火車
〜三の幕〜





 濡れ縁伝いにいくつか部屋を通りすぎ、角を曲がった。
 その先の廊下で、テルが尻餅をついているのが見えた。

 その周りには、鬼火が漂っている。

 テルは部屋の中を見つめながらガクガクと震えている。

「破ッ!」

 薬売りは札を放ってその鬼火を封じ、部屋の中を覗いた。
「こ、このっ! 何だというんだ!」
 中では、鬼火に取り巻かれた正信が、必死にそれを追い払おうとしていた。
 薬売りはさっきと同様に札を投げ、鬼火を消滅させる。
 それから部屋のあちこちに視線を巡らせて様子を窺った。
「…」
 けれど、鬼火の源になるようなものは見つからなかった。


「テルさんっ」
 は、廊下に座り込んだままのテルの肩を支えて起こしてやる。
「大丈夫ですか?」
 問うに、テルは震えながらも小さく頷く。
「…お嬢様…」
「テル…」
 の後ろに楓の姿を見つけると、テルは縋るような目で楓を見た。
 膝を着いてテルの手を取る楓。
 二人は安堵の溜め息をついた。
 はその様子に、何処となく不思議な空気を感じた。


「た、助かった…。一体何なんだ」
 荒く息をする正信が、薬売りに疑問を投げかける。
「さぁて、俺にはとんと」
 とぼけている様にしか見えない薬売りの答えに、正信はムッとする。
「知っていたから撃退できたのだろう?」
「たまたま、ですよ。それより…」
 薬売りは、部屋の一角に目を遣った。
 視線の先、鴨居の隅の方にあったのは何処かの神社の護符らしきものだった。
 薬売りはその護符を一瞥して部屋を出る。
 廊下を突き当たるまで進み、そこで曲がった方を暫く眺めた。
 やがて戻ってきたと思えば、部屋の前で足を止め、正信に向かって言った。
「あの護符、その位置では、いけませんよ」
 訳が分からず呆けた顔をする正信。
 も同じく首を傾げた。
 薬売りはそのまま来た道を戻り、楓と居た部屋へと戻ってしまった。


「薬売りさん!」

 次いで戻ったは、片付けを再開する薬売りに声を掛けた。
「このお屋敷…」
「えぇ、居ますね」
「しかも、随分前から、ですよね」
「まぁ、あの護符や、正信様、テルさんの反応を見れば…」
 片づけを完了させ、行李の一番上に手を掛ける。

「薬売りとやら」

 そこへ正信がテルを伴って戻ってきた。
「お前の持っている品を、言い値の倍で引き取ろう。その代わり、さっき見たことは他言無用に願いたい」
「…」
「旦那様、それは失礼では」
「いや、見てみなさい。早々に出て行くつもりだろう?」
 神妙な面持ちで薬売りとを見る。
「嫁入り前の娘が居るのに、妙な噂が立っては困る。テル、金子を用意して品を引き取ったら、丁重にお帰りいただきなさい。私は楓に話がある故、奥へ行っている」
「はい」
 深々と頭を下げ、テルはその場から離れた。
「テルが戻るまで、此処で待たれよ」
「あの、楓さんは?」
「先ほどのことで、少々参ってしまって、私の部屋で休んでいるよ」
「…大丈夫なんですか?」
 は心配そうに正信を見上げる。
「案ずることはない。気にするな」
 その返答に、は少々不満だったが、そのまま正信を見送った。





 残された薬売りとは、一先ずその場に留まった。
「楓さん、大丈夫でしょうか…」
「なぁに、大事な娘、でしょうから」
「でも…」
 不安そうな顔で薬売りを見上げる
 薬売りはどういうことかと小首を傾げる。
「何だか、変な感じがして…」
「変、ですか」
「楓さんに対する、正信様の態度が」
「ほぅ…」
「私、父親というものがどんなものか、よくは知りません。…でも」
 何故か正信の態度は気分が悪くなる。
 楓ほどの器量であの性格ならば、溺愛しても可笑しくはないのかもしれない。
「寒気というか…」


「無礼者」


 突然の声に、はしまった、と思った。
 濡れ縁に、テルが仁王立ちしていた。
 障子越しにテルが聞いていたのだ。
「旦那様がどれほどお嬢様を大切になさっているか、あなた達に分かってたまりますか」
「すみません…」
 素直に謝っておいた方が身の為のようだ。
「奥様亡き後、旦那様がどれほど苦心して楓様を育て上げたか」
 はそれを聞いて、疑念を抱いた事を後悔した。
 正信の過保護ぶりは、母親の分も自分が大切にするのだと言う気持ちからのものなのだろう。


「いや、とても変、ですね」


 薬売りは、テルを見るでもなく、姿勢を正して座っている。
「何処か変だというんですか」
「何故、楓さんだったのか、ですよ」
「何故って」
「養女、なのでしょう、彼女は」
「え?」
 これまでの会話の何処に、そんな事が分かる要素があったのかと、は目を丸くする。
「“男子の方がよかったはず”とは、そういう事でしょう」
「…っ」
「武士の家ならば、男子を貰い受けたほうが、いいはず。しかも、とても大事にしている」
「何が言いたいんですか」
 テルは薬売りを睨む。
 薬売りは、その視線を軽く受け流して目を細めた。
「いえ、特に、何も…」
 薬売りはそれ以上何も言わず、それで会話は途絶えた。
「では、代金をお支払いしますから、値を決めてください」
 テルは小さく咳払いをして空気を改めた。
「なんとも、ありがたい申し出、なんですがね…」
「倍じゃ不満だと?」
「いいえ、とんでも、ありません」
「はっきりしてくれませんか」
 明らかに苛立って来ているテルと、あくまでも飄々と話す薬売りの会話を、はハラハラしながら聞いていた。
「では、はっきりと、申し上げますが…。鬼火が出たのは、一度や二度では、ないでしょう」
 言いながら、薬売りは行李の引き出しをスラリと引いた。
 天秤の入っている段だ。
「何故、そう思うのです?」
「正信様の部屋にあった護符。あれは、火除けの護符でしょう。それに、初めて見た風では、ありませんでしたね」
「…っ」
 薬売りの指摘に、テルは言葉を詰まらせる。
「商品は、引き取って貰わずとも結構。その代わり…」
 薬売りは指先に天秤を呼ぶ。
 天秤は音も無く跳んできて、薬売りの指先に止まった。
 テルはその様子に目を丸くした。
「そ、その代わり何だっていうんです」
 薬売りとから距離を取って警戒する。


「斬らせて、いただけますか」


「斬る…? 一体何を?」


「モノノ怪を、ね」















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2012/9/30