きらきらと輝く海を見つけた彼女の瞳が、きらきらと輝いて見えた。
それは見間違いなどでは決してなく。
その嬉しそうな瞳を俺へ向けると、予想通りの言葉が聞こえてきた。
「ちょっとだけ、寄ってもいいですか?」
期待に胸膨らませ、という顔で俺を見つめる。
しかし、俺は首を縦にはふれなかった。
「まずは宿を決めて、荷物を置いてからに、しませんか」
「…そうでした…」
一日中歩き詰めで、疲労も相当だろう。
梅雨が明けて、本格的な夏を迎えた。
休めるときは休んでおいた方が、今後の為だ。
海辺の町は活気があり、船着場には幾艘も船が停留してあった。
船の周りには鴎やらの海鳥が飛び交い、その下では猫が魚目当てに集まっていた。
それらを目にしたさんからは、自然と笑みが零れていて、不思議と自分も満足した気分になる。
砂浜を見下ろせる高台に宿があると聞き、そこに部屋を取った。
部屋に入るなり、さんは縁側へと駆け寄った。
宿の庭には目もくれず、その先に見下ろす海を眩しそうに眺める。
「うわぁ、きらきらしてますね」
旅の疲れなど露も見せずに、やはり輝いた瞳をしている。
大きく息を吸い込んで、それを静かに吐き出す。
「…潮の香り…」
独り言を言ってから、俺を振り返った。
「あの…」
窺うような視線を向けてくる。
「行って、きますね…。一人でも大丈夫ですから」
その言葉に、俺は思わず目を丸くしていた。
「薬売りさん、商いもあるし」
「何を、言っているんで」
「それに、疲れてると思うんで」
そこで変に気を回さなくてもいいものを。…というか、興味がないと思われているのか。
「俺も、行きますよ」
「ほ、ホントですか!?」
「えぇ」
暗かった顔が輝きを取り戻した。
砂浜に下りると、“きらきら”が“ギラギラ”に変わった。
熱を持った砂と、太陽を照り返す海。
波打ち際では、何人かの子供たちが御端折りをして、膝下まで浸かって海と戯れている。
それを見て、さんは海へ向かっていく。
俺は木の陰で留まり、その風景を眺める事に決めた。
ザリザリと音を立てる彼女の足元。
海にたどり着く前に、さんはその草履を脱いだ。
すると、片足ずつ交互に地面について、まるで飛び跳ねるような行動を始めた。
「なるほど」
余程熱いらしい。
思わず苦笑いをしてしまうほど、彼女の姿が愉快でたまらない。
そうやって波が届くか届かないかの所まで行くと、彼女は徐に着物の裾を摘んだ。
「…っ」
ちょっと、待ってはみませんか。
よく、考え直した方が、いい。
そのまま思考停止する俺を置き去りにして、彼女は裾の角を膝の辺りまで上げると、隠れていた下側の裾も同じように上げてしまった。
「何てことを、してくれるんでしょうね」
俺の呟きなど、とうに届かない所にいるさん。
白い足を膝下まで曝して、そのまま波に向かっていった。
足首ほどまで海に浸かって、寄せて返してを繰り返す波と、じゃれるように戯れている。
時折それまでより高い波が押し寄せて、慌てて引き返してくる姿が面白い。
無邪気で、楽しそうで、幼い少女のようだ。
けれど、それでいて彼女は、とても綺麗な娘なのだ。
出会った頃より大人びた顔や仕草。
細い肩や手足。
彼女を追いかける艶やかな長い髪。
俺と同じように彼女に見惚れている男が、この砂浜に何人もいる。
それなのに、周りに足を曝しているなんてことは、一切彼女の念頭にはない。
「…やれ、やれ」
無意識に出た言葉と溜め息。
それと同時に日差しの下へと足を踏み出した。
俺に気付いたさんは、控えめながらも笑顔で手を振った。
だから、その無邪気さが罪なんだ。
すぐ傍、高下駄の半分ほどが浸るくらいまで行くと、さんは嬉しそうに言った。
「気持ちいいですよ。薬売りさんもどうですか?」
髪や頬に付いた雫が、真珠のようだ。
彼女の頬に付いた雫を、指で拭ってやる。
俺を見上げる顔が、徐々に赤く染まっていくのが分かった。
「すみません…。海を見たら何だか嬉しくなって…」
俺はそんなに恐い顔をしていたんだろうか。
急に謝られても、こちらが困る。
「年甲斐もなく、はしゃいでしまいました」
「いいんですよ。貴女を見ているのは、飽きませんからね」
気まずいのか、彼女は俯いてしまう。
「どちらかと言うと、俺が気にしていたのは…」
俺がちらりと足元に視線を落とすと、さんは不思議そうに首を傾げた。
同じように自分の足元に目を遣る。
濡れた白い足。
「…」
「…っ」
「さて。もう、宿に戻りませんか」
さんの様子に満足した俺は、そう声をかけた。
「は、はいっ。戻りますっ」
先ほどとは比べ物にならないくらい顔を真っ赤にして、彼女は俯いた。
漸く、自分のしたことに気付いたようだ。
俺は無言で数歩戻ると、彼女の草履を拾い上げた。
そして再び彼女の元へ行くと、彼女を抱き上げた。
「く、薬売りさんっ」
横抱きにされて狼狽える彼女には構わず、そのまま自分の居た木陰へ入った。
傍にあった流木に彼女を下ろして、懐の手拭を渡す。
「とりあえず、軽く拭いて、裾を戻してくれませんか」
「…はい…」
しょげた顔で足を拭き始める。
彼女の隣に腰を掛けて、その様子を眺めながら低い声を出す。
「さん」
「はい」
手を止めて、俺を見える。
「貴女の肌を見られるのは、俺の特権だと、思っていたんですがね。どうやら、思い違いを、していたようだ」
「してません!!!」
俺の語尾に被る勢いで、さんは否定した。
その珍しい勢いに、呆気に取られる。
「私が迂闊で、考え無しで…。…ごめんなさい…」
見るからに気落ちしている。
さっきまでの楽しい気分を台無しにしてしまった。
「いいんですよ、分かっていれば」
「薬売りさん…」
「楽しそうな貴女を見ているのは、嫌いじゃあ、ありませんからね」
そう言うと、頬を染めてはにかむ様に微笑んでくれた。
けれどすぐに真面目な顔で彼女は言った。
「私だけ楽しくても意味がありません。薬売りさんも楽しめないと…」
何か考えているさん。
俺も楽しいなんて、簡単な事じゃあないですか。
「ちょっ…、薬売りさん!」
自分でも分かるほどの意地の悪い笑みを浮かべて、俺は再び彼女を抱き上げた。
まずは砂の付いた白い足を、洗ってあげなくちゃあ、いけませんね。
-END-
無邪気なヒロインと
それを眺める薬売りさんが書きたかったんですけどね。
江戸時代とかは女の人の肌の露出ってよくない事ですよね?
なので薬売りさんは若干ご立腹。
それにしても毎日暑い!
2011/7/17