Secret lover’s night







「泣いて、いたんですか」

「…いいえ…」

 否定した彼女の目は赤く、潤んでいた。



 雨が降りそうだというのに、傘も持たずに出かけていった彼女が気になって、追いかけた。
 奉公先は聞いていたから、そこへ向かった。


 その途中で、雨が降ってきた。


 傘を開いて歩いていると、奉公先に着く前に彼女を見つけた。
 雨に打たれながら、小さな川にかかる頼りない橋のちょうど真ん中に立っていた。
 声も掛けずにすぐ傍に行くと、俺に気付いた彼女は、大層驚いた顔をした。
 その大きな瞳に、涙が溜まっていたのは見間違いではない。

 無言で彼女の手を引いて、宿に戻ってきた。

 濡れたままではいけないと、手拭を渡したけれど、のろのろと力なく身体に宛がうだけで、どうにも頼りない。
 堪らず掛けた言葉が、“泣いていたんですか”だ。
 もちろん彼女が否定するのは分かっていた。
 それが強がりだという事も、分かっている。

さん」

 溜め息混じりに呼んで、俺は彼女の傍へ行く。
 手拭を奪って、彼女の髪や着物を拭いてやる。

「自分で出来ます」
「何処が、ですか」

 彼女に遣らせていたら、時間がかかって仕方がない。
 すぐに風邪をひくだろう。

「こんなに、冷えているじゃあ、ありませんか」

 頬に手を当てると、しっとりとした肌が吸い付いてくる。
 けれど、いつもの温かさはなかった。

「貴女ってぇ人は」

 ゆっくりと、彼女を抱きしめた。

「薬売りさんが濡れてしまいます…!」
「構いませんよ」

 彼女の力で、俺の腕を解く事なんてできはしない。
 離れようとする彼女の背中を包み込んで、逃げられないようにする。

「何があったか、知りませんが…」

 俺の言葉に、彼女は小さく首を振って“何もない”と言う。
 そんなわけがない。

 けれど、問い詰める事はしない。

 話したくないのなら、彼女の気が済むまで傍にいるだけだ―いや、俺の気が済むまで。
 笑ってくれるまで、抱きしめるだけだ。

 観念したのか、彼女は力を抜いて、身体を預けてきた。
 彼女の背中が、大きく膨らんで深呼吸したのだとわかる。
 ゆっくりと、自分を落ち着かせているのだろう。
 俺も合わせて呼吸する。




 何度か一緒に深呼吸を繰り返すと、彼女が顔を上げた。
 そして、小さく微笑んだ。
 未だ目は赤かったが、どうやら気が済んだらしい。

「…まったく」
「!!?」

 そう呟いてから、彼女に口付けを落とした。
 心配をさせるから、いけない。

「き、急に何するんですか…っ」

 頬を染めて、非難の視線を送ってくる。
 さっきまであれほど冷えていたのに。

「体温が、戻ってきたようで」
「な、何言って…!」

 まだ開いていた口を無理矢理塞いで、言葉を遮った。
 彼女は抵抗もせずにそれを受け入れてくれる。















 ふと、彼女の着物が気になった。







 折角体温が戻ったのに、いつまでも濡れたものを着ていては、意味がない。







 そう思って、彼女の帯に手を掛けた―。






















-END-









何故ヒロインは泣いていたんでしょうか?

…色々言われたんです、奉公先で。
若い娘が男と二人旅だとか
ひょっこり現れて仕事をくれなんて
図々しくて無神経だとか、何とか。

ヒロインもこう見えてガラスのハートだったりするので。
優しい人だけじゃないことを痛感した日。







心すれ違う町の片隅であの日出会った奇跡

震える膝をずっと抱え込んでた

冷たい雨に打たれて 冷え切ったその身体抱きしめてあげる

眼差しの中で今 もう二度とその瞳濡らす事はない

初めてその小さな肩を抱きしめたときに全て分かった

傷ついた羽根を癒して

この胸に眠ればいい 涙を拭いて




2010/12/26
どうにか二つ目です。