「早く行かないと、いい場所を取られてしまいます」
そう言って、貴女は俺の手を引いた。
「知ってますか、薬売りさん」
俺が何事かと聞くと、貴女は嬉しそうに言った。
「今日、花火なんだそうです」
聞かなくとも、もう行くと決めたその笑顔に、俺も何故か楽しくなる。
「それで、奉公先の人に良く見える穴場を教えてもらったんです」
そこで少し不安そうにする。
「良く見えるんですけど、その…墓地を通らなくちゃいけなくて…」
だから人気が少ないらしい。
墓地なんて、俺達には何と言うことはない。
そう貴女に言えば、明るい顔が戻ってくる。
「そうですよね!? …あの…一緒に見に行きませんか?」
ここで聞くのも可笑しくはないですか。もう、“俺達”と言ってるのに。
更に明るい笑顔になる貴女が、俺にはとても眩しく見える。
細く白い貴女の手に引かれて、人混みを歩く。
揺れる髪を追いかけるように、連れられるままに歩く。
もうすぐ完全に日が落ちる時分だというのに、暑さは収まることを知らないらしい。
僅かに汗ばんだ互いの手を、それでも離さないのは、はぐれてしまわないため。
いや、触れて居たいから―。
行き交う人は皆、楽しそうな笑みを浮かべている。
何度も見ているだろうに、それでも見飽きないのは、花火が非日常なものだからなのだろう。
俺も、何度見ても花火はいいものだと思う。
一人で旅をしていたときも、立ち寄った街で運よく何度か見たことがある。
鮮やかに空に咲く花々は、俺でも美しいと感じるものだ。
それでも、最初から最後まで見ることはない。
確かに綺麗だけれど、その一瞬の煌きが虚しさを感じさせるのも事実だ。
一人で見ていると、それがやけに際立つ。
「このお寺の先です」
物思いに耽っていると、声をかけられて我に返る。
少し高台になった寺の境内には、それなりの人が居た。
皆、花火が上がるのを心待ちにして、寺だというのに活気に溢れていた。
けれど、その先の墓地へと続く小道へ入ると、人の気配はなくなった。
やはり夜に墓地を通るのを皆避けているらしい。
「お墓の先に、少し開けた場所があるそうなんです」
ここまで来て、貴女は俺の手を引くのを辞めた。
横に並んで、ただ手を繋ぐ形になる。
俺が指を絡めようと手を動かすと、貴女は慌てて手を解いた。
「ご、ごめんなさい。ずっと手なんて…」
何か勘違いをしているのか、恥ずかしそうにする貴女。
いいんですよ、と俺は貴女の手を取った。
そうして指を絡める。
頬を染めて俯くのはいいけれど、それは今まで貴女は無意識に手を繋いでいたということですか。
大胆だと思っていたのが、天然だったとは。
それはそれで貴女らしい。
「ここですね」
一度木々の中に入って、そこを抜けると開けた場所に出た。
何のための場所かは知らないが、隅の方に薪が山のように積んであった。
辺りからは、微かな虫の音が聞こえてくる。
「まだ誰もいないみたいですね」
もうすっかり日が落ちて、辺りは薄明かり。
こんな所、常人では近寄らないだろう。
きっとここを教えた奴は、貴女が怖がるだろうと思って教えたんですよ。
けれど、これまで何度も闇に呑まれ、モノノ怪と向き合い、人の心に触れた貴女が、こんな場所を怖がるわけがない。
とんだ計算違いだ。
「よかった」
不意に、貴女の声が聞こえた。
「薬売りさんも楽しみにしてくれたみたいで」
どうやら、自分でも気付かないうちに笑っていたらしい。
別なことを嗤っていたのに、花火が楽しみだから笑ったのだと思ったらしい。
少し罰が悪いものの、貴女が喜ぶならそういうことにしておこう。
「私も楽しみです。まだですかねぇ、もうすぐだと思うんですけど」
期待に満ちた瞳で、空を見上げる貴女は、とてもきらきらしている。
“うきうき、わくわく”。そんな言葉がぴたりと当てはまる。
それがこちらにも伝わってきたのか、俺の胸の中も何やらざわざわと音を立て始めた。
そう。
こういう気持ちだ。
一人で花火を見るときには、こんな高揚感はなかった。
あぁ始まったのか、それくらいにしか思わなかった。
それなのに、今はこんなにも楽しみで。
こんなにも満ち足りている。
いつから俺は、ここまで豊かになったのか―。
そんな感情をくれた貴女の手を、無意識に引いていた―。
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2012/8/5