薬売りは、何処か楽しそうに口角を上げて歩いていた。
その周りには、いくつもの鬼火。
たちの居た部屋を出て少し歩くと、一つ、また一つと鬼火が漂ってきた。
鬼火たちは、特に何をするでもなく、ただ漂っているだけ。
薬売りには何も聞こえないが、もしかしたら、が居れば何か聞いていたかもしれない。
を置いてきた理由とすれば、モノノ怪に集中する、ということを実践して欲しかったからだ。
自分についてきて慌しくモノノ怪と対峙するよりも、一所に留まって辺りを窺い、モノノ怪の気配を感じた方がいいだろうと思った。
薬売りと離れることに不安を訴えた目は、とても愛おしいと思った。連れて行きたいと思った。
けれど、それではのためにはならない。
薬売りは、更に口角を上げていた。
正信の部屋に近付くにつれ、鬼火の数は増えていく。
やがて正信の部屋が視界に入ると、その障子を通りぬけるようにして鬼火があふれ出していた。
「…?」
薬売りは不審がる。
さっき、正信はあれほどまでに鬼火に狼狽えていたのに、今は声どころか物音一つ聞こえては来ない。
更に部屋に近付いてみる。
「分かっているのか」
小さく、けれど叱り付けるような厳しい口調。
「見知らぬ者を勝手に屋敷に入れるなと言っているだろう」
切羽詰った雰囲気さえ感じられる。
「私室に入れるなど、言語道断だ。しかも、男などと!」
徐々に語気が荒くなっていく。
「入れていいのは、私だけだ」
薬売りは、思い至る。
「視界に入れていいのは、私だけだ…!」
来た道を戻る薬売り。
その間も、鬼火たちは漂っている。
しかも、絶賛増量中。
血の繋がらない父娘。
娘は見目麗しく、父親もまだ年若い。
母親は既に他界している。
薬売りは邪推を続ける。
「さぁて、どうしたものやら」
ぼやきながらの待つ部屋へと戻ってきた。
「さん、戻りました。開けてくれませんか」
声をかけると、札を剥がす気配がして障子が開いた。
けれど、そこにいたのはテル一人だった。
「さんは、どうしました」
「鬼火と、影を追って出て行きました」
「出て行った…」
フッと笑った薬売りに、テルは背筋が凍る思いをした。
「それで、何か言っていましたか」
「こ、ここを通って行った黒い影は、楓様の念だと。その念は陽一郎様を探していると」
「…成程…」
まぁ仕方ない、と小さく言った薬売りは、テルに視線を向けた。
「正信様は、楓さんを愛している、てぇ訳ですか」
「さっきから、言っています」
「娘として、と言うよりは、一人の女として」
「ずっとそう言っています。“愛していらっしゃる”と」
薬売りは障子を閉めたが、札は貼らなかった。
そうして姿勢良く正座すると、テルにも座るよう促した。
「旦那様がお変わりになったのは、楓様に婿取りの話が来てからでした」
「婿を、取るはずだった」
「私はそう思っていました。…でも旦那様は、婿は要らないと」
とても頑ななその態度に、楓もテルもなす術はなかった。
楓は年頃になると、婿を取って樫山家を盛りたてていきたいとテルに語っていた。
テルも、楓を養女に迎え入れた時から、もちろんそうなるだろうと思っていたのだ。
けれど、正信にはその気がなかった。
もとい、初めからそんな考えなど、持ってはいなかった。
NEXT
気付いたら凄く短かった…
2012/10/14