幕間第七十二巻
〜似た者同士〜





 その日の宿へ戻った薬売りは、二階のその部屋から眼下の通りの喧騒を聞いていた。
 賑わう町の音が、心地良い。
 荷物を整理しながら、威勢の良い呼び込みや客を見送る声、駕籠屋の掛け声に感心する。

 その喧騒に、遠くから何やらガタガタとけたたましい音が混じっていることに気が付いた。
 どんどん近づいてくるその音と共に、辺りもざわついてくる。
 やがて、大きな叫び声が聞こえた。


「どけぇ!!」
「道を開けろー!」
「広國屋が通るぜぇ!」


 どうやら大八車が数台、通りを駆けてくるようだった。
 薬売りが部屋の窓から顔を出すと、丁度宿の前を大八車が通り過ぎるところだった。
 悲鳴を上げながら避ける人、大八車に文句を垂れる人、我関せずの人、呆れる人。
 皆さまざまで、しばしの間通りは静まり返った。
 そうして完全に大八車が見えなくなると、周囲の人たちと安堵し合って、また同じ空気を作っていった。


 薬売りが荷物の整理を終えた時、障子の向こうから声がかかった。

「お客さん!」

「どうか、しましたか」

 薬売りが返事をするとすぐに障子が開いて、奉公人が顔を見せた。
 困ったような、焦っているような、そんな顔をしている。

「お連れさんが大変なんです!」




「だ、大丈夫ですから…」


 弱弱しい声を出すのは、だった。
 薬売りに横抱きにされて、恥ずかしそうにしている。
 その左足首には、濡れた手拭いがぐるぐると巻かれている。

 階段を上りきり、突き当たりの自室に戻る。
 腕に抱えたをそっとおろして、薬売りは障子を閉めた。


「ちょうど、薬を仕入れた所、ですよ」

 運がよかった、と薬売りが言うと、は不満そうな顔をした。

「運がいい、ですか? これが?」

 手拭いでぐるぐる巻きの足首を見遣る。
 薬売りは様子を見るために、その手拭いを取ろうとの足に軽く触れた。

「いたたっ…」

「すみませんね。少し、我慢してください」

「わ、分かってますけど、っ」




 その怪我の原因は、先ほどの大八車だった。
 駆け抜けていく大八車を避けた人が、にぶつかってきたのだ。
 突然のことで、にはどうすることもできなかった。
 そのまま地面に倒れて、足首を捻った。
 ついでに、左腕も擦り傷だらけになった。



「これで、暫く安静に」

「ありがとうございます…」


 一頻り冷やし続けた後、薬売りはの足首を晒できつく固定した。
 腕にも軟膏を塗って、包帯を巻きつけた。
 罰の悪そうな顔で薬売りを見る
 薬売りは、肩を竦めて見せた。

「とんだ災難、でしたね」

「本当です…。大八車に驚いて、何事かと気を抜いていたんです」

 肩を落とす

「俺がしっかり、看病しますから、心配は無用、ですよ」

 目を細める薬売りに、の顔はひきつった。

「…大丈夫です…! すぐに治ってみせますから…!」

「そう遠慮せずに」

 目を細めて、どう見ても面白がっている様にしか見えない薬売り。
 は口を尖らせて抗議を見せたけれど、すぐに力を抜いた。

「…」

「?」

「前にも言ったじゃないですか。すぐに治るって」

さん…」

「私、凄く早いんです、怪我の治り。小さい頃、同じときに怪我をした子たちに比べて、凄く、早かったんです。それで、気付いて…」

 微かな自嘲を込めた笑みを浮かべる。

「めったに風邪もひかないし、ひいてもすぐに治るんです」

 じっと、晒で留められた足首を眺める
 何処か寂しげな顔をしている。

「命に関わるような病気も怪我もしたことはないですけど、でも、きっと酷い状態にはならないと思うんです」

「それは…」

「多分、繻雫のお陰だと思います」

 はちらりと薬売りを見る。
 薬売りは少し考えるように、の足をじっと眺めている。

「繻雫が私に力をくれたから、そういう事もあり得るんじゃないかって思うんです。それに…」

「俺の傍にいて、修練もしているから、尚更ってえこと、ですね」

 薬売りの目がの目を捕える。

「そう考えていいんでしょうか?」

「そうとしか、思えないでしょう」

 はっきりと答える。

「何だかヒトじゃないみたいです」

「何を言っているんで。…俺も、同じようなもんじゃあないですか」


 安心なさい、と薬売りは目を細めた。

「薬売りさんも?」

「何たって…、紙切れを大量にまき散らし、勝手に動く天秤を持って、モノノ怪を斬るんですから、ね」

「ふっ」

 事実を冗談のように、得意げに言う薬売り。
 はそれが可笑しくて、思わず吹き出していた。
 薬売りはの様子に満足したのか、口角を上げた。


「それに…」

「それに?」

「俺も、怪我をしたとしても、大事にはならないんですよ」

 薬売りの言葉に、は目を丸くする。

「え? そうなんですか?? …いたたっ」

 思わず前のめりになったせいで、は足首を動かしてしまった。
 少々涙目になったの背を、薬売りは優しく撫でる。

「知らなかったんで」

「知りません! 本当ですか?」

「本当ですよ。すぐに、治ります。きっと、貴女よりも」

「…なんだ…」

「“なんだ”とは…。今まで心配してきて損だ、とでも言いたそう、ですね」

 薬売りの棘のある言い方に、はムッとする。

「そんなことありません! いつだって薬売りさんのことは心配です! 怪我だって、しないに越したことはないですから」

「じゃあ、何だってぇ言うんですか」

「私だけじゃないんだって思ったんです。薬売りさんと一緒で良かったって」


 そう言っては、薬売りに優しく微笑んでみせる。
 の笑みに、薬売りは言葉に詰まってしまう。



 自分を“ヒトじゃない”と言うに、自分も同じだと安心させたかった。
 それなのに、これでは自分が安堵するばかりだ。


「薬売りさん?」

「嬉しいことを、言ってくれるじゃあ、ないですか」

「…そ、そうですか…?」

「やはり、これは」

 の顔を覗き込む薬売りの目には、悪戯っぽい色が混じる。



「限られた短い間、ちゃあんと看病を、しなければ、ね」

















END







久しぶりの更新になります。
短いですが、お楽しみいただけたら幸いです。

2015/4/26