女はね、言葉も欲しいものなんですよ。
偶然再会した加代さんに、そう言われた。
そういえばそうだったかもしれない、と頭の中の記憶を手繰る。
長い時を生きるからには、それなりの知識も経験もある。
女遊びをしていた頃も、もちろんある。
それにも飽きて、もうずっと長い間そんなこともしていないが…
けれど、さんを想う様な気持ちになったことは、これまでなかったように思う。
つまり、真剣に人を愛した事がないってぇ事だ。
遊女へは、言葉なんてものは必要なかった。
けれど、確かに言葉を求める女は少なくなかった。
だから、知識としては言葉が必要だと知っていたはずだ。
知っていたが、すっかり抜け落ちていたわけだ。
俺が“好き”と言わない事で、さんが不安に思っている。
女心と言うものは、いまいち理解に苦しむものだ。
俺が加代さんと話をしている時のさんの顔。
初めて見る顔だった。
強張っていて、堅い笑みを貼り付けていた。
俺と加代さんのことを、勘繰ったのだろうと察しは付いた。
さんが居るというのに、そんなことある訳がない。
それも、俺の言葉が足りなかったからなのだろうか。
言葉ではそうかもしれないけれど、態度では示しているつもりだ。
いつだって、出来る限りのことをしているのに、それでは足りないというのか。
「俺と加代さんのことを、気にしていたんでしょう」
「そ、そんなことっ」
「見たことのない顔を、していましたからね」
「…お見通しですか…」
「俺はね、さん」
「はい…」
「“どんな関係ですか”と聞かれれば、“何の関係もない”と答えるつもり、でしたよ。ただモノノ怪を斬ったときに居た娘だ、と。でも、貴女は、そうは聞かなかった」
「だったらそう言ってくれてもいいじゃないですか」
上目遣いで俺を見る不安そうな瞳。
それで居て不満そうに口を尖らせていた。
そんなさんを見ると困らせたくなる。
それでいて、喜ばせたい気もする。
「それじゃあ、言いましょう」
身体を屈めて、さんの耳元に顔を近づけた。
それだけで、さんは全身を強張らせた。
―貴女を、好いていますよ。
そう言えば良かったのだろうが、どうにもさんにはまだ早いような気がした。
「俺には、貴女だけ、ですよ」
出てきたのは、そんな言葉だった。
案の定、さんは頬を染めて俺をじっと見つめていた。
見つめると言うか、ちょっと放心しているというべきか。
俺の言動に、戸惑っているのは明らかだった。
一番欲しい言葉ではないのに。
それでもさんはこの通りだ。
彼女には、もう少し俺に慣れてもらう必要がある。
免疫ってぇやつだ。
時間をかけてゆっくりと、俺に慣れてもらわなけりゃあいけませんね。
というのを、理由にして。
さんが俺に慣れてくれるまでに、俺も覚悟を決めておこう。
自分が臆病な人間だと、気付いてしまったから。
たった二文字の言葉が言えないのだ。
好きな女に、“好きだ”と言うことが。
どれほどの覚悟と度胸が必要なのか、思い知った。
今の俺には“貴女だけ”、それが精一杯だった。
随分不器用で、狭量な男だと、自嘲する。
女遊びはしても、誰にも本気になったことはなかった。
そんな事への罰なのか。
さんは、どれほどの覚悟で俺に想いを告げたのか…
相手の全てを受け入れる覚悟がなければ、容易には言う事の出来ない言葉だ。
俺には、彼女ほどの覚悟がないと言うことだろうか。
さんを受け入れる覚悟が、無いという事なんだろうか。
だから、言葉では示せなかったのだろうか。
さんを、不安にさせてしまったのだろうか。
だったら、俺も、覚悟を決めよう。
全てを受け入れ、受け入れられる覚悟を。
そうすれば、さんの喜ぶ顔が見られる。
END
結構ヘタレなんですね…
2013/6/30