幕間第六十九巻



〜初恋・四〜





 暗い寒空の下、身を縮めながら宿へ戻った。
 仕事が忙しくて、いつもより遅くなってしまった。

 ほぅ、と悴む指先に息を吐く。
 僅かに温もって、すぐにまた冷える。
 足先の感覚も随分鈍っている様に思う。

 部屋の前まで来て、障子越しの灯りに何処かほっとする。
 それを見ただけで、温かく感じる。

「ただいま戻りました」

 小さく声をかけて戸を開けた。

「!?」

 間近に薬売りさんを見たかと思うと、すぐに身体が部屋の中へ引き込まれた。
 視界が見慣れた青に染まって、全身を温もりが包む。
 背後で戸が閉まる音がした。


「薬売りさん?」


 顔を上げると、無表情の薬売りさんが私を見下ろしていた。


「帰りが、遅いので」

「すみません。なかなかお客さんが引かなくて」


 寒いと、酒で温まってから帰りたいという人が多いのだ。


 冷たくなった私の髪を、何度も撫でる薬売りさん。

「もしかして…」

 帰らないかもと?

 言いかけて、やめた。

 思わずにやけてしまった。
 薬売りさんは少しだけムッとして、私から視線を逸らす。
 それが堪らなく嬉しい。

 薬売りさんの胸に顔を埋めて、自分でも薬売りさんを抱きしめる。
 ずっと近くなって、温かさが増す。


「光太郎さん、来年お嫁さんをもらうそうです」

「そりゃあ、めでたい」

「はい。お幸せそうでした」


 目を閉じて、深く、息をする。


「…そうですよね」

「何を、一人で納得しているんで」

 小さく呟いた声を、薬売りさんは聞き逃さなかった。


「初恋は実らないって、いいますから。しかも二人ともだから、二倍です」


 クスリと笑って、顔を上げる。
 怪訝そうな顔で、薬売りさんが私を見ていた。


「実っていたら、俺は、今も一人旅、ですね」

「そこは、“実らなくて良かった”って言ってください」


 薬売りさんはふっと笑んで、ぎゅっと抱きしめてくれた。


 淡すぎる恋を初恋とも気付かなかった幼かった私。
 でもそれは、きっと今、薬売りさんと此処でこうするために通り過ぎたものだったんだと、そう思う。
















END





2014/11/16