幕間第六十五巻







 こいびと。



 声を出さずに、唇だけを動かす。



 一つ溜め息をつくと、その唇は僅かに孤を描いた。









 その口元を隠すように、は鼻の下まで湯船に浸かる。

 湯のせいなのか、さっきの言葉のせいなのか、顔は火照り、表情は緩んでいる。

 ぼんやりと湯船を眺める瞳には、何か違うものが見えているのかもしれない。




 薬売りから初めて、そういう言葉を貰った。
 恋人という言葉。
 大切な人という言葉。
 嬉しくて、気恥ずかしくて中々その言葉に馴染めなかった。

 当然の言葉だと分かっていても、面と向かって言ってもらえた事が、嬉しかったのだ。


 そうして、自分の中の変化に気付いた。
 それまでと変わらず薬売りと一緒に居るのに、何かが違う。
 とてもふわふわとした気分で、色々なことを感じ取れるようになった気がする。
 不思議な高揚感と胸苦しさが身体の中で同居している。

 気を引き締めていないと、顔が緩んでしまう。
 もちろん、働いている時は高揚感も胸苦しさも、顔の緩みも出ない。
 ちゃんと集中できている証拠だと、自身は安堵している。


 それでも、その未経験の感覚に戸惑っている。




 は、湯船から顔を出す。


 湯に浸かりすぎたのか、彼の人を思い出したのか、その目はとろんでいる。


 短く息を吐き出すと、もう一度唇を動かした。





 くすりうりさん。





 何かがこみ上げてくる。


 胸の中が、いっぱいになる。


 思わず、両手で胸を抑えた。




 自らを落ち着かせようと、大きく深呼吸する。



 それでも尚、の中の何かは膨らんでいく一方だった。











〜こいびと〜













END








2014/3/16