幕間第五十七巻
〜加代・の回・参〜






 結局、何軒か口利き屋を回ったけれど、仕事は見つからなくて日が暮れ始めた。
 そんな日もある、と言い聞かせて、宿に帰ろうと踵を返した。

 薬売りさんを迎えに行こう。

 ふと、そんなことを思いついた。
 今日は船着場界隈を歩いてみると言っていたから、其方に向かってみよう。

 薬売りさんに、謝らなきゃいけないかな。
 自分がどんな顔で加代さんを見ていたか。
 加代さんは二度もモノノ怪に遭って大変な思いをしたのに、そんな彼女に“嫉妬”を向けるなんて。
 心配かけたかもしれないし、嫌な気分になったかもしれない。



「わぁ…」


 街中を抜けて船着場までやってくると、沈みかけた太陽が水面を真っ赤に染めていた。
 それに目を奪われて、桟橋まで引き寄せられるように歩いた。
 川が海に注ぎこむこの地域は海運業が発達していて、廻船問屋が軒を連ねている。
 沢山の人が働いているはずなのに、私の周りには人が見当たらず、一人だけ違う世界にいるような気分になった。

さん」

 そこに、聞きなれた声がかけられた。
 振り向くと、少し不満そうな顔をした薬売りさんが夕日に赤く照らされていた。

「どうしたんですか、こんな所で」
「お迎えに来ました」
「その割りに、真っ先に、景色に夢中になりましたね」
「…それは、綺麗だったから仕方ありません…」

 罰の悪い顔をして、それから薬売りさんに一歩近付いた。

「あの、すみませんでした」
「…? 何を、謝るんで」
「いえ、私が謝りたかっただけなので、理由は聞かないで下さい」

 まさか、加代さんに嫉妬したことを、なんて言えるわけがない。

「…それじゃあ、言葉だけ受け取っておきますよ」
「そうしてもらえると有り難いです」

 追求されなかったことに、ホッとした。

「安心、しました」
「え?」
「いつもの、さんだ」

 薬売りさんは小さく穏やかな笑みを浮かべた。
 多分、私にしか分からないくらいの変化だけど。

「俺と加代さんのことを、気にしていたんでしょう」
「そ、そんなことっ」

 自分でも気付かなかった事を、どうして薬売りさんが分かるんですか!

「見たことのない顔を、していましたからね」
「…お見通しですか…」

 そっか。
 加代さんだって分かってた。

 気付かなかったのは私だけですか…。



「俺はね、さん」
「はい…」
「“どんな関係ですか”と聞かれれば、“何の関係もない”と答えるつもり、でしたよ。ただモノノ怪を斬ったときに居た娘だ、と。でも、貴女は、そうは聞かなかった」
「だったらそう言ってくれてもいいじゃないですか」

 ただの屁理屈にしか聞こえなくて、私は口を尖らせていた。




「…それじゃあ、言いましょう」



「!?」



 目を細めた薬売りさんは、突然距離を詰めて屈んで来た。
 薬売りさんの顔が近付いてきて、思わず目を瞑った。


 何をされるのかと、身体に力が入る。





 すると、耳元に気配を感じた。








 小さな囁きと、微かな吐息。





 全神経が耳元に集まったように熱くなった。
 そしてそこから、熱が全身へと伝わっていく。


「…くすりうりさん…」


 身動き一つとれず、姿勢を戻した薬売りさんを見つめる事しか出来なかった。

 薬売りさんは、口角を上げていた。

 欲しい言葉とは少し違うけれど、それでも薬売りさんの言葉は強力で。
 ただ放心していた。


「ほぅら、帰りますよ。迎えに来てくれたんじゃあ、ないんで」

 そんな私の手をとって、薬売りさんが言った。
 それで漸く頭が動きだした。

「そ、そうですよっ。迎えに来たんです! 帰りましょう!」


 私は薬売りさんの手を引っ張って、足早に歩き出した。




 火照った頬に、冷たい風が心地よかった。
















 ―俺には、貴女だけ、ですよ。















-END-






2013/5/26