火車
〜大詰め〜





「そんな…」



 は、汚いものを見るような目を向けた。
 憤りを見せるの肩に、薬売りは優しく手を掛ける。



「だから、陽一郎様を、殺したの…?」



 畳に両手をついて、更に身体をテルに支えられて、楓は項垂れていた。
 薬売りとは、その一言にハッと目を丸くした。

「知っていたか」

 気にも留めない風の正信。

「そういう、ことで…」

 妙に納得した薬売りが、退魔の剣を堅く握る。



「一度は嫁に出そうと決めた。…だが、お前は私のものだ。他の誰にもやることは出来ない。そう、気付いたんだよ」

「…酷い。私は、楓なのに」

「酷い? ここまでしてやった私に、酷いと!?」

「育ててもらったから…、だから“梓”と呼ばれても何も言えなかった…!」


 小刻みに震える楓を支えていたテルは、目を見開いた。

「お嬢様っ!」

 楓の体から、また鬼火が生まれ始めていた。
 それは正信目掛けて漂って、やがて取り囲んだ。


“返して…!”


 ぶわりと、鬼火が燃え盛り、熱風が吹き荒れた。
 その風が及んだ範囲が、あの、禍々しい色の世界へと変わっていった。
 畳や障子は黄櫨、障子の外に見える空は紫、地面は黒だ。
 その中で、鬼火が威嚇するように飛び回っている。
 薬売りは咄嗟に結界を作ったものの、自分との周りしか間に合わず、正信もテルも、楓本人でさえも鬼火の中に紛れてしまった。

「な、何だ! やめないか、楓! テル、楓を止めろ!」

 見たことも無い色の世界に、正信は必死に訴える。
 けれど、テルからの返事は無く、状況は分からなかった。


“返して…!!”


 は、次々と襲い掛かる熱風の中で、楓の声を聞いた。


“私を愛してくれた人…!!”


 悲痛な叫びだった。
 声だけで、泣いているのだと分かる。


 あぁ、これが楓の求めていたもの…。


 は、力が抜けたようにその場に膝を着いた。
 突然しゃがみ込んだに、薬売りはどうしたのかと自らも片膝を着く。
 
「楓さんは、単に長く会うことの出来ない許婚を探していた訳じゃないんです」

 の目は、乱れ飛ぶ鬼火の向こうにいるはずの楓に向けられている。

「楓さん自身を、認めてくれた人、だから」

 薬売りの応えに、はコクリと頷く。

 正信によって奪われた楓という存在を、取り戻したかった。
 それには、自分を愛し、楓だと認めてくれる陽一郎が必要だった。だから、捜し求めた…。
 そうして、自分の存在を奪い、陽一郎の命をも奪った正信が許せなかった。

「だけど、正信様を恨みきることも、出来なかったんです…」


 正信は、自分を楓として愛してくれた陽一郎を殺した。
 けれど、その正信が―歪な愛だったとしても―、楓を大切に思っていたのは事実。


 だから楓は、正信を憎く思いこそすれ、殺す事も、傷つける事さえも出来なかった。

 そのやり場の無い感情がモノノ怪を生み、ただ墓を暴き、ただ鬼火で責め立てる事しか出来なかった。




 ―カチン。



 獅子頭の顎がかち合う音が響いて、一斉に鬼火が静止した。

 そうして、一気に辺りの温度が下がった。


 薬売りは、剣を掲げて鬼火の間に見える楓を睨んだ。




「真と、理によって、剣を、解き、放つ―!」







 いつもの眩しいほどの黄金。
 やはり目を開けている事は出来ず、は袖で顔を覆った。
 傍らにいた筈の薬売りの気配はなくなり、浮遊感とともに意識が遠のいた。


 意識が途絶える寸前、は遠くで金の薬売りが、迸る剣を振り下ろす瞬間を見た。

















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2012/11/25