幕間第三十四巻
〜傷痕〜






 部屋の入口から奥が見えないよう、衝立を立てる。
 鴨居にも、着物を掛けた衣紋掛けを引っ掛けておく。
 これで、薬売りが部屋に戻ってきても、こちらを見ることはない。
 入ってきたらまず、“こっちに来ないで下さい”と声を掛けるのだ。


 は長襦袢姿で鏡に背を向けて座った。
 先日のモノノ怪退治で負った怪我の具合を見るためだ。
 怪我をした直後、打ちつけた背中は内出血が酷くて濃い紫色をしていた。


 髪を纏めて、前に持ってくる。
 合わせを緩めて、背中を露わにする。


「やっぱり…」


 紫色をしていた背中は、すっかり元の色に戻っている。
 手を回して触ってみても痛みは微塵も感じない。


 もう治ってしまった。


 腕の傷も、五日もしないうちに綺麗になくなった。
 けれど、まだ手拭で覆っている。


 治るには余りにも早すぎるから―。







 小さい頃から、怪我の治りは早かった。


 転んで出来た傷も、大抵は三日もすれば瘡蓋が取れた。
 まだ包丁に慣れていない頃、指を切ったこともあったけれど、それもすぐに塞がった。


 近所の皆で焚き火をしていて、何人かが同時に火傷をしたときも、は水ぶくれにすらならず、他の誰よりも早く治ってしまった。
 痕も残らずに。




 今回の怪我も、すぐに治る事は分かっていた。


 けれど、薬売りに変に思われたくないから、まだ治らないふりをしている。


 自嘲気味に鏡の中の自分を見る。




「…おや…?」



「!!? く、薬売りさん!?」

さん…? 何故、こんな所に、着物を掛けているんで」

「あの、すみません! 怪我の具合を見てるので、こっちに来ないで下さ…」




―ばさり。







「…」








「…」








「…」








「―きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」




「おっと、こりゃあ、すみません」




 は慌てて襦袢の合わせを戻して、薬売りに背を向ける。
 薬売りはから視線を外す。


「鴨居から、落ちて、しまいました。うっかり、うっかり」


 縮こまるに対して、薬売りは特に気まずい風ではない。
 薬売りは足元に落ちた衣紋掛けと着物を拾い上げる。


「き、着物、着ますから、向こうに…行っていてくれませんか」


 背中で必死に訴えて、薬売りの気配が遠ざかるのを待つ。


 けれど、の意に反して、背後で小さく床が鳴った。
 そうして薬売りが近付いてくるのが分かる。


「あの…っ」


 もう一度訴えようとしたとき、両肩に何かが触れた。
「…?」
 見れば、衣紋掛けに掛けておいた自分の着物。
 ゆっくりと振り返ると、片膝を付いた薬売りが、すぐ後ろにいた。
 着物を掛けてくれた手は、まだの両肩に触れている。
「な…」
 状況を理解した途端、心臓が早くなった。
 薬売りから顔を背けて、は俯いてしまった。


「怪我の、具合は」
「…もう大分いいです」
「そう、ですか」
「はい」
「打ち身に効く軟膏を、仕入れてきたんですが、ね」
「い、いえ、大丈夫です」
「手に入るまで、時間が、かかってしまいましたね」
「そんな…気にしないで下さい」

 会話の間も、薬売りの手は離れない。
 触れられているところが、妙に気になる。

「言ったじゃないですか、すぐに治りますって」
「どうやら、そのようで」
「!? 見たんですか!?」
「いえいえ、何も見ちゃあ、いませんよ」
「でも今“そのようで”って」
「言いませんよ」
「言いました!」
「気のせい、ですよ」
「とぼけないで下さいっ」

 一体、薬売りはいつから部屋にいたのか。
 気付かずにいた自分が腹立たしい。
 背中どころか、広く開けていた胸元まで見られていたかもしれない。
 何だか泣きたくなってきた。


「痕が残らなくて、良かった」
「…この位じゃ残りません」
 やっぱり見たんじゃないですか。
「残ってしまったら、俺が、責任を取らなけりゃと、思っていたんですがね」
「…せ…!?」

 何を言い出すのかと、は思わず顔を上げた。
 薬売りはいつものように口角を上げている。
 これは冗談だと、すぐに悟った。


「冗談はやめてください」


 努めて明るく、冗談を受け流すための声色を出した。
 例え冗談でも、にとってそれは特別な言葉。
 けれど、それを受け流さなければいけないことは、充分に分かっている。


「帯締めるので、向こうに行っててもらえますか?」


 はもう一度薬売りに背を向けた。
 少しの間を置いて、薬売りがその場を離れる気配がした。
 薬売りが衝立の向こうに行ったことを確認して、手早く着物を着付ける。












「怪我も治ったし、これならいつもの速さで歩けます」


 衝立をどけると、は笑いながら薬売りの向かいに座った。


「無理は、しないでいただきたく」
「大丈夫です、お気遣いありがとうございます」


 道中、の怪我を気にして歩いたため、次の町に着くのが予定よりも若干遅くなったのは事実だ。


「お酒がいいですよね」
「いえ」
「薬売りさんこそ、無理して禁酒なんてしないでください」
「…ばれて、いましたか」
「もちろんです。どれだけ一緒にいると思ってるんですか」
「さぁて、どれだけ、でしょうね」
「私の怪我、治りましたから、解禁してください」
「…」
「この前モノノ怪を斬ったときの清めだってしてないじゃないですか」
「…これは、自戒、なんですよ」
「私が許します」


 は杯を差し出す。
 薬売りが受け取るまで、そのまま差し出しているつもりだ。


「薬売りさんはちゃんと私を守ってくれたし、痕も残りませんでした。自分を責める理由なんて何処にもないじゃないですか」
「…さん…」
「さ、ぐいっと行っちゃってください」
 半ば強引に杯を押し付けて、は盆の上の徳利を掴んだ。
「貴女には、敵いませんよ」


 そう言いながらも、薬売りは笑みを浮かべて杯を傾けた。


「敵わないついでに、ひとついいですか?」
「何でしょうか、ね」
「どうせ取るんだったら“傷痕”の責任より、“見た”責任を取ってくださいね」


 からかっているのだと分かるよう、わざと意地悪そうな微笑を浮かべる。
 薬売りは杯を持った手を止めて、を見る。
 そうしてと同じように、意地悪そうに微笑んだ。










-END-







2011/3/27