静かな、雪のちらつく夜だった。
お春は障子を開け放って、庭を見つめていた。
少しばかり、草木が荒れてきてしまった。
あれきり、ここの手入れはしていない。
また、あの若い庭師にさせようと思っている。
けれど、見つからない。
聞いたところ、いつも頼んでいる庭師の都合がつかず、通りすがりの者に頼んで手入れをしてもらったらしい。
秋の茶会が間近に迫り、急いでいたのだ。
通りすがりの庭師の、弟子だったと聞いた。
それがどこの誰だか、誰も聞かなかった。
お春は、手入れをしている所を、家の中から垣間見ていた。
太陽の下、汗をかきながら剪定鋏を持つ、凛々しい横顔。
少年っぽさの残る生き生きとした表情。
真っ直ぐな瞳で、黙々と木々と向かい合うその姿に、感じるものがあった。
とても素晴らしい人だと思ったのだ。
その姿を脳裏に思い出す。
憂いを帯びた瞳で、お春は庭を眺め続ける。
この庭の中で、一番のお気に入りがある。
真っ赤な、椿だ。
一輪だけ、とても目立つ場所に咲いて、それが雪に映える。
こうなると見越してこの枝を残したのなら、その若い庭師はとても才能のある庭師だろう。
その庭師に、礼を言いたい。
もう一度会って、礼と、想いを伝えたい。
それが出来れば、心置きなく嫁に行ける。
こんな想いを抱えたまだ嫁ぐのは、相手方にも失礼だ。
そう言って、探させている。
「お春さま、夜分に失礼いたします」
庭の隅から、声がした。
お春は身を固くして、その声のする方に目を向けた。
「貴方は…」
「脇坂一です。お久しゅうございます」
進み出た脇坂は、それでも庭の端の方で片膝をついた。
緊張したような、神妙な顔をしている。
お春と言えば、脇坂の突然の来訪に戸惑っている。
「そうですね、暫く姿をお見かけしませんでした」
「実は、お別れのご挨拶に伺いました」
「別れ…?」
「はい。私は、直に旅立たなくてはいけません。その前に、お春様に聞いていただきたいことがございます」
首を傾げるお春に、脇坂は少しだけ哀しい顔をする。
「私は、貴女様をお慕い申し上げておりました」
「!?」
目を丸くして、明らかに驚いているお春。
どうやら、これまで脇坂の気持ちには全く気付いていなかったようだ。
その反応を見て、脇坂は肩の力を抜いた。
「仕方ありません、たかが家臣の一人。お春様の目に留まることなど無いと、分かっておりました」
「その…、」
「ただ、どうしてもこの気持ちだけはお伝えして旅に出たいと、勝手を致しました。お許しください」
「謝らないでください。答えることは出来ませんが、その真っ直ぐな心は、確かに受け取りました。本当にありがとうございます」
お春は戸惑いながらも、脇坂の気持ちに決着をつけてくれたようだった。
脇坂はふっと、笑ってその場の空気を変えた。
「ご挨拶が遅れたのは、探し物を致しておりました故でございます」
「探し物?」
「これです。…弥一」
脇坂が促すと、弥一が物陰から姿を現した。
同じように、片膝を地面につく。
「あ、貴方…!」
お春は思わず身を乗り出して、濡れ縁まで進み出て来た。
「ここの手入れをした、弥一と申す者です」
脇坂が弥一を、一歩前に促す。
弥一は、顔を伏せたまま前に進み出て、更に頭を下げた。
「か、顔を、上げてください」
お春は震える声で弥一に声をかける。
「お初に、いえ、二度目かもしれません。庭師の弥一と申します」
顔を上げた弥一は、正しくお春の探し求めていた庭師だった。
よく陽に焼けた凛々しい顔。
まだ幼さの残る、少年のような人。
「本当…、あの時の方だわ」
両手を胸の前で握って、感無量という顔で弥一を見るお春。
恐る恐る庭へ降りると、しゃがみ込んで弥一の顔を覗き込んだ。
「やっと、お会いできました」
「…その、俺なんて…探していただくほどのモンじゃあ…」
「いいえ、そんな事はありません」
ふるふると頭を振るお春。
「私は、貴方の仕事をする姿に胸打たれたのです。こんなにも生き生きと、草木と遊ぶように、それでいて労わるように手入れする。一目で心を奪われました」
お春の告白とも言える言葉に、弥一は照れ隠しに頭を掻く。
脇坂は少々気落ちしているようだが―。
「それに、この庭」
お春が、何処か向こうへ視線を向けた。
その視線を脇坂も弥一も追う。
弥一が、一輪の椿を見つけた。
「あぁ、咲いてくれたんだ」
満足そうに微笑んで、弥一は立ち上がった。
そうしてその椿へ近づいて行った。
「良かった」
「とても、綺麗です」
お春は涙ぐみながら、弥一の傍らに寄り添う。
「本当は、何度か手入れに来ようと思っていたんです。でも、出来なくて…。申し訳ありません」
「これからは、来ていただけるのでしょう?」
「いえ。俺も一と一緒に旅に出るんです」
「え、二人で?」
脇坂と弥一は目を合わせると頷きあった。
「それは、残念です。…けれど、今日、ここに来てくださって、私は本当に嬉しく思っています。…これで漸くお嫁に行く決心がつきました」
「とても、良いお話とお伺いしました。おめでとうございます」
脇坂が穏やかに言う。
「…ありがとうございます」
「お幸せに」
弥一の言葉に、うんうんと頷いて、お春はとうとう涙を流した。
屋敷から出てきた脇坂と弥一は、元居た場所で立ち尽くしていた。
「綺麗だったな…」
「…あぁ、綺麗だった」
「お春さまだぞ?」
「椿の花もだろ?」
互いに横目で目を合わせると、二人して悪戯っぽく笑った。
そうして、徐々に身体が透けていく。
「成仏するって、こんなに満たされるんだな」
「あぁ、とても清々しい」
二人は、正面に視線を戻した。
薬売りとが二人を見守っている。
脇坂は頭を下げ、弥一は手を振った。
その姿勢のまま、二人の姿は見えなくなった。
残ったのは、薬売りが二人に付けた札だけだった。
「もう少しだけ、二人の掛け合いが見たかったかもしれないです」
「何を言うんですか。煩いだけじゃあ、ないですか」
小さく笑い合って、二人はそれぞれ両手を合わせた。
あの世と呼ばれるところでも、あぁした掛け合いを続けてくれることを祈って。
END
なかなかリズミカルでテンポの良い会話って難しいです。
でも脇坂と弥一はとても気に入ってます^^
ちなみに、お花の知識がないので、椿に関してはスルーしてください…
2015/7/12