「形は…黒髪切り」
―カチンッ!
薬売りは札の結界を保持しながら、平助の様子を窺った。
襲い掛かる鋏の群れは、絶えることを知らない。
「何故、髪に拘る…」
昨夜と同じだ。
このままでは埒が明かない。
どうにかして、モノノ怪の真と理を見出さなければ。
薬売りは隙を探す。
は薬売りの後ろで、懸命に声を聞きだそうとしていた。
平助の、もっと深い、心の奥の声。
それから平助のこれまでの言動を思い返してみる。
『どうしてそんなに蔑ろにするんですか』
『髪に手を掛けられないなんて、何て酷い』
『母も姉も、大層綺麗な髪でしたよ』
『遺髪は、形見として大切に持っています』
その言葉が、やけに引っかかった。
「…お母さんと、お姉さん…?」
は小さく呟いた。
「…!!」
ぶわりと、何かがの傍を通り過ぎた。
「何…?」
“何か”を目で追おうとするが、姿が見えない。
きょろきょろと辺りを見渡す。
“ここです”
突然の声に、は戸惑う。
声のした方を見ると、そこには平助の道具箱があった。
その上の辺りにぼんやりと“何か”の影が見えた。
「何? …違う。誰?」
「さん?」
薬売りが背後にいるの様子の変化に気付く。
ちらりとの方を覗うと、何処かに向かって力強く頷くを見た。
「薬売りさん」
「何、ですかね」
「私の行動に気付かれないように、どうにか平助さんを引きつけられませんか」
「何を」
「お願いです…!」
「仕方、ありませんね」
ため息混じりに了承して、薬売りは平助を見据えた。
「いいですか?」
「はい…!」
の返事の直後、結界の壁は無くなった。
その代わりに、一人ひとりに円柱形の結界が張られた。
それと同時に薬売りは平助に向かって行った。
「な…っ!?」
薬売りは剣を抜くことなく、そのままで攻撃を仕掛けた。
突然の反撃に一瞬怯んだ平助だったが、手にした鋏で薬売りの繰り出した剣を受け止めた。
互いに短い得物のため、かなりの接近戦になる。
薬売りは舞うように剣を突き出す。
その度に鮮やかに袂が揺れる。
平助は闘いに慣れていないのか、鋏を無闇に振り回して薬売りの剣を受け止めることが精一杯のようだ。
は平助が薬売りとの戦いに気を取られていることを確認して走り出した。
目標は道具箱。
さっきの“何か”の気配はもう消えてしまった。
けれど、そこに何かがあるのだと、そう思った。
気取られないよう静かに道具箱に近付くと、その引き出しを順に引いていった。
一段目二段目と開けていくが、髪結いに使うための櫛や油が並んでいるだけで、それらしいものはない。
そうして、三段目に手を掛けようとしたとき。
「やめろーッッッ!!!」
「さん!」
二つの声が響いた。
が顔を上げると、薬売りと交戦していたはずの平助が鋏を振り上げて迫っていた。
「―っ!!」
悲鳴をあげる事も出来ず、は堅く目を閉じた。
―バチッ!!
平助が振り下ろした鋏は、派手な音と火花を伴って結界が受け止めた。
けれど、その衝撃では道具箱諸共吹き飛ばされ、背中を壁に打ち付けた。
「…うっ…」
小さく呻いて顔を顰める。
「さん!」
背後から平助の脇腹を薙ぎ払って、薬売りはの元に駆け寄っていく。
床に両手を着いて、肩で息をする。
背中を打ったせいで、息が苦しい。
「さん」
「だい…じょうぶ、です…」
薬売りは荒い呼吸を繰り返すを支えて、背中を擦ってやる。
早く剣を抜かなければ。
そんな焦りが、薬売りを襲う。
平助をきつく睨む。
「これは…」
荒い呼吸の中で、は呟いた。
一緒に壁まで吹き飛ばされ、引き出しが外れて中身が出てしまった道具箱。
その中に、あるものを見つけた。
「髪…?」
幾つかの髪の束が、床に散らばっていた。
それも全て、クセもうねりもない真っ直ぐな、艶のある黒髪。
「これって」
「今までに、切られた髪のようで」
は薬売りを見上げる。
では、自分の髪もここにあるのか。
そんなことが頭を過ぎった。
「でも、どうして」
もう一度髪の束に目を遣る。
すると、道具箱から出てしまった三段目に当たる引き出しの中に、また別な髪が二つあるのが見えた。
は手を伸ばしてそれを掴もうとする。
「やめろ…! 触るなっ!!」
脇腹を押さえたまま倒れている平助が、呻くように声を上げた。
「それだけは…」
必死に起き上がろうとするが、痛みで思うように動けないらしい。
は平助の様子を見て、ふと思い至った。
そうして“触るな”と言われた髪の束に触れようとする。
「やめろ…!!」
「これは」
「触るな!」
「お母さんとお姉さんの遺髪…?」
髪に触れた瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ気がした。
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ヒロイン、痛い目に遭わせて申し訳ないです。
その他、あまり深く考えないようにお願いします。
2011/2/20