『……』
「!?」
ハッと目が覚めて、最初に見えたのは天井だった。
真っ暗な闇に、ぼんやりと木が組んであるのが見える。
「…何…?」
自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
何処か遠くの方で、小さく。
ゆっくりと起き上がって布団を剥ぐ。
特に変わったところはない。
身体が重いとか、動悸が酷いとか、寝汗をかいたとか、そういうことはない。
傍らには天秤が居て、衝立の向こうからは、薬売りの微かな寝息が聞こえてくる。
何も変わらない夜。
けれど、確かに呼ばれた。
聞いたことのない声で。
強い意志を持った声で。
この世ならざるもの。
自分に聞くことの出来る“声”の主。
それは、モノノ怪だったり、アヤカシだったり、所謂幽霊だったり。
けれどその声は、それらのどれとも違うような気がした。
だた、自分を呼んでいた。
「呼んでいた? さんを?」
出立の準備をする後姿に、何とはなしに話してみた。
「はい。名を呼ばれたんです」
「モノノ怪、ですか」
「違うと思います。もっとはっきりとしたものでした、多分」
「では、何ですか」
「分かりません。この力で自分の名が呼ばれるのを聞くなんて、初めてなんです」
亡くなった母親でさえ、を呼ぶことはなかった。
薬売りは振り返ると、を眺めた。
頭のてっぺんから足の先まで、ゆっくりと視線を移動させる。
何か、おかしな所でもあるのだろうか。
「あの…」
「特に、気になるところは、ありませんが」
「…そうですか」
何も無いのなら、それに越した事はない。
けれど…
「不安、ですか」
その問いに、ハッと顔を上げる。
「いえ、そんな」
小さく笑って見せる。
「大丈夫」
「え?」
「俺が、居ますよ」
薬売りの手が、クシャリとの頭を撫ぜ回した。
「え、あ、ちょっ…、何するんですか」
整えたばかりというのに、ぐりぐりと容赦がない。
「結い直さなければ、いけませんね」
薬売りが手を離したときには、の髪は酷い状態になっていた。
「〜〜っ」
怒ったが、薬売りに怒声を浴びせようとしたとき。
「こちらへ」
「え?」
「俺が、結い直しますよ」
薬売りは鏡台の覆いを取り払って、をその前に促した。
「俺のせい、ですから」
「どんな声、でしたか」
「え?」
髪を梳く薬売りは、成されるがままのに問う。
「夢の声、ですよ」
「えっと…、性別で言うと、多分男?」
「多分」
「子供の声のようにも聞こえたんです」
「子供、ですか」
「とても小さくて、遠くて」
薬売りは髪の先に紐をぐるぐると巻きつけていく。
もちろん、自分が贈った結い紐で。
「それなのに、とてもはっきりしていたんです」
「ほぅ、それは何とも、不思議な」
「そうなんです。…妙な雑音みたいなものも酷かったし」
「雑音、ですか」
「何かに遮られていて、その向こう側からだった気がします」
「出来ましたよ」
薬売りは鏡越しにを見る。
「あ、ありがとうございます」
二人とも、立ち上がると宿を出るため荷物を掴む。
「その雑音」
「え?」
「何処かに、モノノ怪がいるのかも、しれませんね」
「…確かに、そうかもしれません」
二人の顔が引き締まる。
「では、行きましょうか」
「はい」
まだ見ぬ、モノノ怪を訪ねに―。
-END-
没版です。
気が付くといつも髪をいぢる展開になってしまうので
没にしました。
伏線も甚だしいし…
でも、データが残っていたのでひっそり上げてみました。
2011/5/8