「…さん?」
背後から声をかけられて、は我に返った。
薬売りと会えたことで、すっかり今の状況を忘れてしまっていた。
「えっ、あ、あの…」
慌てて薬売りから離れると、は振り返る。
利津を先頭に、多恵、美佐がそれぞれ不審そうにこちらを窺っている。
薬売りは手持無沙汰になった両手を下して、成行きに任せる。
「物音がしたものだから、気になって。…その人は?」
薬売りの存在を認めると、あからさまに眉を顰める。
「えっと、薬売りさんです。助けに来てくれたんです」
「助け…?」
「はい!」
が明るい顔で答えると、次第に娘たちの表情が変わっていった。
「本当…なの?」
「もちろんです。ほら、格子も開けてくれました」
開放された戸を指さす。
「…うそ…」
「びくともしなかった格子が…」
三人は目を丸くして、互いの顔を見合わせた。
「本当に出られるの?」
「もちろん、ですよ」
多恵の震える声に、薬売りは答える。
「あのお婆さんは?」
「表で、無言でこちらに突進してきたんですが、札が、効いたようで」
薬売りがピンと張った札を示す。
「札…?」
「少々、変わった札、なんですよ」
何と書いてあるのか分からない札に、美佐は妙に納得した。
「出られる…?」
「出られます!」
まだ当惑気味の三人に、は明るいで答える。
「出られる…」
「出られる」
娘三人は互いの手を取り合って、ワッと泣き出した。
「出られるのね…!」
「よかった!」
小さく跳ねるようにはしゃぐ娘たち。
は薬売りを振り返ると、嬉しそうに微笑んだ。
「本当にここに残るの?」
利津は神妙な面持ちで言った。
皆で門まで来ると、薬売りは母屋に行くと言い、もそれについていくと言い出した。
娘たちはそれに驚いて、二人を引き留めにかかっていた。
「なんだってこんな危険な所に!」
「危険だから、ですよ。放っちゃおけない」
「そんなの、役人に任せておけばいいじゃないですか」
「人任せには、出来ない性質、なんですよ」
そんなやりとりが続いている。
「だからって」
「大丈夫です」
埒の明かない押し問答に口を出したのはだった。
「…さん」
「大丈夫なんです、薬売りさんは」
「そりゃ男だもの。でもさんは」
「私も、大丈夫です」
穏やかな顔でそう言い張るに、利津たちは顔を見合わせる。
「やらなきゃいけないことなんです。私たちが」
「意味が分からないわ」
「そういうことだって、納得してください」
「でも」
「モノノ怪を斬れるのは、この、退魔の剣だけ、なんですよ」
薬売りは右手の剣を示す。
「役人の十手やお侍の大小なんてぇ、モノノ怪を前にしたら、子供の玩具、ですぜ」
「…やっぱり意味が分からない…」
眉を顰める三人に、諦めの色が見えた。
「じゃあ、皆さん。気を付けてお家に帰ってくださいね」
薬売りが踵を返すと、はそう言って微笑んだ。
「何だか分からないけど、ありがとう」
「気を付けて」
渋々、といった様子で娘たちは小さく手を振った。
薬売りとが次第に遠くなっていく。
「私たちも、そろそろ…」
多恵と美佐は顔を見合わせてから、利津に同意を求めた。
「貴女たちは、先に帰って」
「え?」
「利津さん?」
意を決したように、利津が険しい表情をしている。
「香乃のことも気になるわ。…それに、私、確かめたいことがあるの」
「…あ!」
二人が止める暇もなく、利津は薬売りたちの歩いて行った方へ駆け出した。
並んで母屋を目指す薬売りと。
まっすぐ前を見ていた薬売りが、不意にに問う。
「声は、聞きましたか」
「それが…泣いているんです」
少々困惑した顔で、は薬売りを見上げる。
「泣いている、ですか」
「泣き声ばかりで、他は何も…」
首を傾げるに、薬売りの首も同様に傾ぐ。
「でも、男の人の声でした」
「…成程、男、ですか」
一人納得したように口角を上げると、薬売りは背後を気にした。
近づいてくる足音に気づき、足を止める。
もそれに倣って、後ろを振り返った。
「…利津さん…?」
やがて現れた人物を見て、は目を丸くした。
利津は、神妙な面持ちをしていた。
「私も、一緒に行かせて」
「何故、ですか」
「蔵から外に出て確信したの」
利津は両拳を固く握りしめる。
「ここは、妹の仇が居る酒蔵だって…!」
「妹さん…?」
「だから、行かなきゃいけない」
強い眼差しが二人に向けられる。
は不安そうな目で薬売りの言葉を待つ。
「何か、知っているかもしれませんね」
薬売りはに小さく言うと、軽く嘆息した。
「これより先は、危険、ですよ」
「いいわ」
「アンタを守れる保証はしませんぜ」
「いいわ」
薬売りの言葉に、力強く頷く利津。
「何より、人の心の奥底を、知ることになるかもしれません。その覚悟をすること、ですね」
急に鋭くなった薬売りの視線に、利津は一瞬怯んだ。
けれど、すぐにさっきの目つきに戻り、頷く。
「大丈夫よ」
薬売りはふっと、力を抜いた。
「だったら、行くとしましょうか」
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ちょっと長かったですね…f^ ^;
2014/6/15