幕間第四十四巻
〜奥・弐〜




 宿についてからも、何だか空気が重かった。
 薬売りさんは何故だか機嫌が悪そうで、“話しかけるな”と背中が訴えている。

 何がいけなかったの?
 薬売りさんが怒るような事を、私はしたんだろうか。

 仲睦まじい二人が眩しくて。
 薬売りさんが私のことをどう思ってるのか気になって。
 道端で男の人と話して。
 薬売りさんがそれを聞いていて…。

 いつもなら会話なんてなくても、居心地が悪いなんて感じないのに。
 部屋をくるくると廻る天秤さんすら、遠慮しているような気がする。
 耐えられそうにない…。


「ちょっと、出てきます」


 立ち上がって、薬売りさんの背中を通り過ぎる。
「こんな時分に、何処へ」
 静かな声に、びくりと肩が震えた。
 何処にも宛なんかない。
 ただ、ここに居られないだけ。
「…」
 答えないまま、襖の引き手に手をかける。
「分かって、いるんですよ」
「…え…?」
「俺が、悪い事、くらい」
 薬売りさんが、悪い?
 何に対して、どう?
 私は引き手に手をかけたまま、固まってしまった。
「あの、意味がよく…」
 薬売りさんは、こちらを向こうとはしない。
 背を向けたまま。
「俺が、悪いんですよ…」
「薬売りさんの何が、ですか?」
「…」
 それだけしか、答えてくれない。
 そんなに、何を思いつめているんですか。
 何に、困っているんですか。
 何を、考えているんですか。


 そんなに悩ませて、困らせて。
 何だか、逆に私が悪いみたい。


 私は、引き手に掛けていた手を下ろして、薬売りさんの背中を眺めた。
 いつも通り背筋はピンと伸びているのに、何処か頼りなく感じた。

「私はただ…」

 その背中に掛ける私の声も、小さくて、弱くて、頼りなかった。

「通りを歩いていた二人が、眩しかったんです」

 それがこの状況の元凶の様な気がして、言葉に出していた。
「通りの、二人…?」
 私の言葉は、どうやら思っても見ないものだったらしい。
 僅かに首を傾げている。
「その…、仲が良さそうで…」
 想い人にこんな事を言うのは、躊躇われる。
「幸せそうで…」
「…幸せそう…」
「えっ、いえ、私が幸せじゃないとか、そういうことではなくて。ただ…」
 あれから、お莉津さんから、“幸せに”と言われてから、何故だか考えるようになってしまって。
 私は充分幸せだと思っているのに、心の何処かで、もっと違う、他の幸せがあるんじゃないかって、思ってしまっている自分が居て。
 何となく、誤解されてしまいそうで、慌てて言葉を繕った。
「眩しかったんです」
 私とは違った輝き方をしているみたいで。
 違う色の光を放っているようで。
 あの二人の事を思い出すと、またその眩しさに心が焼ける。
「それで、何だかぼんやりしてて…」
 薬売りさんのことを考えていたら、胸が痛くて。



 畳を映していた視界に、入り込んで来たものがあった。
 足。
 薬売りさんの足。

 顔を上げると、すぐ傍まで薬売りさんが来ていて。
 思わず後ずさると、襖がその先を遮った。
「やはり、俺が悪い」
「…だから…」
 その理由は何なんですか。
 そう聞こうとしたのに、聞けなかった。




 薬売りさんが、私を、抱きしめたから―。




 薬売りさんの両腕が私の背中に回されて、一瞬の間を置いて離れていった。
 何が起こったのか、すぐには理解できなかった。
 見慣れた青が近付いて、視界が遮られて、また青が見えたと思ったら、その青は私を通り過ぎて部屋を出て行った。


 薬売りさんが、私を抱きしめた。

 モノノ怪や、その他の危険なことから守るためじゃなく。

 ただ、困ったような、苦しそうな顔をして。


 私はよろよろと座り込んだ。
 何を考えるでもなく。
 ただ、近付いて、すぐに離れていった青を何度も思い返して。
















-END-







2011/7/17