「…ん…」
ゆっくりと目を開けると、まだ辺りは真っ暗だった。
鳥のさえずりも聞こえない。
夜明けまでまだ随分あるようだ。
は、寝返りを打ってもう一度眠りにつこうとする。
けれど、何か違和感を覚えた。
いつもならば布団に横たえてある天秤も、いつの間にか枕元で立っている。
“…み”
「―っ!?」
ぞくりと寒気がして、思わず飛び起きた。
声が聞こえた。
モノノ怪の、声が。
“…かみ…”
徐々に声がはっきりしていく。
近付いている。
“…髪…”
さっきよりも近くに感じる声。
は掛け布団を抱き込んで、身体の震えを抑えこんだ。
「…薬売り…さん…」
無意識に呼んでいた。
「わかって、いますよ」
すぐに返事が返ってきた。
衝立を取り払って、姿を見せた薬売り。
暗くてよく見えないが、その手には退魔の剣を持っている。
鏤められた石が、僅かな月の光で仄かに光っている。
“…髪…”
もう一度聞こえた声は、すぐ近くまで来ている。
チリン―。
部屋の外で、天秤が傾く音がした。
直後に、部屋の中の天秤も廊下の方に向かって方を下げる。
一面に貼られた札も、色を変える。
薬売りの手の中にある剣が、カタカタと鳴り始めた。
薬売りは、背中でを庇うように身構える。
息を殺して、気配に集中する。
微塵も動かない薬売りの後ろで、は酷い動悸を落ち着かせようとしていた。
音を立てないように、努めて静かに深く呼吸をしようとする。
けれど、その度に胸が震える。
汗が、背中を伝った。
カタカタカタカタ―。
剣の振動が頂点に達したときだった。
ザッッ!!
耳障りな音とともに、障子を破って何かが部屋に飛び込んできた。
カンッ!!
薬売りは反射的にそれを剣で撥ね退けた。
ガラン、と音を立てて壁に弾き飛ばされたそれは、畳に落ちる。
薬売りは鞘に納めたままの剣を僅かに下げ、その様子を窺う。
「…鋏、ですか」
鈍色のその鋏は、薄く煌いて静かに畳から浮き上がる。
刃先が二人の方を向くと、矢のように襲い掛かった。
「くっ!」
薬売りはさっきと同じように剣で鋏を弾く。
けれど、弾かれた鋏は宙でその動きを止め、もう一度薬売り目掛けて飛んできた。
何度弾いても、鋏は向かってくる。
その度に乾いた音が部屋に響いて、は身を縮こませる。
これでは埒が明かない。
薬売りは手近にあった自分の布団を視界の隅で確認する。
間髪いれずに飛んでくる鋏を、渾身の力で撥ね返す。
大きく弾き飛んだそれに布団を投げつけて、その上から札で覆いつくした。
布団は玉のように丸くなり、鋏を封じ込めた。
鋏が暴れているのか、暫くはじたばたと動き続けていたが、次第に大人しくなり、やがて動きは止まった。
充分に間を置いて、薬売りは構えを解いた。
「…薬売りさん…」
か細い声が背後から聞こえて、薬売りは振り返る。
月明かりのせいか、の顔色が青白く見える。
「…私…」
怯えた顔で、薬売りを見上げる。
薬売りは片膝を付いてしゃがみこむと、の視線の高さに自分のそれを合わせる。
「大丈夫、ですか」
薬売りの言葉に、はコクリと頷く。
まだ身体の震えが治まっていないことに気付いていたが、薬売りは敢えて何も言わなかった。
その代わり、そっと、の髪に手を伸ばす。
「…」
何か言いかけた薬売りだったが、背後で耳障りな音がして振り返った。
ザリ…
布団の玉が揺れて、内側から布が切られるような音がしている。
剣を構え直して、様子を窺う。
ビリビリという布の裂ける音と共に、布団から鋏が飛び出してきた。
札諸共、破かれてしまった。
天井高くまで飛び上がった鋏は、やはり刃先を二人に向けて突っ込んできた。
もう一度薙ぎ払おうと剣を持つ手に力を込める。
「何―っ!?」
薬売りは目を見開いた。
薬売りの剣とかち合う寸前、鋏が二つに分かれたのだ。
二つの刃が合わさってものを切る鋏。
その刃が離れて薬売りの横をすり抜けようとした。
「くっ!!」
薬売りは咄嗟に身を翻した。
一瞬垣間見たのは、が目を丸くして驚いている顔だった。
両腕でしっかりとを覆って、そのまま倒れこんだ。
しかし…
二人のすぐ近くで、何かが切られた音がした。
そして直後、窓が破られる音がして、辺りは静まり返った。
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ヒロイン、結構散々な目に遭います。
ごめんなさい…
2011/1/23