母屋へ足を踏み入れると、深い青が充満していた。
たちが閉じ込められていた蔵と同じ。
「ここも、ですか」
薬売りは退魔の剣を肩にトントンと当て、呆れたような声を出した。
その後ろでと利津は、辺りを気にする。
「これもモノノ怪の…?」
「そう考えるのが、妥当でしょう」
三人はそのまま奥へと進んでいく。
何処にも人の気配はなく、何処も青く染まっている。
「…?」
三つ目の襖を開けると、部屋の真ん中、畳の上に何か黒いものがあることに気づいた。
薬売りは小さく気合の声を出すと、札をそれに放った。
けれど、何の反応もない。
薬売りは静かに近づいて覗き込む。
「これは…」
女だった。
女が倒れている。
酷く痩せて、文字通り骨と皮だけ。
目の下の隈は濃く、生気がない。
けれど…
「微かに、息が、ありますね」
そう言われて、は女の顔を覗き込む。
「大丈夫ですか!?」
呼びかけても揺すっても、返事はない。
僅かに開けられた口からは、途切れそうなほど細い呼吸音がした。
「ねぇ、こっちも!」
利津の声が響いた。
障子を開けた先の濡れ縁に、もう一人女が倒れている。
薬売りとは視線を合わせると、無言で立ち上がった。
そうして、屋敷の更に奥へと進んでいった。
「一体何なの…」
二人に続く利津が、戸惑いの声を上げる。
廊下や他の部屋にも、女が何人も横たわっている。
どの女も同じ、生きてはいるがやつれて危険な状態。
“違う…”
「!?」
弾かれた様にが顔を上げる。
視線が宙を彷徨い、何かを探す。
薬売りはの言葉を待つ。
「…あっちです」
明確な意志を持って、は薬売りを見上げた。
が示したのは、母屋の最奥と見える部屋だった。
三人は他の部屋や通路を無視して、濡れ縁から庭へと降りる。
そこから真っ直ぐ、母屋の奥へ向かった。
屋外へ出たけれど、やはり視界は青い。
奥へ進めば進むほど、青が深まり暗くなっていく。
それがモノノ怪に近づいているという証なのだろう。
気配を殺して部屋へと近づくと、濡れ縁ぎりぎりまで姿勢を低くした。
辺りは青いが、細い月が光を放っているのは外界と変わらない。
障子に影が映って相手に気取られないよう注意する。
“違う…”
にはそればかりが聞こえてくる。
けれど、さっきよりもはっきりと、強い声になった。
“また違った…”
は首を傾ぐとともに怪訝そうな表情をした。
隣の薬売りはそれに気付き、の髪を一撫でした。
大丈夫、という意を込めて。
が小さくはにかんだのを見てから、薬売りの表情が変わった。
行きますよ。
声に出さず、口の動きだけで言ってに心の準備を促す。
はこくりと頷いて、反対側にしゃがみ込んでいる利津にも合図した。
音もなく縁側へ上がった薬売り。
バンッ、と大きな音と共に障子を開け放った。
中は、殆ど黒に近い濃紺だった。
部屋の奥の方ほど真っ暗で何も見えない。
「…誰だ…?」
聞こえてきたのは、酷く掠れた声だった。
部屋の奥から何かを引きずるような音と共に、気配が近づいてくる。
薬売りは剣を構え、背中に二人を庇った。
それが誰か判別できたのは、部屋の中ほどまで来てからだった。
「あんたは…」
「香乃!!」
薬売りの声を遮って、利津が叫んだ。
姿を現したのは、先刻薬売りが薬を譲ってやった男だった。
先ほどと少しも変わらずやつれて、顔色が悪い。
そして、その男が腕に抱えていたのは、蔵から連れ出された香乃。
こちらはぐったりとして、意識はないように見えた。
「どうして…!?」
「アンタ、薬売り…。さっきは世話になったな。…で、何でここにいるんだ?」
利津の問いかけを完全に無視して、男は薬売りに向けて言った。
「いえね、連れがここにいると、聞いたもんで」
「連れ?」
薬売りの後ろにいるを目に留めて、男はあぁ、と漏らした。
「新入りの別嬪さんか。…連れってぇと」
「随分と、詮索好きなモノノ怪のようで」
「俺の花嫁候補だからな」
「花嫁…。それには及びませんよ」
薬売りの表情からも声からも、その感情は掴めない。
ほんの僅かに鼻で笑ったようにも見えた。
「先約がいたのかい、別嬪さん」
「せ、先約というか…」
男に視線を向けられ、は思わず薬売りの背に隠れる。
「人のものには、手を出さない方が、いいですよ。人妻も然り」
「それは難しい忠告だ。俺が“いい”と思った女は全て俺の花嫁候補だ」
「勝手なことを…」
鋭い視線を向けられても、男は動じない。
「この女も、いいと思ったんだけどな…」
腕に抱える香乃を見遣って、おどけたように肩を竦める。
「活きは良かったが、違ったな。その辺に何人もいたのを見ただろう? どの女も俺の嫁には役不足だった」
残念そうな顔をして、男は香乃の頬に触れた。
一瞬、には悲しみが伝わってきたような気がした。
「女を攫うのは、嫁を探す為か」
薬売りの言葉に、男は嗤った。
「いや、こうするのさ」
男は突然、香乃に口づけた。
性格には口で口を覆った、というべきか。
「な!?」
も利津も目を見開いた。
薬売りも一瞬瞠目したが、気を緩めることはなく剣を構え続けた。
やがて香乃の身体が淡く光りだし、その光が口を通じて男へと移っていく。
意識のなかった香乃の表情が変わる。
カッと目が開いたかと思うと、次第に苦悶の表情を浮かべ始めた。
手の指全ての関節に力が込められている。
光が香乃から男へと消えていくと、香乃は力なく頽れた。
男は唇を離すと、香乃を畳に捨て置いた。
「…こんなもんか」
さっきよりもはっきりとした声だった。
「香乃!? 香乃に何をしたの!?」
利津が絶叫する。
「見たまんまさ」
男はしれっと答える。
「女たちの生気で、その形を維持しているってぇ訳、ですか」
「ご名答〜」
おどけたような返事に、は嫌悪を覚えた。
「…酷い…」
男をきつく睨んで、その心の内を探ろうとした。
「酷くなんてないさ。嫁には不足でも、役には立っただろ?」
この男は何か勘違いをしている。
はそう思った。
握りしめた拳が色を失っていく。
「ふざけないで! そんなだから誰にも見向きもされなかったのよ、石坂屋の放蕩息子!!」
突然、利津が声を上げた。
NEXT
またも長めで。
2014/6/29