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いつもよりひんやりとした風が、蒼衣の頬を撫ぜた。
その風から逃れようと、寝返りをうとうとしてふと目を覚ました。
瞳に映ったのは、障子の向こうにあるはずの草叢。
「ん…?」
よくよく見てみると、障子は枠だけだった。
蒼衣はゆっくりと起き上がると、もう一度障子を見た。
やはり枠だけで、その向こうには草が生い茂っている。
「薬売りさ…」
振り返ると、薬売りはこちらに背中を向けて立っていた。
その部屋と居間との仕切りになっていた障子の引き手に手を掛けたまま、薬売りは動かないでいた。
「一体…」
蒼衣は薬売りに聞こうとして言葉を切った。
薬売りの肩越しに見た居間には、誰も居なかった。
朽ち果てた布団の残骸と、埃だらけの鉄瓶や椀。
人が住んでいた気配など、まるでなかった。
「…薬売りさん…」
「この世ならざるもの、だったようで」
「そんなっ」
気が付かなかった。
「どうしても、薬が欲しかったようで」
「え?」
「子が、咳に苦しんだまま天に昇ることが、心残りだった」
そんなところでしょう、と薬売りは言った。
「私…」
気付かなかった。
この世ならざるものだと。
あの親子が、この世に未練を残して死んでいったものだったと。
引き手から手を離して、薬売りは蒼衣のほうへ向き直った。
俯いた蒼衣が、考えている事など、薬売りには手に取るように分かる。
また、自分を責めているのだ。
「蒼衣さん」
声を掛けても、蒼衣は顔を上げようとはしない。
「気付くとか、気付かないとかいう問題では、ないと思いますよ」
薬売りは、蒼衣を通り越して、縁側に出た。
そこから風に揺れる草を眺める。
「もとより、俺達にしか見えていなかったんですから」
さわさわと、緑が静かな音を立てた。
「それでも…」
例え自分達だけにしか見えなくても、それをこの世ならざるものと認識しているかどうかでは、心構えが違う。
きちんとその思いを引き受ける覚悟が出来ているかどうかだ。
「そんなに、気負わなくても、いいんですよ」
「でも」
「どうしたって貴女は、この世ならざるものの思いを、引き受けてしまう性質、なんですから」
違いますか、と問う薬売りに、蒼衣は首を振ることは出来なかった。
一緒にいきたい。
音では決して変換されることのないもの。
いきたいは、生きたいとか行きたいではなく、逝きたい、だった。
蒼衣には、頭の何処か、心の何処かで分かっていた。
これで一緒に。
その言葉の先が、逝ける、だということも。
一緒に逝きたい。
これで一緒に逝ける。
二人の思いは、分かっていた。
蒼衣は居間に向かって手を合わせた。
「二人の思いは、私が大事に抱えていきます」
大切な人と一緒に居たいのだと。
「行きますよ」
薬売りに声を掛けられて、蒼衣はゆっくりと振り返った。
その瞳には、僅かに涙が浮かんでいる。
けれど蒼衣は、すぐに拭ってなかったことのようにして笑った。
「はい」
薬売りは、小さく溜め息を吐いた。
「まったく、貴女ってぇ人は…」
「何ですか?」
「そのうち、泣き虫に効く薬ってぇのを、探してこなければ、いけませんね」
「何ですか、それ! 私が泣き虫ってことですか?」
「他に誰が、居るんで」
「~~~っ」
そんな言い合いをしながら二人が家を出ると、近くの草叢でガサガサと音がした。
「…?」
音のした方を見ても、何もいない。
暫く待ってみても、何かが姿を現す事は無かった。
けれど―。
“ありがとう”
蒼衣には、微かにそう聞こえた気がした―。
-END-
2011/4/17