火車
〜二の幕〜





「じゃあ、これとこれを」
「そりゃあ、ありがたい」

 難なく屋敷へ上がり込んで、卒なく商売をする。
 薬売りという商売が、モノノ怪退治の旅をするにあたって、最良の職業に思えてくる。
 は、薬売りに内心感心していた。

「いいのですか、旦那様のお許しを得なくても」
「大丈夫。後から私が伝えるから」
「でも、高価なものですよ」

 薬売りを訝しんでいるらしいテルは、念押しする。

「心配ないわ」
「…わかりま」

 テルの返事の途中で、何処かでバタバタと音がし始めた。

「何?」

 何事かとは辺りを気にする。
 薬売りはそのまま、目だけを音のする方へ向ける。

 テルは慌てて立ち上がると、小走りに部屋を出て行った。

「お父様だわ」

 楓は薬売りとに苦笑して見せた。




「楓!??」

 スパン、と小気味いい音を立てて障子が開け放たれた。
 少々驚きを隠せないと、やはり横目で見ている薬売り。
「お帰りなさいませ、お父様」
 楓はそんな二人を気にも留めず、身体をそちらに向けて、手を畳に着いた。
「“お帰りなさいませ”じゃないだろう? 何故勝手に行商人など入れた!?」
 険しい顔をする男。
 その男を見て、は更に驚いた。
 その男が楓ほどの年の娘がいる年には見えないのだ。
 どう年嵩に見積もっても、せいぜい三十代半ば。確かに、武家ともなれば若いうちに嫁を貰うだろうが、それにしても若い。
 しかも、美形だ。
 整った目鼻立ちと、キリッとした眉。綺麗な孤を描く月代。深緑の着物と濃紺の袴がよく似合っている。
「面白いものばかりお持ちだったの」
 顔を上げた楓は、薄く微笑んで、まるで悪いと思っていない。
「見知らぬ者に気を許すなと、言っているだろう」
 片膝を着いて楓を諭す父親。
 傍から見ていると、夫婦に見えなくもない。
「申し訳ありません…。でも、もう出会えないのかと思うと…」
「あぁ、いや、いいのだ。声を荒げてすまなかったな」
 しゅんとしてみせる楓に、しまったと思ったのか、男は態度を和らげた。
「して、何が気に入ったのだ」
「この香が気に入りましたの。とてもいい香りなのよ」
「そうか、じゃあそれを。…テル」
 男の態度の変わりように、は暫く口が開いたままだった。
 外に控えていたテルが、頷いてその場を離れていった。
 恐らく、金子を取りにいったのだろう。

「私はこの家の主、樫山正信と申す」

 男は、薬売りとの方に向き直ると、そう名乗った。
「薬売りさんと、さんとおっしゃるそうよ」
 二人は順に頭を下げる。
「ふむ。久しぶりの来客のお陰か、楓も機嫌がいいな」
「そうでしょうか?」
 あぁ、と頷いて、正信は楓の頭を撫でる。
 その正信の行動に、は何故だか寒気を感じた。
「どうせなら、もう少し品を見せてやってくれ。私は、部屋に行っているから」
「いいのですか?」
「あぁ、わがままを聞いてやれるのも、あと僅かだからな」
 そう言って、正信は部屋を出て行った。


 正信の気配が無くなってから、楓はクスクスを笑い始めた。
「楓さん?」
 は急に笑い出した楓を心配して声をかける。
「…可笑しいでしょう? 十八歳にもなる娘だって言うのに」
「え?」
「過保護で、いつまでも甘やかしたがるの」
 お腹と口元に手をあてて、笑いを堪える。
 その様子は、正信をバカにして笑っているというよりは、それが単純に面白いと思って笑っているように見えた。
 はその様子にこの親子の仲の良さを感じた。
「ごめんなさいね、騒がしくして」
「そんな、楓さんを大事に思ってらっしゃるんです」
「…そうですね」
 何処か遠くを見る楓に、薬売りは違和感を覚えた。
「お嫁に行く事で、漸く恩返しが出来るから」
「恩返し…ですか?」
「えぇ、これまで育ててもらった恩返し」
 楓の表情は柔らかい。
「嫁ぎ先のお家も、熟考に熟考を重ねて、重ねすぎてなかなか決まらなくて…」


「大事なものは、締まっておきたいもの、ですから、ね。…出来れば、ギリギリまで」


 薬売りの言葉に、何かを感じ取ったのか、楓は苦笑した。
 がその様子に首を傾げていると、楓がすっと立ち上がった。
「お父様は、私が外に出ることをあまり快く思っていないの」
「でも…」
「別に、外へ出てはいけない訳ではないのよ」
 濡れ縁まで出て、中庭を眺める。
「いつも言われるの。お前は可愛い、大事な娘だ。誰かに攫われては困る、って。だからきっと、本当はお嫁にやる事も本意ではないのかもしれないって、最近は思うの」
 とても幸せな言葉なのに、には、楓の背中が哀しそうに見えた。
「けれど、もうすぐ、攫われて、しまいますね」
 ちらりと、楓を見る。
「えぇ」
「しかし、貴女が嫁いでしまったら、この家は…」
「…お父様は、それを承知で私をお嫁に出すの」
「何故」
「分からない。…あまり、心のうちは話してくださらないから」
 二人へ振り返った楓は、曖昧な笑みを浮かべていた。それから俯きながら庭へと向き直った。


「本当は、男子の方が良かったはずなのに…」


 微かに、楓はそう言った。



 楓の小さな溜め息のあとは、沈黙が続いた。
 二人に背を向けたまま、じっと庭を眺める楓。
 その楓を何処か心配そうな眼差しで見つめる
 小さな音を立てながら、広がっていた商品を片付ける薬売り。
 陶製の器や粉薬の包み紙が小さく音を立てる。
 その音だけが聞こえていた。

 けれど不意に、薬売りの手が止まった。
 物音が途絶えて、は薬売りの方を窺う。
 鋭い目で、何処かを見ている。
 薬売りの見ている方に、も意識を向けてみた。
 やがて、薬売りの視線の理由が分かった。


“…”


 何か、声が聞こえた。
 小さく、か細い声がする。
 薬売りは、声というより気配に気付いていたのだろう。
 静かに立ち上がると、薬売りは楓の横を通り過ぎた。


「…? 薬売りさん?」
「ちょいと、厠へ」
「では、テルに案内させます」
「気遣いは、無用です」
「でも、場所は」

 引き止める楓に構わず、部屋を出ようとする薬売り。
 もそれに続こうとした。

 けれど瞬間、ぞくりと寒気が走った。


「旦那様!!」


 屋敷の奥の方から、テルの声が聞こえた。


「…テル!?」


 驚いた顔をする楓。
 薬売りとは、視線を合わせると声のした方へ走った。















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ちょっと頑張ってきます。
2012/9/22