幕間第三十九巻
〜呼び声・没版〜









『……』










「!?」



 ハッと目が覚めて、最初に見えたのは天井だった。
 真っ暗な闇に、ぼんやりと木が組んであるのが見える。

「…何…?」

 自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
 何処か遠くの方で、小さく。

 ゆっくりと起き上がって布団を剥ぐ。
 特に変わったところはない。
 身体が重いとか、動悸が酷いとか、寝汗をかいたとか、そういうことはない。
 傍らには天秤が居て、衝立の向こうからは、薬売りの微かな寝息が聞こえてくる。
 何も変わらない夜。

 けれど、確かに呼ばれた。

 聞いたことのない声で。

 強い意志を持った声で。






 この世ならざるもの。
 自分に聞くことの出来る“声”の主。
 それは、モノノ怪だったり、アヤカシだったり、所謂幽霊だったり。

 けれどその声は、それらのどれとも違うような気がした。

 だた、自分を呼んでいた。







「呼んでいた? さんを?」


 出立の準備をする後姿に、何とはなしに話してみた。
「はい。名を呼ばれたんです」
「モノノ怪、ですか」
「違うと思います。もっとはっきりとしたものでした、多分」
「では、何ですか」
「分かりません。この力で自分の名が呼ばれるのを聞くなんて、初めてなんです」

 亡くなった母親でさえ、を呼ぶことはなかった。

 薬売りは振り返ると、を眺めた。
 頭のてっぺんから足の先まで、ゆっくりと視線を移動させる。
 何か、おかしな所でもあるのだろうか。
「あの…」
「特に、気になるところは、ありませんが」
「…そうですか」
 何も無いのなら、それに越した事はない。
 けれど…
「不安、ですか」
 その問いに、ハッと顔を上げる。
「いえ、そんな」
 小さく笑って見せる。
「大丈夫」
「え?」
「俺が、居ますよ」

 薬売りの手が、クシャリとの頭を撫ぜ回した。

「え、あ、ちょっ…、何するんですか」

 整えたばかりというのに、ぐりぐりと容赦がない。

「結い直さなければ、いけませんね」
 薬売りが手を離したときには、の髪は酷い状態になっていた。
「〜〜っ」
 怒ったが、薬売りに怒声を浴びせようとしたとき。
「こちらへ」
「え?」
「俺が、結い直しますよ」
 薬売りは鏡台の覆いを取り払って、をその前に促した。
「俺のせい、ですから」









「どんな声、でしたか」
「え?」

 髪を梳く薬売りは、成されるがままのに問う。

「夢の声、ですよ」
「えっと…、性別で言うと、多分男?」
「多分」
「子供の声のようにも聞こえたんです」
「子供、ですか」
「とても小さくて、遠くて」

 薬売りは髪の先に紐をぐるぐると巻きつけていく。
 もちろん、自分が贈った結い紐で。

「それなのに、とてもはっきりしていたんです」
「ほぅ、それは何とも、不思議な」
「そうなんです。…妙な雑音みたいなものも酷かったし」
「雑音、ですか」
「何かに遮られていて、その向こう側からだった気がします」
「出来ましたよ」

 薬売りは鏡越しにを見る。

「あ、ありがとうございます」

 二人とも、立ち上がると宿を出るため荷物を掴む。


「その雑音」
「え?」
「何処かに、モノノ怪がいるのかも、しれませんね」
「…確かに、そうかもしれません」


 二人の顔が引き締まる。


「では、行きましょうか」
「はい」





 まだ見ぬ、モノノ怪を訪ねに―。















-END-




没版です。

気が付くといつも髪をいぢる展開になってしまうので
没にしました。

伏線も甚だしいし…

でも、データが残っていたのでひっそり上げてみました。

2011/5/8