幕間第四十八巻
〜冬にありがちな、他愛のない、些細な出来事で〜





 夜、荷物を纏めるのに風呂敷の端を結んでいるときだった。


「痛っ」


 ピリ、と音を立てたかと思うほど勢いよく裂けたのは、中指の関節の皮。
 皺だった所に赤く筋が走って、見事にぱっくり行っている。

 うえぇ、と思わず小声で言ってしまった。

「どうか、しましたか」

 帳簿をつけている薬売りさんが、視線だけくれる。

「いえ、何でも」
「痛い、と聞こえたのは、俺の空耳、ですか」
「きっとそうです」

 手が荒れて指が割れただなんて、言うほどのことでもないと思う。
 一応誤魔化してやり過ごしてみる。
 すると薬売りさんは、私から視線を外して、何処か別の方に向かって小さく笑った。

「“うえぇ”なんて、滅多に聞ける言葉じゃあ、ないですがね」
「…」

 そこまで聞こえてましたか。

「…洗い物が多かったので、手が荒れただけです」

 一切の誤魔化しは効かない。
 分かってるんだから初めから素直に全部話してしまえばいい。
 でも、それが出来ない。
 薬売りさんの事だから、きっと何を話しても力になってくれる。
 詰まるところ、薬売りさんは私には結構甘かったりするから。

 嬉しいけど、甘えちゃいけないと思う。

 頼れる人が居るという事、受け止めてくれる人が居るという事。
 それは凄く幸せな事だと思う。
 でも、それに甘えて、頼り切ってはダメだと思う。

 手荒れなんてそんな些細な事、自分で対処出来る。


「ちょっと、待っていてくれますか」
「え…?」
「これを、終わらせてしまいます」
「? とりあえず、手持ちの油を塗って…」
「待っていて、ください」

 その念押しは何ですか。

「何ですか、その不満そうな顔は」
「“不満そう”じゃなくて“不満”なんです」
「何が不満なんで」


 そんなこと、言えない。
 甘やかしすぎだ、なんて。


「やれやれ」

 黙ったままの私をほったらかして、薬売りさんは帳簿に向き直ってしまった。
 そして少し筆を走らせると、それを片付け始めた。
 どうやら帳簿付けを終わらせたらしい。

 行李に用具一式を仕舞うと、代わりに何かを取り出した。
 それから薬売りさんは、私の正面に腰をおろした。

「手を」
「え…」

 私が手を差し出す前に、薬売りさんが私の手を取った。

「見事に、荒れ放題、ですね」
「すみませんねっ」

 口を尖らせた私を、薬売りさんは面白そうに見る。
 口角を上げて、クツクツと笑う。


「そんな時期だと思って、手荒れによく効く軟膏を、仕入れてきたんですよ」


 そう言って薬売りさんが出したのは、二枚貝の軟膏容器だった。
 光沢のある白い貝。
 その上側をずらすと、中には少し濁りのある赤いものが入っていた。
 独特の匂いが鼻を衝いた。

「少し、滲みるかもしれませんが」

 薬売りさんは指先にそれを取ると、私の見事に割れた関節に塗り始めた。

「あの…っ」
「動かないで、ください」
「ご、ごめんなさい。でも、自分で塗れますから」

 優しく、労わるように塗ってくれる。
 恥ずかしくて、どうしようもない。

「いいんですよ」
「良くないんです」
「良くない、ですか」
「こんなんじゃ、私、薬売りさんに頼ってばかりで…。いつも」

 自分ひとりじゃ、何も出来なくなってしまう。

「大丈夫ですよ」
「でも」
「これまで一人で何でも遣ってきた人が、急に何も出来なくなる、なんてぇことは、ありませんよ」

 押し問答を続ける間も、薬売りさんは私の手に薬を塗っていく。
 他の指の関節や、ささくれ、手の甲。
 色が気になるけれど、塗った所はしっとりとしている。


「じゃあ、徐々に出来なくなります」
「そうは、なりませんよ。貴女はずっと、自分の食い扶持は、自分でどうにかしているじゃあないですか」
「そうですけど…。こんなに薬売りさんにしてもらってたら」
「だから、いいんですよ」

 薬売りさんは手を止めた。
 でも、私の手は取ったまま。



「俺が、甘やかしたいんですよ」



 そう口角を上げたものだから、私は何も言えなくなって。
 だた、俯くしかできなかった。



 その視線の先には、再び薬を塗り始めた手と、塗られる手。




















-END-








冬にありがちな、他愛のない、些細な出来事で
甘やかしてみました。

いいえ、嘘です。すみません。
丁度これを書いた頃、管理人が手荒れに悩まされていただけです。



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2012/4/15