短編






 暗い夜道を、二人、並んで歩いている。
 湿気を纏った風が、さらさらと木々の葉を揺らす。

「あれ、なんでしょうか」

 先の暗がりの方で、小さくいくつかの明かりが見えた。

「さぁて」

 自然に其方に足を向ける薬売り。
 その後ろを、隠れるように付いて行く




 そこは大きな寺の入口で、何人もの男女が集まっていた。
 人が動くたびに、手にした提灯が揺れる。
 そうして、辺りをぼんやりと照らしていた。


「おい、順番決めるぞ。くじ引きだ」


 近付いていくと、若い男の声がした。
 何本かの棒切れを持って、先を手で隠している。

 その棒切れを、順に引いていく。

 よくよく見れば、そこにいる男女は組になっているようで、くじを引くのは男で引き終わると組になった女のところへ戻っていくのである。


「なるほど」
「え?」


 一人納得する薬売りを、は不思議そうな顔で見上げた。


「おぉ、あんたたちもやってくか? くじはもうねぇが一番最後でいいなら」


 二人の存在に気付いたくじ持ちの男が声を掛けてきた。


「いいんで」
「おう、予定より人が集まらなくて盛り上がりにかけてんだ、歓迎するぜ」
「では、お言葉に甘えて」
「じゃあ、順番まで待っててくれ」


 一人で勝手に決めてしまった薬売りを、は困惑気味に見つめる。


「一体、何なんですか?」
「何ってぇ」


 薬売りは面白いと言うように口角を上げた。


「夏の夜、寺、男女の組、といやぁ…」


 たっぷりと間を明けて呟いた。


「肝試し、ですよ」










〜肝試し・壱〜










「き、肝試しですか?」

 弱気な声を上げる
 薬売りは少々怪訝そうにする。

「いつも、似たような事をしているじゃあ、ありませんか」
「そ、そうですけど…」

 上目遣いで“やめろ”と訴えてくるを、薬売りは楽しそうに眺める。

「本当なら、この札を墓地の先にある石碑に置いてくるんだが、数がもうねえから、お前さん方はその札を全部持ってくるってことでどうだい?」
「札、ですか」
「最後に全員で数えに行く手筈だったが、お前さん方が持ってきて、それを数えても同じだからな」

 乗り気ではないは完全に無視され、話が進められていく。

「薬売りさん…!」
「何がそんなに、気に入らないんで」
「気に入らないというか」
「あくまでも、これは肝試し、ですよ」
「それは分かってます」
「暗い夜道を、二人で散歩する。さっきまでと、何が、違うんで」

 確かに違わない。
 夜歩く事など、いつもの事だ。

「でも、この世ならざるものを冒涜しているようで」
「何も、幽霊だの妖怪だのを、楽しんでいるわけじゃあない」
「そうだぜ、娘さん。単に、暗い墓場を歩ききる度胸があるかって話だ。小難しく考えなくていいぜ」

 ここには、この世ならざるものの気配はない。
 墓場に入れば何かしらいるかもしれないが、モノノ怪でないなら薬売りにもにも出る幕は無い。
 何か害にならない限り、そのまま通り過ぎればいい。

「…わかりました…」
「そうこなくっちゃあな。よし、順路の説明するから、向こうに」

 そう言って、男は何人か人が集まっている灯りの下を指差した。
 薬売りが先にそちらに向かうと、男はに小声で声を掛けてきた。

「娘さん」
「はい?」
「ここの肝試しは、この辺じゃよく知られててな」
「え?」
「祝言前の男女しか参加できない決まりがあって…、つまりまだ恋仲ってわけだ」
「そんな決まりがあるんですか?」
「あぁ。それで、無事に帰ってきた二人は、その後めでたく夫婦になって幸せになるって言い伝えがあるんだ」
「夫婦になって、幸せに…」
「縁結びの肝試しってわけだ」

 は少々首を傾げる。

「でも、元々縁談がきまっているなら…」
「それがな、この肝試しでみっともない姿を見せた相手に幻滅するってことが結構あってな」

 恐怖のあまり連れの女を置いて逃げ帰ってきた男。
 男よりも肝が据わっていて可愛げがないと言われた女。
 互いに互いのことを気遣えずに喧嘩別れしたもの。
 そんなことがあったとか、なかったとか。

「極度の緊張状態で見せる相手の態度がどうかってことだな」
「はぁ…」
「相手との距離が近くなるってのも、いいんじゃねえか」

 ま、頑張れよ、と男は笑って歩いていった。
 何を頑張るのかと、は更に首を傾げた。







 ザリ、と地面を擦る音。
 自分が発した音なのに、心臓がビクリとする。

 暗い夜道など、いくらでも歩いているというのに肩に力が入るのは、ここが墓地だからだろうか。
 決して“何か”の気配がするわけでも、声が聞こえるわけでもない。
 それなのに、だ。

 たまに頬を掠める風は何故かとても冷たくて、思わず身体が縮こまってしまう。

 一歩ほど先を行く薬売りは、いつもより緩い歩調で歩いている。
 雰囲気を楽しんでいるというよりは、面白がっている。

 先に札を持って出て行った男女には、札を置いて戻ってきた者もいれば、持ったまま帰ってきた者、微妙な距離感を作って帰ってきた者等、様々だった。

 その間、悲鳴のようなものも聞こえた気がするが、薬売りにもにも、ここには“そういう類のもの”が居ないことは分かっている。
 つまりは本人たちの気持ちの問題という事だ。


 それを分かっていても尚、この深夜の墓地というものは予想をはるかに超えて恐怖心を煽る。
 立ち並ぶ墓碑や卒塔婆の陰、取り囲む木々の向こう、輝きのない漆黒の空。
 全てが無言で圧力を掛けてくる。


「―ひゃっ!!」


 突然、耳元を何かが掠めていった。
 驚いて、思わず声が出てしまった。
 同時に手が何かを掴んだ。
 目を瞑ってしまって、それが何かすぐには分からない。

「どうか、しましたか」

 薬売りは立ち止まって振り返る。
 その声に、は目を開けた。
 掴んでいたのは、薬売りの着物の袂だった。
 それも、両手でしっかりと。

「い、いえ、ただの虫です」

 ぶぅん、と羽音が耳に響いたのだ。

「そうですか」
「はい。大丈夫です、すみません」

 慌てて手を離して、笑顔を作る。
 薬売りは、そのまま無言でを眺めた。

「何か?」
「いえ、ね」

 言葉を濁す薬売り。

「な、何ですか!? 何かいるんですか!???」
「居やしませんよ」
「じゃあ」
「貴女はいつも、強がってばかりだ」
「え…」

 目を丸くするを他所に、薬売りは手を伸ばした。
 その手はの手を掴んで、ぐい、と引き寄せた。

 そして片手での背中を包む。
 その手は優しくあやすように背中を上下した。

「そんなに恐いのなら、俺に掴まっていれば、いいじゃあないですか」
「な…っ」

 さっきの羽音とは比べ物にならないほど心地いい声が聞こえた。
 耳元で、溶けるような囁き。

「いいんですよ。袂だろうが、腕だろうが」
「そ、そんなこと」

 出来るわけないと言い掛けた。
 けれど、背中から手を離した薬売りは、そのままの手をもう一度掴んだ。
 そうして、の手を自分の腕に絡めさせた。

 は困ったように薬売りを見上げる。
 薬売りは無言のまま、ふっと口元を緩ませただけだった。


 こんなに近くては、気付かれてしまう。


 絡めていた手を、は自ら解いた。
 それを見て、薬売りは無表情になる。

「あの…、これで」

 は一度離れた手で、今度は袂を掴んだ。
 さっきよりもほんの僅かに距離が空く。

 薬売りは微かに笑んだ。

「行きますよ」
「…はい」

 薬売りが歩き出す。
 は両手でしっかりと薬売りの袖を掴んだ。
 あまり周りは見ないよう、足元に視線を落として。






 さっきまでの恐怖が、嘘のようだ。
 は、順に繰り出される二対の下駄を見ながら思った。
 さっきよりも近付いただけなのに。
 ただ、触れているだけなのに。しかも、袖に。
 踏みしめる地面の音も、たまに聞こえる虫の音も、恐いとは感じなくなった。

 墓の影から何かが出てきても、森の向こうに吸い込まれそうになったとしても、この距離に薬売りがいれば、何も心配は要らない。


 袖を掴む手に、力が入る。
 そのせいで、薬売りの腕に掛かる重みが増す。


 のそんな行動に、薬売りが微笑んだことを、は知らない。
 俯くの頬がほんのりと色づいている事を、薬売りは知らない。







「あそこ、ですかね」


 いくらか歩くと、薬売りが声を上げた。
 その声に、が視線を上げると、その先の闇の中に石碑のようなものが聳えているのが分かった。
 人の背丈ほどのその石は、鈍く光を放っている様。
 その石碑に置いてある札を、全て取って戻ればいいのだ。

 けれど…


「あれ…」


 石碑の傍に、人影が見えた。
 暗くてよく見えないが、二人並んで石碑の方を向いている。

「まだ戻ってない人達がいたんですね」
「…そのようで…」

 薬売りは、その二人を凝視しながら答えた。

「少し、待つとしましょう」
「はい」

 薬売りとは、石碑から離れた木の陰で、二人が去るのを待った。
 その間、何と言っているかは分からないが、ひそひそと喋り声が聞こえてきたような気がした。
 そうして二人の気配がなくなったのを確かめて、石碑へと近付いた。

「この札ですね」
「そのようで」

 石碑の前にやってきた薬売りとは、置き去りにされた札を見下ろした。
 掌ほどの大きさの木製の札。
 計九枚の札には、それぞれ柄が施されていた。
 全て異なる絵柄が何を表しているのか、二人には分からなかったが、とにかく自分達はこの札を持って帰ればいいのだ。
 薬売りは一重ねにそれを持った。

「戻りましょうか」
「はい。これで無事終了ですね」

 踵を返した二人は、また墓地の群れへと姿を消した。









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