「く、薬売りさん」
「何ですか」
「夏、ですね」
「今更、何を…」
呆れてます。
何を言い出すのかと、絶対呆れてます。
そうです。
夏です。
快晴続きなのにじっとりとしていて、蝉が煩い夏です。
あの時と同じ季節です。
初めて薬売りさんを知ってから、一年、経ったんです。
一緒に旅を始めたのは冬の終わりだったけど、一番最初に出会ったのは、夏でした。
とても良く覚えてます。
何処かぼんやりとした日だった。
女の人の声を聞いて、薬売りさんに出会って…。
こんな風に、一緒に旅をするなんて思ってなかった。
「何が、言いたいんで?」
「…いえ…」
きっと覚えてるわけはないから…。
薬売りさんにとっては、数あるモノノ怪退治のうちのひとつをした日に過ぎないから…。
「ほら、夏場は色んなところで怪談話なんかが流行るから」
言い出せずに、適当な事で誤魔化す。
「その噂話を辿るとモノノ怪に遭えたりとか…」
「そりゃあ便利、ですがね」
何だか、更に呆れてるような気がします。
いいえ、絶対呆れてます。
私はただ、去年の夏のことを、ほんの少しでも覚えていてくれたらって…。
雲ひとつない空が、いっそ恨めしい。
半歩下がって、項垂れる。
日よけの笠が、丸く陰を落としている。
汗が、こめかみを伝う。
「花嫁と、猫を見送ったのも、こんな日、でしたね…」
え…
ハッと顔を上げると、薬売りさんがこちらを見て口角を上げていた。
「蝉が、やけに鳴いていた」
そう言って、眩しそうに目を細めて天を仰ぐ薬売りさん。
手を翳して、顔に影を作っている。
「それなのに貴女は…」
「わ、私ですか!?」
「ただひたすらに、手を合わせていた…」
「え…っと、はい」
それしか出来ないから。
「幻かと、思いましたよ」
「私が…?」
「貴女も、消えてしまうんじゃあ、ないかとね」
目を細めたまま、私に視線を向けてくる。
「消えるなんて、ある訳ないじゃないですか」
私は生きた人間ですから。
「そう、ですね」
「どうしてそんなふうに思ったんですか?」
私の問いに、薬売りさんはきょとんとした顔をした。
それから少しの間黙り込んでしまった。
何か、考えている?
「さぁて、何故、でしょうね」
いつもは本音を隠す人だけれど、今回は本当に分からないみたいだ。
「でも、ありがとうございます」
「何のお礼、ですかね」
「覚えていてくれた事です」
「そう、ですか…」
「そうです」
本当に、嬉しかったから。
初めて会ったときのことを、覚えていてくれたこと。
私を、みつけてくれたこと。
次の夏も、こんなやりとりがしたい。
心から、そう願う。
-END-
そう、二人が出会ったのは化猫の日。
それをちょっと振り返ってみました。
次の更新は、その薬売りさん視点になります。
2010/10/24