桂男
〜九の幕〜






「!?」


 次の瞬間、は一人、深い青の中にいた。
 不意に、蔵で目覚めた時のことが呼び起される。
 辺りに誰かいないものかと見渡すも、目に映るのは青だった。
 は懐に手を当て、着物の上から札に意識を向ける。
 すると仄かにそこが光り、の周囲だけをぼんやりと白く染めた。
 安堵のため息を漏らすと、は前を向いた。
 そうしてゆっくりと歩きだした。
 一歩一歩、確かめるように歩を進め、周囲を窺う。
 進めば進むほど、青は深くなっていく。
 屋敷と同じだと、は思った。

 やがて、泣き声が聞こえてきた。
 濃紺の、ずっと奥の方だ。
 は一人頷くと、歩みを速めた。


 自分の放つ光が、何かを照らし出した。
 は歩調を緩め、気を引き締めた。

 それは、一人の男の子だった。
 十かそこらの、まだ少年と言う年頃の。
 彼は泣きじゃくり、たまに嗚咽を漏らす。

 手も腕も涙に濡れて、もうずっと、長いこと泣いているようだ。

「君は…」

 には、それが幼少の織哉だと分かった。
 幼い織哉はに見向きもせず泣き続ける。

 は、織哉の傍まで行くと、しゃがみ込んだ。

「どうして泣いているの?」

 声をかけると、織哉はびくりと身体を震わせてこちらを見た。
 真っ赤な顔、真っ赤な目、涙に濡れた頬。

 そっと、その髪を撫でた。
 またびくりと身体を震わせたものの、織哉は大人しくしていた。

「どうしたの?」

 もう一度、問いかけた。

「…っ、ひっ…く」

 ずっと泣いていたせいか、上手く声が出ないらしい。
 は、髪を撫でていた手を背に回し、ゆっくりと撫でてやった。
 少しでも、落ち着くようにと。


「誰も…、俺を、見てくれないんだ…っ」
「君を見てくれない?」
「蔵が、忙しいんだ」
「お家は商いをしているのね」

 の問いかけに織哉は頷く。

「俺よりも、蔵が、大事なんだっ」

 言葉にしてしまったせいか、織哉の目から涙が溢れた。

 幼い織哉は、たどたどしく、けれども心の内を話してくれた。

 酒蔵が忙しく、両親も奉公人も、もちろん杜氏たちも、自分を相手にはしてくれない。
 両親は自分にいくらかのお金を寄越すと、自分で外の世界を見てくるように言い置いた。
 それだけだった。
 もちろん初めはそうしていた。
 色々な土地、色々な店、色々な人々。
 知らないものを見るのは楽しかったし、知識を得るのは面白かった。
 そうしていたのは、自分に見向きもしない両親に、褒められたいからこそだった。

 けれど、褒められることはなかった。

 見分の成果を聞くでも、試すでもなく。
 いつも、今月分だと言ってお金を渡してきた。
 自分の思うように見識を広げるといい。
 そう言われるだけ。
 自分と両親の関係は、ただそれだけだった。


 には、織哉が何を言いたいのか、僅かに分かってきた気がした。
 深く瞬きをして、次に目を開けた時、そこに幼い織哉はもういなかった。


「…何処に…?」


 は立ち上がり、辺りを見渡す。

「!?」

 咄嗟に後ろを振り返る。
 と、そこには成長した織哉の姿があった。

 ぼんやりとした顔で、を見ている。

「でもやっと、俺を見てくれる人が現れたんだ」

 低くなった声で、に語りかける。



 やがて年頃になった織哉には、恋仲の娘が出来た。
 嬉しかった。
 自分を必要としてくれる人がいることが。
 一緒になろうと誓って、互いの両親に話そうと決めた。

 娘の方の家族には渋々だったが認めてもらった。

 けれど…

「俺の親は、ついぞ認めてくれなかった…。分かって、もらえなかった」

 落胆の色を見せる織哉。

 この酒蔵を支えられる娘じゃない。
 この家に相応しい娘じゃない。
 織哉ではなく、蔵が目当てなのだ。

 織哉はその娘を大層気に入っていたのだが、決して認められることはなかった。
 理解してくれない親と、親の目に適うことのなかった娘。
 双方に腹が立った。

 その後も、何人かの娘を親に会わせた。
 けれど、反応は同じだった。

 今まで何を見てきたのだ。
 自由にさせてきたのは、馬鹿な女に引っかかる為じゃない。
 放蕩息子と呼ばれるためじゃない。

 自分で学び、自分で生きられるように。
 そう思って、これまで自由にさせてきたのだ。

 ほとほと期待外れだ。



 散々な言われようだった。
 自分の全てを否定された気分だった。


 織哉は、目を閉じると、一筋の涙を流した。


 は、静かに言った。



「失望したんですね、両親にも、女と言うものにも」



 そう言った瞬間、目まぐるしく青が動いた。
















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2014/7/20