桂男
〜六の幕〜






「…さん?」


 背後から声をかけられて、は我に返った。
 薬売りと会えたことで、すっかり今の状況を忘れてしまっていた。

「えっ、あ、あの…」

 慌てて薬売りから離れると、は振り返る。
 利津を先頭に、多恵、美佐がそれぞれ不審そうにこちらを窺っている。
 薬売りは手持無沙汰になった両手を下して、成行きに任せる。

「物音がしたものだから、気になって。…その人は?」

 薬売りの存在を認めると、あからさまに眉を顰める。

「えっと、薬売りさんです。助けに来てくれたんです」
「助け…?」
「はい!」

 が明るい顔で答えると、次第に娘たちの表情が変わっていった。

「本当…なの?」
「もちろんです。ほら、格子も開けてくれました」

 開放された戸を指さす。

「…うそ…」
「びくともしなかった格子が…」

 三人は目を丸くして、互いの顔を見合わせた。

「本当に出られるの?」
「もちろん、ですよ」

 多恵の震える声に、薬売りは答える。

「あのお婆さんは?」
「表で、無言でこちらに突進してきたんですが、札が、効いたようで」

 薬売りがピンと張った札を示す。

「札…?」
「少々、変わった札、なんですよ」

 何と書いてあるのか分からない札に、美佐は妙に納得した。

「出られる…?」
「出られます!」

 まだ当惑気味の三人に、は明るいで答える。

「出られる…」
「出られる」

 娘三人は互いの手を取り合って、ワッと泣き出した。

「出られるのね…!」
「よかった!」

 小さく跳ねるようにはしゃぐ娘たち。
 は薬売りを振り返ると、嬉しそうに微笑んだ。










「本当にここに残るの?」

 利津は神妙な面持ちで言った。

 皆で門まで来ると、薬売りは母屋に行くと言い、もそれについていくと言い出した。
 娘たちはそれに驚いて、二人を引き留めにかかっていた。

「なんだってこんな危険な所に!」
「危険だから、ですよ。放っちゃおけない」
「そんなの、役人に任せておけばいいじゃないですか」
「人任せには、出来ない性質、なんですよ」

 そんなやりとりが続いている。

「だからって」
「大丈夫です」

 埒の明かない押し問答に口を出したのはだった。

「…さん」
「大丈夫なんです、薬売りさんは」
「そりゃ男だもの。でもさんは」
「私も、大丈夫です」

 穏やかな顔でそう言い張るに、利津たちは顔を見合わせる。

「やらなきゃいけないことなんです。私たちが」

「意味が分からないわ」

「そういうことだって、納得してください」

「でも」

「モノノ怪を斬れるのは、この、退魔の剣だけ、なんですよ」

 薬売りは右手の剣を示す。

「役人の十手やお侍の大小なんてぇ、モノノ怪を前にしたら、子供の玩具、ですぜ」

「…やっぱり意味が分からない…」

 眉を顰める三人に、諦めの色が見えた。


「じゃあ、皆さん。気を付けてお家に帰ってくださいね」

 薬売りが踵を返すと、はそう言って微笑んだ。

「何だか分からないけど、ありがとう」
「気を付けて」

 渋々、といった様子で娘たちは小さく手を振った。

 薬売りとが次第に遠くなっていく。

「私たちも、そろそろ…」

 多恵と美佐は顔を見合わせてから、利津に同意を求めた。

「貴女たちは、先に帰って」
「え?」
「利津さん?」

 意を決したように、利津が険しい表情をしている。

「香乃のことも気になるわ。…それに、私、確かめたいことがあるの」
「…あ!」


 二人が止める暇もなく、利津は薬売りたちの歩いて行った方へ駆け出した。










 並んで母屋を目指す薬売りと
 まっすぐ前を見ていた薬売りが、不意にに問う。

「声は、聞きましたか」
「それが…泣いているんです」

 少々困惑した顔で、は薬売りを見上げる。

「泣いている、ですか」
「泣き声ばかりで、他は何も…」

 首を傾げるに、薬売りの首も同様に傾ぐ。

「でも、男の人の声でした」
「…成程、男、ですか」

 一人納得したように口角を上げると、薬売りは背後を気にした。
 近づいてくる足音に気づき、足を止める。
 もそれに倣って、後ろを振り返った。

「…利津さん…?」

 やがて現れた人物を見て、は目を丸くした。
 利津は、神妙な面持ちをしていた。

「私も、一緒に行かせて」
「何故、ですか」
「蔵から外に出て確信したの」

 利津は両拳を固く握りしめる。

「ここは、妹の仇が居る酒蔵だって…!」
「妹さん…?」
「だから、行かなきゃいけない」

 強い眼差しが二人に向けられる。
 は不安そうな目で薬売りの言葉を待つ。

「何か、知っているかもしれませんね」

 薬売りはに小さく言うと、軽く嘆息した。

「これより先は、危険、ですよ」
「いいわ」
「アンタを守れる保証はしませんぜ」
「いいわ」

 薬売りの言葉に、力強く頷く利津。

「何より、人の心の奥底を、知ることになるかもしれません。その覚悟をすること、ですね」

 急に鋭くなった薬売りの視線に、利津は一瞬怯んだ。
 けれど、すぐにさっきの目つきに戻り、頷く。



「大丈夫よ」



 薬売りはふっと、力を抜いた。



「だったら、行くとしましょうか」


















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ちょっと長かったですね…f^ ^;


2014/6/15