「何故、髪を結わないんですか」
「はい?」
唐突な薬売りの問いに、の声は裏返る。
二人は小さな食事処にはいって、小さな座卓を挟んで向き合って、蕎麦を啜っている。
「女髷、ですよ」
台詞と同時に、の髪がさらりと耳から流れる。
今の時代、女は女髷を結っている。
身分や、年齢によって形を変えて。簪や櫛で飾り立てて。
しかしといえば、戦国の頃のような髪をしている。
長く伸ばして、下の方で緩く結ぶ。その長さは腰よりもやや下。前髪は作ってあり、目の下や顎の辺りと不揃いになっている。
その黒髪は、見事の一言だろう。
癖の無い髪はしなやかに風に靡いて、さらさらと、音まで聞こえてきそうだ。
「簡単に言うと、節約です。油代も馬鹿になりませんから」
はそう言って蕎麦を啜る。
「なるほど」
「それに、油をつけると、埃も付くし汗も流れなくて気持ちが悪いし」
旅には不向きと言うこと。
「結わなければ、すぐに髪も洗えるし、油も要らなければ櫛も簪も気にしなくていいし。今は母の形見の櫛しか持って無いんです」
は箸を置いて、自分の髪を触る。
触れたところに艶が寄る。
「それに、これは凄〜く由々しき問題なんですけど…」
「何ですか」
「私、女髷が似合わないんです。もう、これが見事に」
真顔でそんな説得力の無いことを言う。
薬売りも、若干呆れている。
けれど、小さい頃から似合わなくて、同年の子供達にからかわれたこともあったという。
「でも、薬売りさんだって髷結ってないじゃないですか。それと同じです」
「同じ?」
「結わないほうが、らしい、ってことです」
にこり、と笑ってまた箸を手に取る。
薬売りは少々面食らったように、暫くが蕎麦を食べるのを眺めていた。
が、ふっと密かに笑みを零す。
「綺麗な髪、ですね」
「は、はい…?」
これがですか? と怪訝な顔をしてみせる。
薬売りはクツリと喉を鳴らす。
「か、からかわないで下さい」
「からかってなど、いませんよ」
二人は、蕎麦を啜る。
「じゃあ、薬売りさんの髪も綺麗ですね」
今度は薬売りが怪訝な顔をする番。
「妙なことを、言い出すもんだ」
反撃成功とばかりに、得意な顔をする。
「私の髪はただの“黒”としか言い表せませんけど、薬売りさんの髪は、何て言えばいいのかな…」
しばし考え込む。
「青朽葉、亜麻色、香色…。とにかく簡単には言い表せない綺麗な色です」
どこか、むず痒さを覚える。
「そう、ですか」
「そうです!」
嬉しそうに微笑む。
今日は、負けたのかもしれない。
それも悪くないと、思う。
けれど、やはりの髪は、綺麗だと薬売りは思う。
しっとりと艶やかで、日の光を受ければきらきらと輝く。
見るからに滑らかそうで、絡むことなどないようだ。
その髪に触れてもいいだろうかと、思ってしまうほどに。
手を伸ばせば、いつでも触れられるところに居るのに、それはしてはいけない事なのだと分かっているのだが…。
-END-
夢にするにあたって
本当はヒロインの容姿は書くべきじゃないと思っているんですが…
薬売りさんにはヒロインの性格とか容姿とか
どういうところが気になって、気に入っているのかを
ちゃんと書くべきかなと思って
敢えてこういう話も書きました。
2009/11/3