荷物を片付ける薬売り。
視線を移せば見慣れた娘。
そのいくらか後ろの方に見慣れぬ老婆。
娘は、足早に近付いてくる。
「薬売りさん!」
「…さん…?」
行李を背負い、立ち上がる。
急いできたのか。
傍に来たは、少しだけ上気している。
「どうか、したんで?」
「あのお婆さん、エツさんが」
ゆっくりと歩を進める老婆。
薬売りの視線に笑顔で応える。
「ここで亡くなった人のことを知っているらしいんです」
山一つ向こうの町。
小さな茶店を営む三人の家族。
父親、母親、そして年頃の娘。
その隣に、エツは住んでいた。
「その娘さんはね、お紗和ちゃんといって、とても器量よしで明るい子だったよ」
まだ紗和が小さい頃には、預かって遊んでいた。
良く懐く、いい子だった。
そのうち店を手伝いだした。
店の看板娘は評判だった。
「店が忙しくなっても、アタシの事は気に掛けてくれてね」
小さい時分は世話をした。
年を取ってからは世話をされた。
「親には話せないことも、アタシには色々話してくれたんだ」
しゃがみ込むエツ。
話しながら、階段の端に花を横たえる。
小さな背中が、更に小さくなる。
「その一つが、好いた人がいるという話だったよ」
「ねぇお婆ちゃん、聞いてくれる?」
「あら、何かしらねぇ」
「私、好きな人がいるのよ」
「おや、そんな年頃になったのね」
「私だってもう十八よ」
「そうだったねぇ」
笑顔が零れる。
「その人もね、私のことを好きだと言ってくれたの」
「まぁ、それはよかった」
「うん、とっても嬉しかった」
言葉とは裏腹に。
笑顔が陰る。
「でも、父さんにも母さんにも反対されてるの。相手のご両親にも…」
「…そんな、どうして」
「相手が大店の跡継ぎなの…。それに比べて、うちはその日その日が精一杯の小さな茶店だもの」
「…お紗和ちゃん…」
「大通りの吉坂屋さんの由次さんって知ってるでしょ? …当然のことなの」
「何処かに、養女に入ることはできないのかい?」
「たかだか茶店の娘よ」
ふと、険しい顔をする。
「だから、私達決めたの」
「…え…?」
「駆け落ちするの」
「お紗和ちゃん…!」
「何処か遠くの町で、二人で暮らそうって」
「ちょっと待って」
「ううん、決めたの」
「お紗和ちゃん…」
「これは、お婆ちゃんだから教えるの。お婆ちゃんは、いつも私の味方でいてくれたから」
止めても無駄だと、分かった。
そういう娘だと。
小さい頃から知っていた。
知っていたはずなのに…
「山向こうの村で、今度お祭りがあるらしいの」
「祭り…。そういえば、もうそんな時期だねぇ」
「その日に、その村の神社で落ち合う事にしたの」
山を越えるのに、半日ほどはかかる。
二人が落ち合う場所は、遠ければ遠いほどいい。
見つかりにくい。
「本気なの?」
「本気よ」
「私、あの人のこと、好きだもの」
合わせていた手を下ろして、老婆は階段を見上げる。
「でも、約束の日に、お相手は行かなかった…」
「…え…?」
「直前に縁談が舞い込んで。相手の家も大店でね」
両親は、由次に有無を言わさず快諾した。
それほどの良縁。
その日のうちに縁談は纏り、宴会となった。
「お紗和ちゃんが死んだというのは、風の噂で聞きました」
「…エツさん…」
「長い間待って、待って…そして…」
小さな背中が、震えた。
「命が尽きる前に、お紗和ちゃんの心は、死んでしまっていたかもしれないねぇ…」
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2010/9/5