夜咲き花
〜打ち上がる夏の恋心〜
―――それはまるで真夏の夜の夢
ぱあっと咲いて ふっと消える―――
今日はやけに浴衣を着た人とすれ違うなぁ―――と
が振り返る。
親子連れや恋人、老夫婦も何かを心待ちにしているかの
ように町を歩いていた。
「・・・今日は、何かあるのかなぁ?」
「―――お嬢さん、ご存知無いんで?」
店の主人に声を掛けられた。
「―――今日は祭りなんですよ。
この先にある神社の祝い事なんですけどね。」
お祭りですか――とが頷く。
「それで皆、あんなに楽しそうなんですね。」
「町の人達が楽しみにしているのは、花火ですよ。」
花火―――?
店の主人の話によると、年に一度の祭りで上がる
花火は、結構盛大なものらしい。
あちらこちらから見物客が訪れ、川辺は人でごった返す
と言う。
「そんなにすごいんですか?」
「そりゃあもう。
どでかい花火がどでかい音でドンドンッと上がる
もんだ。
まさに夏の風物詩ってやつさ!」
主人が陽気に笑う。
は宿の階段を勢い良く上がった。
買出しで仕入れた品を胸に抱え、心を弾ませながら。
「薬売りさんっ!!」
勢い良く部屋の襖を開ける。
「―――おや、お帰りなさい。」
薬売りは大きな薬箱を”よいしょ”と背に担いだ。
「・・・あれ、何処か、行くんですか?」
「―――えぇ、ちょっと、隣町まで、薬を売りに
来てくれと、頼まれまして。」
同じ宿に止まっていたとある客に、自分の知り合いに
薬を欲している人がいると聞かされ、足の不自由な
老人らしく是非とも町まで来て欲しいと頼まれたらしい。
「―――帰りは遅くなるかもしれません。
気にせず、先に眠ってしまって、結構です。」
そう言って薬売りは背を向けた。
「・・・・あ、あの、薬売りさん!」
何です―――?と薬売りが振り返る。
「あ・・・、え、っと――――」
は言葉に詰まった。
「――――何でもないです。お気をつけて。」
”行って来ます。”と言う薬売りの後ろ姿を、は
笑顔で見送った。
「はぁ〜あ・・・・。」
薬売りの居なくなった部屋で、
はひとり溜め息を吐いた。
「・・・薬売りさんと花火、見たかったなぁ。」
何故、一緒に花火を見に行きませんか―――と
言えなかったのだろうか?
答えは簡単。
彼の重荷になりたくないから。
薬売りに我侭は言いたくない。
本当は行って欲しくなかったけれど、は決して
口に出さなかった。
そして静かに日は暮れていった。
―――― ドーーンッ !! ――――
「!」
太くて鈍い音が響き渡る。
「・・・始まっちゃった。」
自分しか居ない部屋。
窓辺に座ったは、どこか物悲しくなった。
下を見下ろすと、皆大急ぎで川の方へ向かっている。
「・・・見に、行こうかなあ。」
は腰を上げた。
「・・・・―――う、わぁ・・。」
見上げた先には、夜空に咲いた大輪の花が
ものの見事に咲き誇っていた。
「―――すっごい、綺麗!」
はひとり叫んだ。
赤に緑、金色に銀色。
何色にも光る花火が次々と打ち上げられていく。
川原は人で溢れかえっていた。
それでも何とか人の群を掻き分け前に進み、
何とか花火の見える場所へと辿り着いた結姫。
花開いたと思ったら瞬時に消えてしまう。
しかし休む間も無く次の花火が打ち上げられ、
それもまた美しくて、周囲から歓声が沸きあがった。
―――・・・薬売りさん。
は、今隣に薬売りが居たらどんなに良いかと、
それだけが気掛かりだった。
とはいえ、どうしたって今ここに彼を連れて来る
ことは出来ない。
どこか寂しいながらも、は夜空を見上げた。
「―――ねぇ、君もしかして、ひとり?」
「――――え?」
突如、声を掛けられ振り返る。
浴衣を着た三人の男が、にやにやと笑みを浮かべ
ながらを囲んでいた。
「・・・・あ、の、何か?」
「君さぁ、ひとりなんでしょ?
俺達と一緒に楽しいことしない?」
はきょとんとした顔をした。
「良く見たら顔も結構可愛いしね。」
ひとりの男が覗き込むように身を屈めた。
「なんか寂しそうな顔してるなぁって思ってたんだ。
ひょっとして男にふられれちゃった?」
「――――っ。」
あははっ――と馬鹿にされているようで、は
戸惑った。
「ねえ、寂しいなら俺達とおいでよ。
そんな男のことなんか忘れちゃってさ。」
男のひとりがの腕を掴む。
「―――やっ・・・、離してください!」
振り切ろうにも、女であるの力では
到底及ばなかった。
「いいじゃん、いいじゃん。
俺達と朝まで良いことしようぜ♪」
―――やだっ・・・、助けて、薬売りさん!!
は目の端に涙を浮かべた。
「――――痛てててッ!!」
「!」
突然、ひとりの男が顔を顰めた。
が顔を上げると、誰かが男の腕を掴み上げている。
蒼い色の鋭い爪は、痕が残るくらい喰い込んでいた。
「―――その人を、離してくれませんか、ねえ?」
「・・・―――薬売り、さん。」
男の背後から薬売りが現れた。
「――――なんッだ、てめぇは?!」
男達が薬売りを睨む。
「この人は私の連れです。
気安く、触らないで、いただきたい。」
薬売りも負けじと彼等を睨み返した。
「―――っんだと、良いとこを邪魔すんじゃねぇよッ!!」
「――――・・きゃッ!」
男の拳が薬売り目掛けてぶつけられた。
「!」
りん――、と鈴が鳴る。
「・・・・・・あ。」
間一髪のところで、退魔の剣が抑制した。
「――――彼女は、俺の女だ。汚い手で触るな。」
蒼い目が鋭く光った。
「・・・――――ちっ、行こうぜ。」
男達は振り返ると、そのまま人波の中に消えていった。
「・・・あ、の、薬売りさん、如何して?」
遅くなると言って出て行ったはずなのに。
「思ったよりも、早く、済みまして、ねえ。」
薬売りがの隣に並ぶ。
「宿に戻ったら姿が無いものだから――――。」
部屋の中は真っ暗だった。
”おかえり”という声も聞こえない。
どこか切ない風が通り過ぎた。
「・・・何故、言わなかったん、で?」
「え?」
花火のことですよ――と薬売りがを見る。
「・・・だって、薬売りさんに、迷惑掛けたくなくて。」
我侭な女だなんて思われたくない。
貴方の前では、いつだって可愛い私でいたい。
「・・・黙って出て行かれる方が、よほど、迷惑です。」
「・・・・・すみませんでした。」
は俯いた。
「おまけに、あんな輩に囲まれて。
私が来なかったら、どうなっていたことやら。」
女がひとりで居ればかっこうの餌食だと、薬売りが言う。
その声はいつもの優しい口調ではなかった。
きっと怒っているに違いない。
書き置きもせず部屋を出て、行き先も告げず飛び出して
来たのなら無理もない。
何故今頃になって気付いたのか。
自分の行動の軽率さに、は言葉を返せなかった。
「・・・いつまで、下を、向いているつもりだ?」
「!」
がそっと顔を上げると、そこには微笑んでいる
薬売りが居た。
「・・・怒って、いないんですか?」
「見たかったのだろう?」
薬売りが空を見上げた。
大きな輪を描いて、花火が咲き誇っていた。
「―――私の方こそ、済まなかった。
お前が言いたいことがあるのに、ちっとも、気付かないで。」
「そんな―――。」
悪いのは私の方なのに―――
そう口にしようとしたの手を、薬売りがそっと握る。
その手はとても温かかった。
「―――――綺麗だな、。」
「―――・・・はい。」
「そういえば薬売りさん、よく私が、ここに居る
ってわかりましたね?」
「散々探した―――。」
部屋に戻るとは居らず、何処へ行ったのか宿の女将
に聞くと、花火が始まった頃に出て行ったのを見た
という返事が返ってきた。
何でも年に一度の花火大会の日らしい。
いかにも好きそうな催しだと薬売りは思った。
川原は人で溢れていた。
そんな中でひとりの人間を探すなど至難の技だ。
それでも薬売りはを探した。
そしてようやく彼女を見つけた。
男達に言い寄られている所を―――。
胸の奥が騒いだ。
彼女の腕を掴んでいる男が許せなくて、奥歯を
噛み締めた。
気が付いたらその手を掴み上げていた。
――――彼女は、俺のものだ。
―――― ドォーーーンッ !! ――――
最後の花火が上がった。
これまでの中で最も大きな花だった。
「―――すごいですね、薬売りさんっ!」
「―――あぁ。」
は空を見あげながら笑っていた。
それを横で見ながら、薬売りもまた微笑んだ。
大きく咲いた花は夜の闇へと消えていき、明るかった空
は暗がりを取り戻した。
「・・・終わってしまうと、なんだか寂しいですね。」
「祭りの後の、静けさ、って、やつ、ですか。」
もっと見ていたかった。
終わってしまうのがとても名残惜しい。
<
もっと彼と、花火を見ていたかった。
「帰りましょうか――――。」
薬売りはの手を引いた。
「・・・――――痛ッ!」
の鈍い声に薬売りが振り返る。
見ると顔を下に向けていた。
「・・・どう、したんで?」
「―――な、なんでもないです!」
とてもそうは見えない。
薬売りはの足元を見た。
下駄の鼻緒を挟んでいる指の間が赤く滲んでいる。
擦れて血が出たらしい。
「・・・全く、お前という人は。」
薬売りはの足元に腰を落とした。
「へ、平気です、これくらい。大したことない―――。」
「肩に、掴まりなさい。」
静かな口調で言われ、は言うとおりにした。
の足を掴みながらまじまじと見る薬売り。
「・・・これでは、歩くのが、辛い、でしょう?」
「・・・大丈夫です、こんなの。」
「―――――。」
「!」
下から見上げる薬売りと目が合った。
蒼い目とぶつかる。
「・・・どうしてそう、遠慮をするのです?」
「・・・そんな、遠慮なんて―――。」
ただ、荷物になりたくないだけなのに。
「・・・私、何も出来ないから。
薬売りさんの負担に、なりたくなくて―――。」
「私は、お前を負担だなどと思ったことは、無い。」
「でも、我侭言って嫌われたらって―――」
そうですね―――と薬売りは体勢を元に戻した。
「確かに、我侭を言う女は好きではない―――。」
の目を薬売りが見つめる。
「だが、お前のことは好きだ、。」
「・・・――――え?」
笑った顔がとにかく可愛くて
哀しい時には涙を流し、人の幸せを喜ぶ。
そんな当たり前のことを、さも当然かのようにして
みせるお前に、ずっと惹かれていた。
「・・・薬売りさん、今――――」
好きって、言った?
「・・・、お前は、私が、好きか――――?」
好き―――。
その蒼い目が。その唇が。その手が。
貴方の全てが愛しい。
「・・・・好き。
私も、薬売りさんが――――。」
最後まで告げる前に、薬売りはに口付けた。
触れるだけの優しい口付け。
「・・・・――――えッ・・。」
くすっ――と薬売りが笑う。
「もしかして、初めて、だったかい――――?」
「――――っ。」
の頬が赤く染まる。
「心配せずとも、じきに、慣れる。」
薬売りはの顎を指先で持ち上げると、再び唇を
重ねた。
今度のは深くて熱いものだった。
「――――ほら。」
薬売りはしゃがみ込んでに背を向けた?
「え?」
「その足では痛いだろう?乗りなさい。」
は戸惑った。
「―――そんな、悪いです!」
「いいから。つべこべ言わず、言う事を聞きなさい。」
強い口調で言われ、はおとなしく従った。
かつん、かつん―――と薬売りの下駄が音を立てる。
「・・・薬売りさん、あの、重くないですか?」
いいや――と薬売りが答える。
薬売りにおぶさったまま、は彼の首に腕を
巻き付けている。
「・・・――――。」
「はい?」
何ですか?―――と背中越しに聞く。
「私がいつも、薬箱を背負っているのは、知っています、ね?」
「はい。」
彼の商売道具で、たくさん薬が入っているらしい。
時々薬じゃないものが入っているのを見たこともあるが。
「あれは、私の、大事な、商売道具、です。」
薬売りですから―――と最もなことを言う。
は彼が何の話をしているのか、良く理解できなかった。
「・・・つまり、大事なものは、背負うんです、よ。」
「!」
顔が見えなくてもわかる。
彼は今、微笑んでいる。
は薬売りの首に回した腕にぎゅっと力を込めた。
「・・・・苦しい、ですよ。」
「―――薬売りさん、大好きです。」
もう隠さない。
この想いだけは呑み込まない。
あの花火のように、闇に吸い込まれて欲しくないから。
「――――私も、ですよ。」
静けさを取り戻した夜の空に、大きな打ち上げ花火が
咲き誇ったような気がした。
「・・・また、一緒に見に来たいですね。」
「――――必ず。」
【 E N D 】
相互リンクサイト「最愛」ヴィンセント様から頂きました!
薬売りさん思いの健気なヒロインちゃんと
ヒロインちゃん大好きな薬売りさんに
ニヤついてしまいました…!
そして追い討ちをかけるような
薬売りさんの「大事なものは背負うんですよ」発言に
胸を鷲掴みに!!
ヴィンセント様、素敵な小説ありがとうございました。