暗い寒空の下、身を縮めながら宿へ戻った。
仕事が忙しくて、いつもより遅くなってしまった。
ほぅ、と悴む指先に息を吐く。
僅かに温もって、すぐにまた冷える。
足先の感覚も随分鈍っている様に思う。
部屋の前まで来て、障子越しの灯りに何処かほっとする。
それを見ただけで、温かく感じる。
「ただいま戻りました」
小さく声をかけて戸を開けた。
「!?」
間近に薬売りさんを見たかと思うと、すぐに身体が部屋の中へ引き込まれた。
視界が見慣れた青に染まって、全身を温もりが包む。
背後で戸が閉まる音がした。
「薬売りさん?」
顔を上げると、無表情の薬売りさんが私を見下ろしていた。
「帰りが、遅いので」
「すみません。なかなかお客さんが引かなくて」
寒いと、酒で温まってから帰りたいという人が多いのだ。
冷たくなった私の髪を、何度も撫でる薬売りさん。
「もしかして…」
帰らないかもと?
言いかけて、やめた。
思わずにやけてしまった。
薬売りさんは少しだけムッとして、私から視線を逸らす。
それが堪らなく嬉しい。
薬売りさんの胸に顔を埋めて、自分でも薬売りさんを抱きしめる。
ずっと近くなって、温かさが増す。
「光太郎さん、来年お嫁さんをもらうそうです」
「そりゃあ、めでたい」
「はい。お幸せそうでした」
目を閉じて、深く、息をする。
「…そうですよね」
「何を、一人で納得しているんで」
小さく呟いた声を、薬売りさんは聞き逃さなかった。
「初恋は実らないって、いいますから。しかも二人ともだから、二倍です」
クスリと笑って、顔を上げる。
怪訝そうな顔で、薬売りさんが私を見ていた。
「実っていたら、俺は、今も一人旅、ですね」
「そこは、“実らなくて良かった”って言ってください」
薬売りさんはふっと笑んで、ぎゅっと抱きしめてくれた。
淡すぎる恋を初恋とも気付かなかった幼かった私。
でもそれは、きっと今、薬売りさんと此処でこうするために通り過ぎたものだったんだと、そう思う。
END
2014/11/16