深く、青い夜。
橙の灯がじんわりと辺りを照らしている。
そこ以外はやはり青。
不思議な空間だと、は思った。
声の主の力の影響なのだろうか。
食べ終えた夕餉の膳を、格子の前に片付ける。
やがて、老婆が下げに来るのだという。
「これで外に出られたら、凄く贅沢な暮らしなんだけどね」
冗談めかしに利津が言った。
「笑えない冗談はやめてくれる?」
途端に香乃が不機嫌になる。
「そうですよ、利津さん。こんな状況で」
美佐が困った顔をする。
「冗談でも言ってなきゃやってられないのよ…」
いつも利津の隣に居る多恵。
「…」
どうにも、には居心地が悪かった。
長くここに閉じ込められているせいか、娘達は少々気が立っているらしい。
二対二の構図を取って意見が分かれ、小さないさかいをする。
はどちらに付くでもなく、困った顔をするしか出来なかった。
カン、カン。
突然、金属音がして一瞬にしてその場の空気が変わった。
カン、カン。
「…来た」
娘たちの視線が、一斉に香乃に集まる。
「早くおし」
しゃがれた声が聞こえてきた。
香乃は神妙な面持ちで立ち上がる。
「…じゃあ、先に行くわね」
強気だったはずの香乃の声は、震えていた。
「香乃…」
「香乃さん」
娘たちが声をかける。
「何よ、羨ましいの?」
「アンタ…」
利津が険しい顔で香乃を見つめている。
「大丈夫。…また、外で会いましょう」
香乃はそう言って部屋を出て行った。
やがて、鈍い音が聞こえて格子が開閉したのだと分かった。
随分長い間、沈黙が続いた。
「あの…」
思い切って、は声を上げた。
に、残った娘たちの視線が集まる。
「どうして、香乃さんって決まってるんですか?」
あの老婆は、特に誰とも指名しなかった。
「此処に来た順よ。…前に居た人の話なんだけど、順番を無視して此処を出ようとした人がいて、あの老婆から酷い仕打ちを受けたって聞いたわ」
それ以来、来た順に出て行くというのが、伝わっているらしい。
「酷い仕打ちって」
「分からない…」
利津は首を振った。
「大きな物音と悲鳴が聞こえて、その人の姿はなかったって聞きました。血の痕があったとも」
美佐が弱弱しい声で続けた。
「血の痕…」
さすがのも、言葉を失った。
一体何が起こっているのか、見当もつかない。
ともかく、ここから出るにはまだ時間がかかるということだ。
夜半過ぎ、娘たちは静かに寝息を立てている。
それまで五組だった布団は四組となり、お互いの距離が少しだけ離れた。
そのせいなのか、今までよりも寒くなった気がする。
は静かに起きだすと、掛布団を被ったまま部屋を出た。
畳を後にして板張りの部屋へと移動する。
冷えた床が足の裏を刺したが、それは我慢する。
頭上の明り取りを見上げて、白い息と共に小さく声を漏らした。
「繻雫…」
言うと、の胸の辺りから、黄金色の光の球がゆるりと浮き上がった。
一度宙を旋回してから、の目の高さで動きを止めた。
「なんという体たらくじゃ」
「…返す言葉もないです」
小さくとも呆れているのがありありと分かる声。
その声には項垂れる。
「しかし、無事で何よりじゃ」
ひらりとの周りを一回りする。
「繻雫…」
僅かにに笑顔が戻る。
「まぁ、仕方のないことじゃ」
お前は目立つからの、という言葉は飲み込んだ。
「しかし、ここはやけに青いな」
「うん…、よく分からないけど、闇が青いの」
は明り取りの窓を示して、色の違いを訴えた。
「何かの領域に入っておるな。…ワシを呼んことは賢明じゃったが、薬売りを呼びに行くことは出来んぞ」
「え…」
「お前を通したワシの力には限界があると言うただろうに」
「そう、だよね…」
口を真一文字に結び、は更に肩を落とす。
「じゃが、周りを探ることくらいは出来るじゃろう」
「本当?」
の顔がパッと明るくなる。
「ちょっと待っておれ」
光の球は明り取りめがけて勢いよく飛んで行った。
は光が飛んで行った方を、不安そうに眺めていた。
窓からふわりと外へ出た繻雫は、ひらりと旋回しながら周りを見渡した。
「ふむ…、やはりな」
の閉じ込められている建物は、蔵を住居用に改装したものだ。
それも、古い酒蔵だ。
「微かに酒の匂いがしていたわけだ」
瓦屋根の上へ降り立つと、その姿はいつもの狐になっていた。
月の光が、その毛並と屋根瓦を白く輝かせている。
繻雫は屋根の上でうろうろしながら、下界の様子を窺う。
蔵は屋根まで届くほどの柵で囲まれている。
これでは蔵から出ても外へは出られない。
繻雫は顔を上げ遠くに目を遣る。
どうやら、随分と広い敷地の中に建てられているらしい。
柵の脇を通る塀は大分先の方まで続いている。
前庭を挟んだ向こう側には、もう二棟酒蔵が見える。
「向こうの方が新しそうじゃな。…しかし…」
その二つも廃れている様に見えなくもない。
ぐるりと視線を動かすと、庭を囲むように母屋や離れもあるのだと分かった。
しかし、それらの何処にも人の気配がまるでなかった。
「けったいな所じゃの」
言いながら繻雫は庭の方へ降りようと前足を出した。
「…ん…?」
ある気配が、その動きを止めた。
耳を立ててその気配を探る。
「まったく、勘のいい奴め」
吐き捨てるように言って、けれどその口元は緩んでいる。
繻雫は降りようとした方へ尻尾を向けると、塀の方へと近づいた。
軽やかに飛び降り、塀を超えて敷地の外の道へと降り立った。
そこに前足を揃えて座り込むと、道の先をじっと見据えた。
遠くから誰かが近づいてくる。
繻雫はとうに向こうの気配を感じていたが、相手の方も繻雫の気配に気づいたらしい。
一度立ち止まったかと思うと、少々早足でこちらにやってきた。
姿を現したのは、薬売りだった。
「繻雫…」
「よく来たな」
繻雫の姿を認めて、薬売りは一人納得したような顔をする。
「アンタがいるってぇことは、さんもここに…?」
「うむ。そこに見える蔵に捕まっておる」
繻雫が鼻先で示したほうに、薬売りも視線を向ける。
「捕まっている…」
「ワシも事情は知らん。敷地へは向こうから入れるから、直接聞くんじゃな」
薬売りは素直に頷くと、示された方に向かった。
繻雫はその後ろについた。
「何故此処が分かった」
「…妙な男の、後を追って」
「妙な男か。お前に妙と言われたら終わりじゃろうて」
繻雫は鼻で笑った。
「で、その男は何処に行ったんじゃ」
「いえ、途中で見失ったもんで、後は勘、ですよ」
「ほぅ、お主を撒くとはのぅ」
何処か嬉しそうな声色の狐。
「撒かれたわけじゃあ、ありませんよ。どちらかと言えば、闇に乗じた…」
「…成程な」
話している間に、門の前までやってきた。
観音開きの筈の木戸は、右側が外れ今にも崩れそうだ。
左の木戸には枯れ果てた蔦が辛うじて張り付いている。
薬売りは右の木戸をゆっくりと外した。
ささくれ立った木戸は、触れると粉のような屑が落ちた。
木戸を塀に立てかけ、手を軽く払う。
正面を見据えると、薬売りは敷地の中へと足を踏み入れた。
瞬間、空気が変わった。
微かに、酒の匂いが漂う。
「ほぅ、ここは酒蔵、ですか」
「そのようじゃ」
薬売りを追い越すと、繻雫はの居る蔵へと向かった。
薬売りは暫く辺りを窺ってからそれに続いた。
広い前庭には水の抜けた池。
橋が架けられ、そこを渡って母屋へと行くようになっているらしい。
池は、母屋を左側からぐるりと囲むように川になっている。
川は母屋と古い酒蔵を隔て、そこにも小さな橋が架けられている。
薬売りは池を右手に見ながら蔵へとたどり着いた。
「…残念じゃが、ワシはここまでのようじゃ」
柵の入口まで来て、繻雫は明るい声で言った。
薬売りが視線だけで繻雫に問いかける。
「今のを通したワシの力では、このくらいが限度なんじゃ」
「…そう、ですか」
「これでも、少しは延びたんじゃぞ。自身の力が僅かでも強くなったお陰じゃ」
知らんじゃろ、と意地悪く言う。
「は自覚してはおらぬようじゃが、修練の成果は確実に出ておるということじゃ」
薬売りは僅かに目を見開いて、繻雫に視線を向ける。
すぐに視線を逸らし、口角を上げる。
「そりゃあ…」
ふん、と鼻を鳴らしてから繻雫は姿を現した時と同じように黄金に光る球体になった。
「はすぐそこじゃ。頼んだぞ」
「言われなくとも」
生意気な、と吐き捨てるように言うと、その光は消えて行ってしまった。
薬売りは繻雫の消えて行った方を眺めながら、小さくつぶやいた。
「今の、さん…」
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切るとこなくて長くなりました…
そう言えば、言ったかどうか分かりませんが、
この話は、OLDCODEXの〔Blue〕という曲をイメージして書いてます。
一度聞いてみてください。
2014/5/25