。

 薬売りさんの、耳。



 突然の事に、どう反応していいのか全く分からない。
 この暑さなのに凍り付いたかのように動けなくなってしまった。


 だって、薬売りさんの耳!


 夢に…までは見なかったけど、気になって気になって仕方が無かった薬売りさんの耳。
 蝶に先を越されて嫉妬して、この先、秋になったら蜻蛉に先を越されるんだと思ってた。


 それなのに…


 思っても見ないところで、薬売りさんの耳に触ってしまった。
 しかも、私から頼むでもなく、薬売りさん自ら。



 どうしよう、この感触。
 肉厚で柔らかい。
 耳全体が耳たぶみたい。



「少しの間、耳を、冷やしていてくれませんかね」
「え…?」
「暑くて、敵わないんですよ」
「…あ…」

『こんなに長いと、冬は凍るほど寒くて、夏は焼けるように暑いってことですよ。耳の先がね』

 確かに、触れた耳は熱を持っている。
 炎天下を歩いてきたわけじゃないのに、こんなに熱い。

「でも、冷やすぐらい自分で出来ますよね」
「あそこまで出て行っても、暑さが増すだけ、なんですよ」

 水分なんて、直ぐに蒸発してしまうってこと?

「心地いい、ですね」
「あの、でも…私の手が触れてたら暑くないですか?」
「濡れているうちは、大丈夫、ですよ」
「そうですか?」
「ええ」

 そうして漸く手を離してくれた。
 解放された手を引き戻して、胸の前でもう片方の手で包み込む。
 落ち着かなくて、そわそわしてしまう。
 こんな気紛れ、きっともう起こらない。
 さすがに“ぷにぷに”なんて出来なかったけど、これは本当に奇跡だ。



「毎年、暑さ寒さに閉口してきたが、どうやらこれからは…」
「え?」



 今、何て言ったの。
 これからは?
 それって、どういう意味ですか。


 その意味を勝手に想像して、なんだか更に体温が上がってしまった。




「おや、顔が赤いですね」







「あ、暑さのせいです…!」






















-END-







ヒロイン、念願の薬売りの耳ですね!
おめでとう!!

季節がずれてきましたが
本編は実際の季節とは関係なく進めて行きます。


2010/10/17