「もうこれは、必要ありませんね」
そう言って、薬売りさんは衝立を取り去った。
それを聞いた私の顔が、盛大に赤くなったのを、薬売りさんは口角を上げて笑っていた。
その部屋には、二組の布団が並んで敷かれているだけ。
今まではその布団の間に衝立があった。
でも、お互いの気持ちを確認して、“薬売り”と“連れ”、あるいは“助手”という関係ではなくなった。
自分でもそれは分かっているのだから、衝立がなくなることに対して、何の反論も出来なかった。
でも、本音を言えば、恥ずかしい…。
だって、自分のすぐ横で薬売りさんが寝てるって…。
ちょっと寝返りを打って、ちょっとぼんやり目蓋なんて開けた日には、そこには眠る薬売りさんが見えるわけで。
考えただけでも、心臓に悪そうだ。
百歩譲って、自分が見る側ならまだマシだと思う。
薬売りさんが寝ているところを見るのは、ドキドキするけどきっと嬉しい。
他の誰にも見れない、私だけのものだから。
綺麗な横顔とか、長い睫毛とか、柔らかそうな耳とか。
いつもはじっとなんて見てられないところを好きなだけ見ていられる。
でも、それが逆の立場だったら…?
私が眠っているのを、薬売りさんが見ていたら?
そんなの困る!!
自分が寝てる顔なんて、自分で見られない。
だから自分がどんな顔をして寝てるのか、想像がつかない。
もし、物凄く酷い顔で寝てたら…
口開けてたり、半目だったり、寝相が悪かったり。
そんな醜態を見られたら、恥ずかしくて生きていけない…
「青褪めるほどに、何を、考えているんで」
「へ!?」
我に返ると、薬売りさんが変わらず口角を上げて笑っていた。
「…その…」
「心配しなくとも、俺は既にさんの寝顔は見ていますよ」
「え!!?」
「ついでに言ってしまえば、床まで運んだ事も、ありますよ」
「!!???」
一瞬、何を言ってるのか理解できなかった。
薬売りさんが、私の寝顔を見てる…?
そんな事、知りませんって!!
一体いつの間にそんな事が起こってたのか…。
そりゃあ、何かの拍子で寝顔を見ることはあるかもしれないけど、床まで運んだって…。
「やはり、覚えていませんでしたか」
ふっと、軽く笑った薬売りさんは楽しんでいるように見える。
「大丈夫、ですよ」
「何がですかっ」
「貴女の寝顔は、いつも幸せそうだ」
そう目を細めて、薬売りさんは手を伸ばしてきた。
何をされるのか身を縮めると、その手はさらりと私の頬にかかる髪を撫でた。
「“いつも”って…」
そりゃそうだ。
すぐ隣には想い人が居て、何かあれば守ってくれる。
それ以上、心安らかに眠れる場所があったら教えてほしい。
「お陰で俺も、心穏やかに、眠れるんですよ」
私の呟きには答えることなく、話を続ける。
言いたくないときとか、聞かれたくない事なんだ。
それはつまり、いつも私の寝顔を見てたって事なんですね。
迂闊すぎた―。
「そんな顔、するもんじゃあありませんよ」
不満がそのまま顔に出てしまった。
「幸せなんですから、幸せそうに寝てたっていいじゃないですか」
「何も、悪いとは言ってませんよ。ただ…」
薬売りさんは伏し目がちに視線を畳の方に向けてしまった。
「いえ。…これで俺も、何の気兼ねもなく、貴女を見ていられますからね」
何を言いかけたのかが少し気になったけれど、薬売りさんは別な言葉で誤魔化した。
薬売りさんが言わないのなら、私も無理には聞かない。
これまでの付き合いで身についてしまった厄介な習性。
薬売りさんは、いつかその時が来たら、必要な事は言ってくれる(はずだ)から、私はそれでいい。
「気兼ねなんて初めからないクセに」
「よぉく、お解りで」
視線を戻した薬売りさんは、私のふくれっ面をクツクツと笑いながら眺めていた。
「大分夜が更けました。休みましょうか、ね」
「はい」
そうして二人でそれぞれの布団に入る。
いつもは仰向けだけど、今日は横になってみる。
「あ…」
「おや」
薬売りさんの方を向くと、薬売りさんも私の方を向いていてくれた。
視線が合うと、薬売りさんは口角を上げた。
お陰でまた、私の顔は盛大に赤くなったのだけど…。
それでも薬売りさんに応えるように、自然と笑みは零れた。
こんな事なら、もっと早く衝立を取ってしまえばよかった。
なんて…。
そんな事を考えていたら、薬売りさんが私の心を見透かしたかのような笑みをしていた。
「笑いすぎです」
「いいじゃあないですか」
「もう寝るんです」
「これで俺も、幸せに眠れるでしょう」
「…っ」
何だか、くすぐったい。
嬉しいような、恥ずかしいような。
すっかり、身体の力が抜けてしまった。
「もちろんです」
「そりゃあ、良かった」
「おやすみなさい、薬売りさん」
「おやすみなさい、さん」
そうして目を閉じると、すぐに心地良い眠りに誘われた。
-END-
2012/4/1