それから数日後、薬売りさんと待ち合わせて、宿に戻る途中だった。
件の通りを歩いていると、薬売りさんが立ち止まった。
「そういえば、聞いた話なんですがね」
「何でしょう?」
「この通りで、大声で口喧嘩をする男女が、いるそうですよ」
「あ、私、この前見ましたよ」
「ほぅ。それで、一体どんな喧嘩なんで」
薬売りさんは面白そうだと、話に乗ってきた。
「“待て”“待たない”から始まって、最終的に男の人が女の人に“好きだ、嫁に来い”って求婚して、見事に振られるんです。最近の名物らしいです」
「…それは、それは」
けったいな名物もあったもんだ、とぼやく薬売りさん。
意図せずにその内情を知ってしまっているから、何処まで話そうか考えているときだった。
遠くの方がざわざわと騒がしくなってきた。
そしてこの前と同じように、それに気付いた周りの人や、通り沿いの商店から顔を出した人、とにかく皆がそちらに目を向けた。
やがて“ざわざわ”が近付いてきて、薬売りさんも私もそちらに目を向けた。
「待て、お紺!!」
「アンタに構ってる暇はあらへん!!」
この前と同じようなやりとりが繰り広げられる。
「随分、威勢のいい…」
薬売りさんは、二人の姿を確認するとそう呟いた。
「それはもう、二人とも」
私は苦笑いで答える。
「止まれって!!」
「急いどるん!!」
「聞いてくれって!!」
「聞き飽きた言うてるやろ!!」
あぁ、そろそろ盛大に振られる頃だ。
そう、思っていた。
「好きやっ!! 嫁に来いっっ!!!」
「煩くて敵わん! 行ったるからもう黙っとき!!」
あれ…?
「浮気なんかしたら、一生許さへん!」
「する訳ない! 一生大事にするし!!」
えっと…?
「言うたな! ここにいる皆が証人や!」
お紺さんが叫んだ後、急に通りが静まり返った。
「…て、あれ…? お紺?」
今更呆けた顔で春之介さんがお紺さんを見つめている。
「何や?」
怒ったままの声でお紺さんは答える。
「嫁に、来てくれるんか?」
「だからっ、そう言うてるやろ…」
語尾が尻すぼみになって、お紺さんの顔が徐々に色付いていった。
そして、周りがまたざわめきだした。
「ほ、ホンマにええんか」
「しつこいわ! 嫁に来い言うたのはそっちや」
「お紺っ!!!」
突然春之介さんはお紺さんに抱きついて、どよめきが起こった。
「な、何するん、突然」
「ええやろ、やっと届いたんや思うと嬉しゅうて堪らん」
二人を取り囲んだ通りの人達からは、自然と拍手が沸き起こった。
「よかったなぁ、春坊」
「名物もついに見納めかぁ」
「お紺さん、よく折れたなぁ」
「これで店も安泰やな、春坊」
「もう女遊びは止めろよ、春坊」
次々と祝福(?)の言葉を掛けられて、お紺さんは罰が悪そうにしている。
一方春之介さんは、頭を掻きながら、ニコニコとご満悦な様子。
「ボンボン煩いわ。女遊びも疾うに止めたし」
「ただの、夫婦喧嘩、ですか」
「まぁ、言ってしまえばそうですね」
薬売りさんは、やれやれ、という素振りをしてから歩き始めた。
「犬も、食いません、ね」
「…それって、暗にこの町の人達を犬以下って言ってます?」
「そんなつもりは、ありませんよ」
絶対にある、と思いながら、私もその後に続いた。
最後に一度だけ、二人を振り返ってみた。
怒ったようなお紺さんと、ひたすらに喜ぶ春之介さん。
どうしてだろう。
なんだかとても、羨ましい…
END
何も回収出来てない件について…
2013/3/31
何と、年度末じゃないですか!