こいびと。
声を出さずに、唇だけを動かす。
一つ溜め息をつくと、その唇は僅かに孤を描いた。
その口元を隠すように、は鼻の下まで湯船に浸かる。
湯のせいなのか、さっきの言葉のせいなのか、顔は火照り、表情は緩んでいる。
ぼんやりと湯船を眺める瞳には、何か違うものが見えているのかもしれない。
薬売りから初めて、そういう言葉を貰った。
恋人という言葉。
大切な人という言葉。
嬉しくて、気恥ずかしくて中々その言葉に馴染めなかった。
当然の言葉だと分かっていても、面と向かって言ってもらえた事が、嬉しかったのだ。
そうして、自分の中の変化に気付いた。
それまでと変わらず薬売りと一緒に居るのに、何かが違う。
とてもふわふわとした気分で、色々なことを感じ取れるようになった気がする。
不思議な高揚感と胸苦しさが身体の中で同居している。
気を引き締めていないと、顔が緩んでしまう。
もちろん、働いている時は高揚感も胸苦しさも、顔の緩みも出ない。
ちゃんと集中できている証拠だと、自身は安堵している。
それでも、その未経験の感覚に戸惑っている。
は、湯船から顔を出す。
湯に浸かりすぎたのか、彼の人を思い出したのか、その目はとろんでいる。
短く息を吐き出すと、もう一度唇を動かした。
くすりうりさん。
何かがこみ上げてくる。
胸の中が、いっぱいになる。
思わず、両手で胸を抑えた。
自らを落ち着かせようと、大きく深呼吸する。
それでも尚、の中の何かは膨らんでいく一方だった。
END
2014/3/16