幕間第七十三巻
〜侍と庭師・参〜







 静かな、雪のちらつく夜だった。
 お春は障子を開け放って、庭を見つめていた。
 少しばかり、草木が荒れてきてしまった。
 あれきり、ここの手入れはしていない。
 また、あの若い庭師にさせようと思っている。

 けれど、見つからない。

 聞いたところ、いつも頼んでいる庭師の都合がつかず、通りすがりの者に頼んで手入れをしてもらったらしい。
 秋の茶会が間近に迫り、急いでいたのだ。
 通りすがりの庭師の、弟子だったと聞いた。
 それがどこの誰だか、誰も聞かなかった。

 お春は、手入れをしている所を、家の中から垣間見ていた。
 太陽の下、汗をかきながら剪定鋏を持つ、凛々しい横顔。
 少年っぽさの残る生き生きとした表情。
 真っ直ぐな瞳で、黙々と木々と向かい合うその姿に、感じるものがあった。
 とても素晴らしい人だと思ったのだ。


 その姿を脳裏に思い出す。
 憂いを帯びた瞳で、お春は庭を眺め続ける。

 この庭の中で、一番のお気に入りがある。

 真っ赤な、椿だ。

 一輪だけ、とても目立つ場所に咲いて、それが雪に映える。

 こうなると見越してこの枝を残したのなら、その若い庭師はとても才能のある庭師だろう。
 その庭師に、礼を言いたい。
 もう一度会って、礼と、想いを伝えたい。
 それが出来れば、心置きなく嫁に行ける。
 こんな想いを抱えたまだ嫁ぐのは、相手方にも失礼だ。

 そう言って、探させている。


「お春さま、夜分に失礼いたします」

 庭の隅から、声がした。
 お春は身を固くして、その声のする方に目を向けた。

「貴方は…」
「脇坂一です。お久しゅうございます」

 進み出た脇坂は、それでも庭の端の方で片膝をついた。
 緊張したような、神妙な顔をしている。
 お春と言えば、脇坂の突然の来訪に戸惑っている。

「そうですね、暫く姿をお見かけしませんでした」
「実は、お別れのご挨拶に伺いました」
「別れ…?」
「はい。私は、直に旅立たなくてはいけません。その前に、お春様に聞いていただきたいことがございます」

 首を傾げるお春に、脇坂は少しだけ哀しい顔をする。

「私は、貴女様をお慕い申し上げておりました」
「!?」

 目を丸くして、明らかに驚いているお春。
 どうやら、これまで脇坂の気持ちには全く気付いていなかったようだ。
 その反応を見て、脇坂は肩の力を抜いた。

「仕方ありません、たかが家臣の一人。お春様の目に留まることなど無いと、分かっておりました」
「その…、」
「ただ、どうしてもこの気持ちだけはお伝えして旅に出たいと、勝手を致しました。お許しください」
「謝らないでください。答えることは出来ませんが、その真っ直ぐな心は、確かに受け取りました。本当にありがとうございます」

 お春は戸惑いながらも、脇坂の気持ちに決着をつけてくれたようだった。

 脇坂はふっと、笑ってその場の空気を変えた。

「ご挨拶が遅れたのは、探し物を致しておりました故でございます」
「探し物?」
「これです。…弥一」

 脇坂が促すと、弥一が物陰から姿を現した。
 同じように、片膝を地面につく。

「あ、貴方…!」

 お春は思わず身を乗り出して、濡れ縁まで進み出て来た。

「ここの手入れをした、弥一と申す者です」

 脇坂が弥一を、一歩前に促す。
 弥一は、顔を伏せたまま前に進み出て、更に頭を下げた。

「か、顔を、上げてください」

 お春は震える声で弥一に声をかける。

「お初に、いえ、二度目かもしれません。庭師の弥一と申します」

 顔を上げた弥一は、正しくお春の探し求めていた庭師だった。
 よく陽に焼けた凛々しい顔。
 まだ幼さの残る、少年のような人。

「本当…、あの時の方だわ」

 両手を胸の前で握って、感無量という顔で弥一を見るお春。
 恐る恐る庭へ降りると、しゃがみ込んで弥一の顔を覗き込んだ。

「やっと、お会いできました」
「…その、俺なんて…探していただくほどのモンじゃあ…」
「いいえ、そんな事はありません」

 ふるふると頭を振るお春。

「私は、貴方の仕事をする姿に胸打たれたのです。こんなにも生き生きと、草木と遊ぶように、それでいて労わるように手入れする。一目で心を奪われました」

 お春の告白とも言える言葉に、弥一は照れ隠しに頭を掻く。
 脇坂は少々気落ちしているようだが―。

「それに、この庭」

 お春が、何処か向こうへ視線を向けた。

 その視線を脇坂も弥一も追う。

 弥一が、一輪の椿を見つけた。


「あぁ、咲いてくれたんだ」


 満足そうに微笑んで、弥一は立ち上がった。
 そうしてその椿へ近づいて行った。


「良かった」

「とても、綺麗です」

 お春は涙ぐみながら、弥一の傍らに寄り添う。

「本当は、何度か手入れに来ようと思っていたんです。でも、出来なくて…。申し訳ありません」

「これからは、来ていただけるのでしょう?」

「いえ。俺も一と一緒に旅に出るんです」

「え、二人で?」

 脇坂と弥一は目を合わせると頷きあった。

「それは、残念です。…けれど、今日、ここに来てくださって、私は本当に嬉しく思っています。…これで漸くお嫁に行く決心がつきました」

「とても、良いお話とお伺いしました。おめでとうございます」

 脇坂が穏やかに言う。

「…ありがとうございます」

「お幸せに」

 弥一の言葉に、うんうんと頷いて、お春はとうとう涙を流した。










 屋敷から出てきた脇坂と弥一は、元居た場所で立ち尽くしていた。


「綺麗だったな…」

「…あぁ、綺麗だった」

「お春さまだぞ?」

「椿の花もだろ?」


 互いに横目で目を合わせると、二人して悪戯っぽく笑った。
 そうして、徐々に身体が透けていく。

「成仏するって、こんなに満たされるんだな」
「あぁ、とても清々しい」

 二人は、正面に視線を戻した。

 薬売りとが二人を見守っている。

 脇坂は頭を下げ、弥一は手を振った。

 その姿勢のまま、二人の姿は見えなくなった。
 残ったのは、薬売りが二人に付けた札だけだった。





「もう少しだけ、二人の掛け合いが見たかったかもしれないです」

「何を言うんですか。煩いだけじゃあ、ないですか」


 小さく笑い合って、二人はそれぞれ両手を合わせた。
 あの世と呼ばれるところでも、あぁした掛け合いを続けてくれることを祈って。












END









なかなかリズミカルでテンポの良い会話って難しいです。
でも脇坂と弥一はとても気に入ってます^^

ちなみに、お花の知識がないので、椿に関してはスルーしてください…


2015/7/12