鬼火を追って屋敷の外へ出たは、裏手の川沿いを歩いていた。
影の正体は、もちろん楓だった。
その楓は、生気がなく、澱んだ空気を纏っていた。
どこをどう見ても楓だけれど、文字通り楓の“影”のようだった。
その影を追って、川沿いを進む。
辺りはすっかり暗くなって、人通りも全く無い。
いや、人通りが無いのは、向かっている場所のせいだろう。
は、川向こうに見える建物をチラリと横目で見た。
高い塀の向こうの、更に奥まった所に見えるのは鐘楼。土盛りされて作られたそれは、遠目からでも良く見える。
楓の影が向かっているのは、寺だ。
どうして…。
は、鬼火たちが橋を渡っていくのを追いながら考えた。
昨日、鬼火たちが出てきた所も、寺だった。
屋敷を訪ねる前に立ち寄ってきたのだ。
大きくはないが、正面は立派な門を構えていた。
何故、寺を目指すのだろう。
“何処にいるの?”
楓の声に、思考を止めて視線を戻す。
橋を渡るとすぐに、寺の裏門があった。
鬼火も影も、音もなくその門をすり抜けていく。
も、それに続こうとするが、彼らのようにはいかなかった。
門を開けようとすると、錆びているのか鈍い音が響く。
それでもゆっくりと、慎重に押し開けて敷地内に滑り込んだ。
その瞬間、空気が変わったような気がした。
背筋に寒気が走り、身体が震えた。
近場の木陰に隠れると、早くなる脈を必死に落ち着かせようとする。
何故一人で此処まで来てしまったのか。
ふと浮かんだ後悔を、頭を振ってかき消す。
決まっている。
モノノ怪の、楓の思いを受け止めるため。
木の影から辺りを見渡すと、そこはどうやら墓地だった。
そして、空気が変わったのは気のせいではない事が分かった。
「何…これ…」
門から伸びる石畳は黄櫨、周りの土は黒、空を覆う厚い雲は紫。
墓石に至っては緋色をしていた。
普通では、有り得ない色の世界。
鬼火たちが、照らしたものを毒々しい色に変えてしまっているのだ。
“何処にいるの…?”
か細い声がする。
“いつになったら、会えるの?”
返事があるはずもなく。
は一人、意を決したように力強く頷いた。
それから、思い切って木から離れた。
草叢を伝って、近くの墓石の影へと身を潜めながら徐々に声に近付いて行く。
小刻みに身体が震えていることには気付かないふりをした。
“陽一郎様”
さっきよりも鮮明に聞こえる声。
はそっと、墓石から顔を出した。
「…っ!?」
思わず声をあげそうになって、自らの口を慌てて塞いだ。
楓は、誰のものとも知れない墓を、その手で掘っていたのだ。
爪を立て、ガリガリと音を立てながら、掘り下げていく。
ある程度の所まで掘って、動きを止めた。
“…違う…”
虚ろな目で何かを探すように辺りを見わたす楓の影。
は墓石の影で縮こまった。
“陽一郎様?”
それから楓はゆっくりと歩き出した。
緩慢な動きであちこちに目を遣って、一つの墓石に目を付けた。
その墓の前にしゃがみ込むと、また爪を立てた。
“ここに居るの?”
手や着物が汚れる事も厭わず、無心に掘り続ける。
は、その異様な光景に衝撃を受け絶句した。
けれど、疑問が浮かんでくる。
何故、墓を暴くのか。
“…ここも違う…”
それからいくつかの墓を同じように掘って、楓はゆらりと踵を返した。
虚ろな目で力なく門へと向かう。
門を潜る手前で、ふいに楓が立ち止まった。
聞こえてきたのは、諦めにも似た声だった。
“分かっているの…。もう、会えないことくらい”
楓はそのまま鬼火を伴って寺から出て行った。
楓の気配も鬼火の光もなくなると、墓地は普通の色へと戻っていた。
墓石の影から抜け出したは、楓たちが出て行った門の方を見つめる。
「もう、会えない?」
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2012/10/21