桂男
〜七の幕〜





 母屋へ足を踏み入れると、深い青が充満していた。
 たちが閉じ込められていた蔵と同じ。

「ここも、ですか」

 薬売りは退魔の剣を肩にトントンと当て、呆れたような声を出した。
 その後ろでと利津は、辺りを気にする。

「これもモノノ怪の…?」
「そう考えるのが、妥当でしょう」

 三人はそのまま奥へと進んでいく。
 何処にも人の気配はなく、何処も青く染まっている。

「…?」

 三つ目の襖を開けると、部屋の真ん中、畳の上に何か黒いものがあることに気づいた。
 薬売りは小さく気合の声を出すと、札をそれに放った。
 けれど、何の反応もない。
 薬売りは静かに近づいて覗き込む。

「これは…」

 女だった。
 女が倒れている。
 酷く痩せて、文字通り骨と皮だけ。
 目の下の隈は濃く、生気がない。
 けれど…

「微かに、息が、ありますね」

 そう言われて、は女の顔を覗き込む。

「大丈夫ですか!?」

 呼びかけても揺すっても、返事はない。
 僅かに開けられた口からは、途切れそうなほど細い呼吸音がした。

「ねぇ、こっちも!」

 利津の声が響いた。
 障子を開けた先の濡れ縁に、もう一人女が倒れている。
 薬売りとは視線を合わせると、無言で立ち上がった。
 そうして、屋敷の更に奥へと進んでいった。

「一体何なの…」

 二人に続く利津が、戸惑いの声を上げる。
 廊下や他の部屋にも、女が何人も横たわっている。
 どの女も同じ、生きてはいるがやつれて危険な状態。




“違う…”




「!?」

 弾かれた様にが顔を上げる。
 視線が宙を彷徨い、何かを探す。
 薬売りはの言葉を待つ。

「…あっちです」

 明確な意志を持って、は薬売りを見上げた。
 が示したのは、母屋の最奥と見える部屋だった。

 三人は他の部屋や通路を無視して、濡れ縁から庭へと降りる。
 そこから真っ直ぐ、母屋の奥へ向かった。
 屋外へ出たけれど、やはり視界は青い。
 奥へ進めば進むほど、青が深まり暗くなっていく。
 それがモノノ怪に近づいているという証なのだろう。



 気配を殺して部屋へと近づくと、濡れ縁ぎりぎりまで姿勢を低くした。
 辺りは青いが、細い月が光を放っているのは外界と変わらない。
 障子に影が映って相手に気取られないよう注意する。

“違う…”

 にはそればかりが聞こえてくる。
 けれど、さっきよりもはっきりと、強い声になった。

“また違った…”

 は首を傾ぐとともに怪訝そうな表情をした。
 隣の薬売りはそれに気付き、の髪を一撫でした。
 大丈夫、という意を込めて。
 が小さくはにかんだのを見てから、薬売りの表情が変わった。

 行きますよ。

 声に出さず、口の動きだけで言ってに心の準備を促す。
 はこくりと頷いて、反対側にしゃがみ込んでいる利津にも合図した。


 音もなく縁側へ上がった薬売り。
 バンッ、と大きな音と共に障子を開け放った。






 中は、殆ど黒に近い濃紺だった。
 部屋の奥の方ほど真っ暗で何も見えない。


「…誰だ…?」


 聞こえてきたのは、酷く掠れた声だった。
 部屋の奥から何かを引きずるような音と共に、気配が近づいてくる。
 薬売りは剣を構え、背中に二人を庇った。

 それが誰か判別できたのは、部屋の中ほどまで来てからだった。

「あんたは…」
「香乃!!」

 薬売りの声を遮って、利津が叫んだ。

 姿を現したのは、先刻薬売りが薬を譲ってやった男だった。
 先ほどと少しも変わらずやつれて、顔色が悪い。
 そして、その男が腕に抱えていたのは、蔵から連れ出された香乃。
 こちらはぐったりとして、意識はないように見えた。

「どうして…!?」

「アンタ、薬売り…。さっきは世話になったな。…で、何でここにいるんだ?」

 利津の問いかけを完全に無視して、男は薬売りに向けて言った。

「いえね、連れがここにいると、聞いたもんで」
「連れ?」

 薬売りの後ろにいるを目に留めて、男はあぁ、と漏らした。

「新入りの別嬪さんか。…連れってぇと」
「随分と、詮索好きなモノノ怪のようで」
「俺の花嫁候補だからな」
「花嫁…。それには及びませんよ」

 薬売りの表情からも声からも、その感情は掴めない。
 ほんの僅かに鼻で笑ったようにも見えた。

「先約がいたのかい、別嬪さん」
「せ、先約というか…」

 男に視線を向けられ、は思わず薬売りの背に隠れる。

「人のものには、手を出さない方が、いいですよ。人妻も然り」
「それは難しい忠告だ。俺が“いい”と思った女は全て俺の花嫁候補だ」
「勝手なことを…」

 鋭い視線を向けられても、男は動じない。

「この女も、いいと思ったんだけどな…」

 腕に抱える香乃を見遣って、おどけたように肩を竦める。

「活きは良かったが、違ったな。その辺に何人もいたのを見ただろう? どの女も俺の嫁には役不足だった」

 残念そうな顔をして、男は香乃の頬に触れた。
 一瞬、には悲しみが伝わってきたような気がした。

「女を攫うのは、嫁を探す為か」

 薬売りの言葉に、男は嗤った。

「いや、こうするのさ」

 男は突然、香乃に口づけた。
 性格には口で口を覆った、というべきか。

「な!?」

 も利津も目を見開いた。
 薬売りも一瞬瞠目したが、気を緩めることはなく剣を構え続けた。

 やがて香乃の身体が淡く光りだし、その光が口を通じて男へと移っていく。

 意識のなかった香乃の表情が変わる。
 カッと目が開いたかと思うと、次第に苦悶の表情を浮かべ始めた。
 手の指全ての関節に力が込められている。

 光が香乃から男へと消えていくと、香乃は力なく頽れた。
 男は唇を離すと、香乃を畳に捨て置いた。

「…こんなもんか」

 さっきよりもはっきりとした声だった。

「香乃!? 香乃に何をしたの!?」

 利津が絶叫する。

「見たまんまさ」

 男はしれっと答える。

「女たちの生気で、その形を維持しているってぇ訳、ですか」
「ご名答〜」

 おどけたような返事に、は嫌悪を覚えた。

「…酷い…」

 男をきつく睨んで、その心の内を探ろうとした。

「酷くなんてないさ。嫁には不足でも、役には立っただろ?」

 この男は何か勘違いをしている。
 はそう思った。
 握りしめた拳が色を失っていく。


「ふざけないで! そんなだから誰にも見向きもされなかったのよ、石坂屋の放蕩息子!!」


 突然、利津が声を上げた。













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またも長めで。


2014/6/29