天気雨の夜










 神社の裏手。
 細く、急な石段。

 下れば直ぐに、田んぼの畦道。

 そこに彼女は居た。
 しゃがみ込み、うずくまり、すすり泣く。



 待てど暮らせど、その日は来ない。










轆轤首〜序の幕〜









 夕暮れ時。
 暑さは漸く和らいだ。

 山間の小さな村。
 訪れたのは二人の旅人。

 一人は男。
 大きな行李を背負い、涼しげな色の着物を身に纏う。
 一人は女。
 長い黒髪が、歩くたびに揺れる。

 折りしもその村は、祭りの前。
 いつもならば疎らな人影も、準備に追われて人が行き交う。




 しかし、人々の表情は暗い。




「薬は良く、売れたんですがね…」
 ぼやいた男は薬売り。
「モノノ怪でしょうか」
 不安そうな女は


 この村では、奇怪な現象が起こっていた。




「最近、夜になると化け物がでるんだ」
「女の顔だけが、宙に浮いてるんだってよ」
「道行く男の顔を覗きこんでは、生気を吸い取っていっちまうんだ」
「吸い取られた奴は、三日の間眠り続けることになる」
「若い男ばかりが狙われるって話だから、お前さんも気をつけな」




 村人達は、化け物を恐れて、夜は極力外出を控えた。
 お陰で、祭りの準備は遅れる一方。


「顔が浮いてるって、どういう感じでしょうか」
「さぁて」




 人の多い神社を離れて、細い石段を降りていく。
 田んぼが夕日を受けて、赤く輝いている。


 石段の下。
 畦道の端に、女が一人、うずくまる。


「どうかしたんでしょうか」
「さぁて」


 石を打つ足の音が、一人分早くなる。
 もう一つは、相も変わらず。


「大丈夫ですか?」


 背中に呼びかける。
 けれど、返事はない。
 その代わり、聞こえてきたのはすすり泣く声。
 静かに、必死に声を殺して。
 苦しそうに、息を吐き出す。


「あの…」


 ふとは気付く。
 これは、この声は人のものではない。
 悲しみに打ちひしがれた、この世ならざるものの声。


さん」


 追いついてきた薬売り。
 を呼ぶと、畦道を進んでいく。
「薬売りさん?」
 行李を追う。
「どうして、何もしないんですか?」
「夜になったら、もう一度、来ませんか」
「夜にですか?」
「夜が更ければ、更けるほど、モノノ怪の力は、強くなるんですよ」


 あの女の力は、大分弱い。
 あれではモノノ怪になるほどではない。
 けれど、夜になれば話は変わる。


「…はい…」


 夜に自らモノノ怪に遭いに行く。
 あまり気乗りはしないもの。





「本当に出かけるのかい?」


 問う声は宿の女将。
 と言っても、四部屋ほどしかない小さな宿。

 心配そうな顔でを見る。
「大丈夫です。一人じゃないですから」
 笑って戸の外へと向かう。
 外には薬売りが待っている。
「一人じゃないって言ってもねぇ…」
 胡乱げな女将。
 妖しい男と、若い娘の取り合わせ。
 疑いたくもなる。
 “何を”とは言わないが。


 宿から出てきたを確認すると、すぐさま歩き出す薬売り。
 はそれを足早に追いかける。


「本当にあの人がモノノ怪なんでしょうか」
「さぁて。行って、見てみないことには」


 神社のある小高い丘を迂回する。
 田んぼが月の光を受けて、白く輝いている。

 隣の薬売りから、嗅ぎ慣れない香りが漂う。
 柑橘系の、爽やかな香り。


「…これは何の香りですか?」
「蜜柑、ですよ」
「こんな時期に?」
「干した皮、ですよ」
「皮…」
「皮を燃やした香りは、蚊が嫌うんですよ」
「…一人だけずるいです…」
「俺の傍に居れば、いいじゃないですか」
「…そうします」


 何気ない一言に、何気ない返事。
 二人の間に、提灯が揺れる。





「…居ないですね」
「そう、ですね」


 階段まで来てみたものの、女は居ない。
 辺りを見ても、闇が続くだけ。
 遠くで、蛙が鳴いている。


「人でもないようでしたけど、モノノ怪でもなかったんですね?」
「さぁて。…ところで、今は、何時でしょうかね」
「…そろそろ宵五ツじゃないですか?」
「そう、でしたね」
「何ですか?」
「いえ、ね…」


 首を傾げるを他所に、階段を数段上る薬売り。
 そのまましばし考え込む。
 その後姿を、数段下から見上げる


「宿へ、戻りませんか」
「もういいんですか?」
「居ないものを、どうしろってぇ言うんですか」
「そうですけど」
「明日、もう少し、噂話を集めてみましょうかね」
「はぁ…」



















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始まりました。


実はこの話
一番短くなると思ってだらだら書いていたら
無駄に長くなってしまったという…


お付き合いくださいませ。


2010/8/14