走馬灯






 湯を浴びて部屋に戻ったが目にしたのは、部屋の中をくるくると影が回る景色だった。



 その夜は風が弱く、陽が落ちても部屋に熱がこもって蒸し暑かった。
 は汗をかきながらも、それでも“暑いですね”と薬売りに笑いかけていた。
 薬売りはと言えば、暑さにも寒さにもそこまで堪えることはないらしい。
 “そうですね”、と短く応えて、顔色一つ変えなかった。



「わぁ」

 は、暫く入口に立ったままその光景を見つめていた。
 壁際の文台の上に、円筒形の灯籠が置かれている。
 その内側に何か仕掛けがあるようで、灯籠の和紙に数匹の狐の影が走り回っているように映し出されていた。

さん」

 呼ばれて我に返ったは、部屋の真ん中に座っている薬売りに視線を移した。
 ゆらゆらと揺れる明りの所為か、薬売りの存在が不安定に感じる。
 はすぐに薬売りの隣に腰を下ろし、寄り添うようにして、その存在を確かめた。

 近くで見ると、灯籠の仕組みが分かる。
 灯籠の中の蝋燭が燃えると、空気が熱せられて上がっていく。
 その気流が周りの仕掛けを回して、その外側の和紙に影が映るのである。

「これは…?」
「走馬灯、ですよ。宿の女将が、今夜は熱いから、と」

 少しでも暑さが紛れるように、気を利かせてくれたらしい。

「粋な気遣いですね」

 嬉しそうに笑うに、薬売りも口角を上げた。



 くるくると、狐が駆ける。

 後ろの狐が、先を行く狐の後を追っているよう。

 いつまでも追いつくことはないけれど、健気にずっと走り回っている。



「不思議ですね、ずっと見てても飽きません」
「それは、貴女が狐憑き、だからですよ」

 くつりと薬売りが喉を鳴らした。

「狐憑きって言い方は…」

 ムッとするだったが、間違ってはいないので語気が弱まった。

「馬と、兎と、それに蝶も、あったんですがね」
「狐を選んでくれたわけですね」

 今度はがくすりと笑った。

「ありがとうございます。狐、大好きなので」

 悪戯っぽく言うに、薬売りも応じる。


 柔らかな走馬灯の灯りと、追いかけっこを続ける狐。
 その光景は、何処か温かく、心が凪いでいく。

 うっとりと、それを二人で眺める。


 いつの間にか、の瞼が重くなっていく。
 薬売りは、肩に寄り掛かったその身体を受け止める。
 そうして、ゆっくりと布団に横たえる。
 その隣に、薬売りも寝転んだ。

 寝苦しい夜になるだろうと、覚悟をしていたけれど、どうやら心配はないようだ。





 忙しく走り回る狐は、やがて速度を落とし、仕舞には立ち止まった。

 けれど二人がそれに気づくのは、日が昇る頃だった。














END




2015/8/22