〜乙女心・弐〜






 それから数日。
 の姿はこじんまりとした一人部屋にあった。
 元の部屋では、一人で泊まるには広すぎたのだ。
 薬売りが戻らないのなら、宿代は安い方がいい。

 夕刻、奉公先から戻ってすぐに湯を浴びたは、自室へと向かっていた。
 足取りが軽いのは、今日もあの粉を塗ろうと思っているから。
 唐の土を塗り始めてから、肌の具合がいいのだ。
 日に焼けた赤味はすぐに取れ、その上触った心地が違う。
 すべすべ、という言葉がぴたりと当てはまるのだ。

 意気揚々と部屋まで来ると、既に部屋に灯りが灯っているのに気が付いた。

「宿の人が点けてくれたのかな…?」

 不思議に思いながら、は障子を引いた。



「薬売りさん!!?」



 そこには、きっちりと正座をしてこちらをじっと見据える薬売りの姿があった。


「お早い、お帰りで」


 薬売りの淡々とした声には、妙に迫力がある。


「薬売りさん、戻ってたんですか?」

 報せでは明日と聞いていた。

「えぇ、少々早く、けりが着いたもんで」

「無事に済んで何よりです」

 数日ぶりに会う薬売りだ。
 は嬉しさをそのまま表情に出した。
 荷物を置き、急いで茶の用意を始める。
 けれど、薬売りは何処か憮然としている。

「薬売りさん…?」

 湯呑を差し出しつつ、薬売りを窺う。
 酒の方が良かっただろうか。

「あの…」

 どうやら、少々機嫌が悪いのだと気付く。

「何も、部屋を変えなくても、いいんじゃあ、ないですか」

「いえ…、その、一人には広すぎて…」

 薬売りはちらりとを一瞥して、すぐに視線を戻す。

「こちらに、来なかったのは」

「文にも書きましたけど、薬売りさんの所に行かなかったのは、此処の方が口入屋に近いからです」

 もう一度を一瞥する薬売り。
 それから茶に手を伸ばすと、静かに啜った。

「俺の居ない間、何を」

「もちろん働いてましたけど」


 質問攻めにあい、これではまるで尋問だと、は困惑する。

 そんなの頬に、薬売りの右手が伸びた。


「やはり…」

「…え…?」


 青い瞳が、を覗き込んでいる。
 は更に困惑し、その目を見つめるしか出来ない。


「俺の居ない間に、どうしてこうも」

 薬売りは親指での頬を撫でる。

「薬売りさん…?」

「どうしてこうも、綺麗になっているんで」

「!」

 は目を丸くした。
 こんな行灯の薄明かりの中で、薬売りはの変化に気付いたのだ。
 正確に言うと、の肌の変化だ。

「ほぅ…」

 薬売りの指はその手触りを確かめるように、の頬を撫で続ける。

「成程」

 何かに納得したのか、薬売りは目を細めた。
 そうして、の身体を引き寄せ、自分もに身体を寄せる。

「唐の土、ですか」

「…はい」

 はその状況に戸惑いながらも、何も出来ない。

「奉公先のお嬢さんからいただいたんです。日に焼けてるって」

「随分と、気前のいい…」

「自分には必要がないからって」

「おやおや、余程大きな家の娘さん、なんですね」

 コクリと頷く

「私はあまり…焼けても気にはしないんですけど」

「そんなことを、言うもんじゃあ、ありません」

 苦笑する
 薬売りは、そんなの前髪を手で避ける。

「折角の、卵肌…」
「額を見て言わないでくださいっ」

 薬売りの戯言にすかさず突っ込む
 二人して小さく笑って、けれどすぐに薬売りの顔が真顔に戻る。

「旅の間にも、少々焼けてしまっていましたからね」

 薬売りはそっと、その唇をの額に押し当てた。
 すぐに唇は離れ、それから鼻の頭に移る。
 それもすぐに離れ、視線をに合わせる。
 間近で視線が合う。

「俺も、用意していたんですよ」

「え?」

 鼻の先が触れそうな距離で、二人の話は続く。

「貴女に使ってもらおうと。だから、呼んだのに」

「それって」

「唐の土、ですよ」



「だ、ダメです! ダメですよ!」

「一体何が…」

「真っ赤に焼けた顔なんて、薬売りさんに見せられません!!」

 は薬売りから離れると、真面目な顔で叫んだ。

「はぁ…」

 薬売りは呆れたような声を出す。

「鼻だけ真っ赤だったんです。そんなの見せられません!」

「それも、来なかった理由、ですか」

「いえ! …その、はい。…薬売りさんがあちらに泊まるって知って、正直、良かったって思いました。こんな顔見られなくてよかったって」

 拗ねた顔のに、薬売りは優しい視線を向ける。

「残念、ですね」

「な、何がですか」

「さぞ、愛らしかったでしょうに」

「はい?」

「見られなくて、残念ですよ」

「何言ってるんですか! 物凄く可笑しかったんですよ!? 恥ずかしくて見せられません」

「そんなことは、ありませんよ」

 薬売りは再びを引き寄せると、また指先で頬に触れた。

「何にでも懸命な貴女の、その証じゃあ、ないですか」

「…え…」

 薬売りは、たまによく分からないことをさらりと言うものだから、はしばし考えてしまう。

 その間、薬売りは口角を上げる。

「見られなかった、代わりに…」




 そう言って、が頭を働かせている隙に、薬売りはその唇を奪っていった。






















END










何が書きたかったのか…


2013/9/8