天気雨の夜

初見〜大詰め〜






「…は…?」






 思い切り間抜けな声が、部屋に木霊する。

 何がどうなってそういう結論に辿り着いたのか。
 あの一瞬の沈黙の間に、どういう思考回路が働いたのかと思う。
 別に茶に悪いものなど入れてはいない。
「“私”と“貴方”が一緒に、ですか?」
 わざわざ手で示す。
「他に誰かいるなら、教えていただきたく…」
「そうですよね」
 面白い、というように口角の上がる薬売りとは対照的に、は口角を引き攣らせる。

「どうしてそういうことになるんでしょうか?」
 まずは話を聞かないことには。
「貴女には、モノノ怪の声が聞こえる」
「はい」
「俺には、モノノ怪を斬ることが出来る」
「はい」
「そういうこと、ですよ」
「はい」
 待て待て。
「じゃなくて、分かりませんから」
 筋の通らない話と、思わずしてしまったノリ突っ込みに、はがくりと畳に両手を着く。
「一緒に来れば、分かりますよ。いずれ、ね」
 理由を知りたければ一緒に来いということ。
「でも、私は…」
 一緒に行っても役に立たない。
「モノノ怪を、どうにかしたいの、でしょう?」
 が切に願っていることが、叶うということ。
 けれど、易々と返事を出来ない理由は、いくつもある。
「…少し考えさせてください」
 の沈んだ声に、薬売りはそうですか、と言って立ち上がる。
「明日、巳の刻に、発ちますので」
 それまでに、結論を出せということ。





 一人になった部屋で、は二杯目のお茶を淹れる。
 それを一口啜ったあと、難しい顔をする。

 易々と返事を出来ない理由、その一。
「見ず知らずの男にホイホイ付いていくなんて、危険極まりない」
 この年でまさかの嫁入り前。いつかその時が来たとき、男と旅をしていたということが相手に分かれば、いい気はしないはずだ。変に勘繰られるのも嫌だ。
 それに、中性的な外見とはいえ、一応男だ。自身が危うい。
 うん、と力強く頷く。

 易々と返事を出来ない理由、その二。
「相手は行商人、私は職なし」
 一緒に旅をするとなると、部屋は別として、宿は一緒になるのだろうか。それは困る。
 薬売りはそれで生計が立つが、は町々で働いて僅かに給金を得るか、歌という見世物で小銭を稼ぐくらい。
 気楽な一人旅ならば気にならないが、相手がいて、しかもその相手は行商人。収入の差が目に見えて違うことが嫌だ。
 うんうん、と力強く頷く。

 易々と返事を出来ない理由、その三。
「モノノ怪の性質と危険度が分からない」
 実のところ、にはモノノ怪の本質が分からない。
 “斬る”のだから害のあるものだと知れる。
 けれど、これまでが遭遇してきたものの中に、人間や自身に何かをしたということはなかった。
 もしかしたら薬売りの言うモノノ怪ではないのかもしれない。
 関わったものはすべて、近付いても小声で何か言っている程度。あまりにも大きな声には近付かなかった。声の大きさは、力に比例すると、これまでの経験上、感覚的に分かっているから。
 多分薬売りの言うモノノ怪とは遭遇していないのだろう。
 だから、モノノ怪がどれほど危険なものなのか、全く分からない。身の安全の保証がないのだ。
 うんうんうん、と力強く頷く。

 易々と返事を出来ない理由、その四。
「あれ…これくらいかな?」
 もっとあると思ったのに、と呟く。
 は茶をもう一啜りすると、目を閉じた。
 色々と理由を挙げて、頷いてはみたものの、説得力に欠ける。
 きっと自分はこのまま、お嫁になど行かない。旅を続けるつもりなのだから、何処かに居を構えることはないと思う。
 何も同じ宿に泊まることもないし、万が一のときは薬売りに集ってやればいい。一緒に来いと誘ってきたのはそっちなのだからと。
 そこで“じゃあここで別れよう”と言われたら、薬売りとの縁はそこまでだったというだけの話。
 危険に晒されたときは、それはもうどうしようもない。
 何も出来ないと言って、薬売りが助けてくれるかは分からない。護身術の一つくらい教えてはくれるかもしれないけれど、身を守れる保証はない。
 もし、そこで命を落としたときは、それが自分の運命だと思ってもいい。
 今まで、結構自由に生きてきた。身寄りもないから、自分が死んで悲しむ人もいない。
「それも、寂しいけど。その時は薬売りさんを祟ってやる」
 物騒な独り言を呟いてから、はふっと息を吐く。


 結局のところ、断るに足る理由が見当たらない。


「敢えて言うなら…」
 薬売りの素性。
 会ったのは今日が三回目。一回はすれ違っただけ。一回はほんの少し言葉を交わした程度。薬売りでモノノ怪が斬れる事以外、まったく不明。名前すらも。
 けれど。
「それも、一緒に行けば分かるかな?」
 ふと、笑みが漏れる。
「あ〜、もういいや」
 頭の中のモヤモヤを振り払う。
 考えたところで、自分のやりたいことに従えば、一緒に行くという選択が一番なのだと決まっている。
「私は、あの声の主たちを何とかしてあげたいのよ」
 自分には出来ないことが、あの男には出来る。
 そういうことだ。





 翌日、巳の刻には少々早い。
 は帳場の床に腰掛けて、足元では土間の土をザラザラといじくっている。
 本当ならあと何日か泊まって、旅費を稼ぎたいところだったのだが、“明日、巳の刻に発つ”と言われてしまったのだから仕方がない。
 置いてきぼりを食らわないために、随分と前からそこで座り込んでいる。

「あれ、客さん、まだ発たないのかい?」
 帳場を通りかかった宿の女将に声をかけられる。
「はい、人を待ってるんです」
 とりあえずそんな所だ。
「そうかい。まぁ、気をつけてお行きよ」
「はい」
 僅かに首を傾げる女将。来たときは一人だったに、連れが居たとはと驚いたのだろう。
 女将が奥に姿を消すと同時に、廊下から待ち人が姿を現した。
 はすぐに立ち上がって、その姿を正面に見る。
 番頭と二言三言言葉を交わすと、の元に向ってくる。
「おはようございます、薬売りさん」
 ここ一番の明るい声。
「おはよう、ございます」
 変わらぬいつもの調子。
 音もなく、下足番が薬売りの下駄を出してくる。
「結論が、出たようで」
「はい、一緒に行かせてください」
 そう言って頭を下げる。
「頭を、上げて、くれませんか」
 自分が言い出したのだから。
 姿勢を戻したは、口角を上げる。
「いえいえ、これから物凄〜くお世話になる予定でいますので、初めによ〜くお願いしておかないと」
 何かあれば集って、更には祟ってやろうと思っているのだから、予め頭を下げておこうという魂胆。
「世話、ですか」
「はい」
 の満面の笑みに、真一文字に口を結んで辟易する薬売り。
 何か良くないものを引きずり込んだのかもしれないと思ったのは、まず間違いない。
「よろしくお願いします、薬売りさん」
「…はい、はい」
 何はともあれ、こうして二人のモノノ怪退治(珍)道中は始まるのであった。








初見-END-


最後だけ短い…
2009/8/29