強い日差しが照りつけてくる。
けれど、私達は辛うじてそれを避けている。
木々に覆われた山間の細い道を選んだお陰。
「暑いですね…」
「夏、ですから」
うんざりする私の隣で、薬売りさんは涼しげな顔をして、いつもと変わらない。
暑そうな素振りもしなければ、汗一つかいてない。
もしかして、自分の周りだけ結界か何かを張ってるんじゃないかと思う。
「少し、休みますか」
「え?」
「あちらに、沢が、ありますよ」
薬売りさんが示したほうから、微かに水の流れる音がした。
「冷たくて気持ちいいですよ、薬売りさん!」
透き通った沢の水に、手を浸す。
思わず、笑いかけた。
でも、薬売りさんは木陰に座り込んで、静かにこっちを見ているだけ。
休もうと言い出した本人は、本当に休んでいる。
「いいんですか? 本当に気持ちいいですよ?」
「俺はここで、いいんですよ」
確かに沢に入ると枝で出来る影はなくなってしまうけど、水の冷たさで気にならないのに。
焼けるのがいやなのかな、とも思う。
だったら、と私は手拭を取り出して、それを水に浸す。
軽く絞って沢を離れて、薬売りさんが座る木陰に急ぐ。
「これで、汗でも拭ってください」
手拭を差し出す。
汗をかいてるようには見えないんですけどね。
「…」
無反応の薬売りさん。
私を見上げてから、ゆっくりと瞬きをした。
それから、少しだけ、口角を上げた。
「あの…」
「さん、手を、貸してもらえませんか」
「手、ですか?」
「そう。手、です」
「…濡れてますけど」
「濡れていたほうが、いいんですよ」
良く分からないけれど、とりあえず薬売りさんの前に、手を差し出した。
すると、手首を掴まれて引っ張られた。
「な…!?」
薬売りさんの隣に勢い良く膝を着く。
地面が草に覆われてなかったら、きっと膝を痛めてた。
「薬売りさん!?」
危ないじゃないですか、と言おうとしたのに。
「あ…の…」
思わず声が震えた。
何が起こったのか、一瞬分からなかった。
薬売りさんは、掴んだままの私の手を、自分の耳に当てたのだ。
つまり、私は、薬売りさんの耳に触っているという事。
耳…ですよ。
薬売りさんの、耳。
突然の事に、どう反応していいのか全く分からない。
この暑さなのに凍り付いたかのように動けなくなってしまった。
だって、薬売りさんの耳!
夢に…までは見なかったけど、気になって気になって仕方が無かった薬売りさんの耳。
蝶に先を越されて嫉妬して、この先、秋になったら蜻蛉に先を越されるんだと思ってた。
それなのに…
思っても見ないところで、薬売りさんの耳に触ってしまった。
しかも、私から頼むでもなく、薬売りさん自ら。
どうしよう、この感触。
肉厚で柔らかい。
耳全体が耳たぶみたい。
「少しの間、耳を、冷やしていてくれませんかね」
「え…?」
「暑くて、敵わないんですよ」
「…あ…」
『こんなに長いと、冬は凍るほど寒くて、夏は焼けるように暑いってことですよ。耳の先がね』
確かに、触れた耳は熱を持っている。
炎天下を歩いてきたわけじゃないのに、こんなに熱い。
「でも、冷やすぐらい自分で出来ますよね」
「あそこまで出て行っても、暑さが増すだけ、なんですよ」
水分なんて、直ぐに蒸発してしまうってこと?
「心地いい、ですね」
「あの、でも…私の手が触れてたら暑くないですか?」
「濡れているうちは、大丈夫、ですよ」
「そうですか?」
「ええ」
そうして漸く手を離してくれた。
解放された手を引き戻して、胸の前でもう片方の手で包み込む。
落ち着かなくて、そわそわしてしまう。
こんな気紛れ、きっともう起こらない。
さすがに“ぷにぷに”なんて出来なかったけど、これは本当に奇跡だ。
「毎年、暑さ寒さに閉口してきたが、どうやらこれからは…」
「え?」
今、何て言ったの。
これからは?
それって、どういう意味ですか。
その意味を勝手に想像して、なんだか更に体温が上がってしまった。
「おや、顔が赤いですね」
「あ、暑さのせいです…!」
-END-
ヒロイン、念願の薬売りの耳ですね!
おめでとう!!
季節がずれてきましたが
本編は実際の季節とは関係なく進めて行きます。
2010/10/17