宿についてからも、何だか空気が重かった。
薬売りさんは何故だか機嫌が悪そうで、“話しかけるな”と背中が訴えている。
何がいけなかったの?
薬売りさんが怒るような事を、私はしたんだろうか。
仲睦まじい二人が眩しくて。
薬売りさんが私のことをどう思ってるのか気になって。
道端で男の人と話して。
薬売りさんがそれを聞いていて…。
いつもなら会話なんてなくても、居心地が悪いなんて感じないのに。
部屋をくるくると廻る天秤さんすら、遠慮しているような気がする。
耐えられそうにない…。
「ちょっと、出てきます」
立ち上がって、薬売りさんの背中を通り過ぎる。
「こんな時分に、何処へ」
静かな声に、びくりと肩が震えた。
何処にも宛なんかない。
ただ、ここに居られないだけ。
「…」
答えないまま、襖の引き手に手をかける。
「分かって、いるんですよ」
「…え…?」
「俺が、悪い事、くらい」
薬売りさんが、悪い?
何に対して、どう?
私は引き手に手をかけたまま、固まってしまった。
「あの、意味がよく…」
薬売りさんは、こちらを向こうとはしない。
背を向けたまま。
「俺が、悪いんですよ…」
「薬売りさんの何が、ですか?」
「…」
それだけしか、答えてくれない。
そんなに、何を思いつめているんですか。
何に、困っているんですか。
何を、考えているんですか。
そんなに悩ませて、困らせて。
何だか、逆に私が悪いみたい。
私は、引き手に掛けていた手を下ろして、薬売りさんの背中を眺めた。
いつも通り背筋はピンと伸びているのに、何処か頼りなく感じた。
「私はただ…」
その背中に掛ける私の声も、小さくて、弱くて、頼りなかった。
「通りを歩いていた二人が、眩しかったんです」
それがこの状況の元凶の様な気がして、言葉に出していた。
「通りの、二人…?」
私の言葉は、どうやら思っても見ないものだったらしい。
僅かに首を傾げている。
「その…、仲が良さそうで…」
想い人にこんな事を言うのは、躊躇われる。
「幸せそうで…」
「…幸せそう…」
「えっ、いえ、私が幸せじゃないとか、そういうことではなくて。ただ…」
あれから、お莉津さんから、“幸せに”と言われてから、何故だか考えるようになってしまって。
私は充分幸せだと思っているのに、心の何処かで、もっと違う、他の幸せがあるんじゃないかって、思ってしまっている自分が居て。
何となく、誤解されてしまいそうで、慌てて言葉を繕った。
「眩しかったんです」
私とは違った輝き方をしているみたいで。
違う色の光を放っているようで。
あの二人の事を思い出すと、またその眩しさに心が焼ける。
「それで、何だかぼんやりしてて…」
薬売りさんのことを考えていたら、胸が痛くて。
畳を映していた視界に、入り込んで来たものがあった。
足。
薬売りさんの足。
顔を上げると、すぐ傍まで薬売りさんが来ていて。
思わず後ずさると、襖がその先を遮った。
「やはり、俺が悪い」
「…だから…」
その理由は何なんですか。
そう聞こうとしたのに、聞けなかった。
薬売りさんが、私を、抱きしめたから―。
薬売りさんの両腕が私の背中に回されて、一瞬の間を置いて離れていった。
何が起こったのか、すぐには理解できなかった。
見慣れた青が近付いて、視界が遮られて、また青が見えたと思ったら、その青は私を通り過ぎて部屋を出て行った。
薬売りさんが、私を抱きしめた。
モノノ怪や、その他の危険なことから守るためじゃなく。
ただ、困ったような、苦しそうな顔をして。
私はよろよろと座り込んだ。
何を考えるでもなく。
ただ、近付いて、すぐに離れていった青を何度も思い返して。
-END-
2011/7/17